第25話 トヤマ ボロボロの、故郷

 酷いものだった。建物のほとんどが老朽化で悲鳴を上げている。中には今にも倒壊しそうなものもある。並ぶ店の数は少なく、往来もがらんとしている。そして店に陳列されている食材の種類も在庫も極端に少なく、この町の住民がまともな食生活を送れているかどうかも甚だしいものだった。近場に温泉が湧いているのがせめてもの情けで、衛生面では最低水準を満たしていたが、住民の着ている服はどれも穴の空いた物や裂けた物ばかりで、やはりみすぼらしいものだった。すれ違う住民の顔にも生気はなく、その目に明日は映っていない。

 あのダムが住民の最後の希望だったのだ。その全てを注いだダムが崩壊したことにより、この町の生きる力は失われてしまった。

「なんだよこれ……こんなのどうしろっていうんだよ……」

 これは、少し努力しただけでどうにかなるものではない。食料も、物資を整える金銭も、明日を生きようとする活力も、逆境から奮い立つために必要な何もかもがまるで足りていない。

 ――火を見るよりも明らかに、この町は死にかけている。

 俺は突如芽生えた空恐ろしい感覚を振り払おうと、寂れた通りを早足で歩いた。

 申し訳程度の店を構え、椅子に座ったまま目を瞑っている店主の姿。ボロ布をまとって路地裏に座り込み、咳き込む老人の姿。気に入らないと怒鳴り合い、殴り合う男たちの姿。どれもこれも、目を向けるだけで辛かった。

 気付けば俺は、一軒の酒場の前に立っていた。

 無論、未成年の俺に飲酒はご法度だ。気になったのはそこじゃない。聞いたことのある声が耳に入ったのだ。俺は自然と店のドアを開けていた。

 酒場では、男たちがひとつのテーブルを囲っていた。町の代表会議か何かだろうか。ボールスを含む四人の男が席につき、その周りを十人ほどの男が苦い顔をして立っていた。

「――君はたしか……アーサーだったか」

 ボールスは隣の者に会議を任せて席を立つと、俺の前にきた。

「さっきは助かった。君たちのおかげで死人は出ずに済んだ」

「いえ、俺たちは当然のことをしたまでです」

 社交辞令を交わす。俺はボールスに何を話し合っていたのか聞いた。

「これからの方針をどうするか、相談していた。やはり、先ほどの失敗はこたえたらしい。クロベ川の治水工事を取りやめ、施設は破棄する――そういう流れになった」

 ボールスの答えに俺は、「ああ、やっぱりそうなったか」と肩を落とした。どうせこうなるだろうと予想していたのだ。

 ――しかし、次のボールスの言葉には、思わず我が耳を疑ってしまった。

「そして後始末を終え次第、近隣一帯の住民も含めて、この地域から出て行く準備を始めることにした」

「え……?」

 不意打ちで崖から突き落とされたような気分だった。

「どうしてですか……? 下流はああなっているから無理だけど、ここならまだ生活することができるんでしょう……?」

 声に震えが混じっていた。ボールスは視線を一瞬だけ逸らした後、説明する。

「今はまだ生活できる。だが、二年や三年先のことがわからない。下流の地域の荒廃は徐々に進み、その影響が上流にも表れ始めている。クロベ川の氾濫をどうにかできなかった以上、遅かれ早かれこの地域は【滅ぶ】ことになる」

【滅ぶ】――その言葉が耳にするりと入った瞬間、俺の心臓が一瞬だけ止まった気がした。

「だから、手遅れになる前に準備を整えて出て行く。つまりはそういうことだ」

 ボールスは淡々と述べると、ごまかすように鼻をひとつ撫で、そして小さく鳴らした。

 彼らに取っても苦渋の決断なのだ。生まれ育った地を捨て、新たな地へと逃れる。それは簡単な方法にも思えるが、しかし、新たな土地が彼らを受け入れるとは限らない。勿論、すんなりと移民として受け入れてもらえる可能性はあるが、難民として厄介がられて排斥される可能性もある。もしかすれば今よりもっと酷い環境に置かれるかもしれない。だが、そんな一か八かの賭けに出なければいけないほどにまで追い込まれている――それが今の状況なのだ。

「…………本当に、それでいいんですか?」

 他所からやってきた俺が、それに口出しできる道理も権利もない。だが俺は、声に出さずにいられなかった。

「故郷を捨てるって、言うほど楽なことじゃないことなのはわかります。でもそれで、本当にいいんですか? まだ何かできることがあるんじゃないですか?」

 語気を荒げないように注意を払いながら、俺は頭に浮かんだ言葉を並べていく。

「努力や根性でどうにかできる状況じゃないのは俺にもわかっています。でも、もう少しだけ考えてみませんか? 今は工事の失敗で弱気になっているだけで、後で良い方法を思いつくかもしれません。だから、そんなに簡単に諦めないでください。もっと別の視点で物事を――」

 続けようとした俺の言葉を、拳をテーブルに叩きつけた音が断ち切った。町の代表の一人がこめかみに青筋を立てた表情で椅子から立った。彼がテーブルに拳を振り下ろしたのだ。

「他所からふらっとやって来たガキが、何をわかった口をきいてやがる!! オレたちだってな、今まで何度も考えてきたんだ!! 無い知恵を振り絞って、どうにか計画して、毎晩毎晩夜遅くまで全員で議論して……そいつを実行するために努力し続けた結果があのザマだ!!」

 男は、彼を止めようと肩を掴んだ仲間の手を払い除けて、口から唾を飛ばしながら続けた。

「あのダムを作るまでに何人飢えて倒れた奴がいると思ってやがる!? 病気で何人倒れたと思ってやがる!? 簡単に諦めないでくださいだあ? あと何人倒れるまでオレたちにやれっていうんだテメエは!? その《責任》はテメエが取れるっていうのか!? ああ!?」

 男は息つぎすら忘れて、自らの思いの丈を全て吐き出した。肩を使うほど大きく呼吸を乱しながらテーブルに手を突き、湯気の上がりかけた顔を下ろした。

「……ぁ」

 俺は彼の気迫に飲まれてしまい、何も反論できなかった。《責任》という言葉が、俺には酷く重々しく聞こえた。

「……代案がないのならば、今日はここまでとしよう」

 静寂に包まれていた酒場に、ボールスの声が空しく響いた。

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