1-25 迷子の迷子のアリサちゃん
一方、こちらは帝都近郊のスラム街。
時刻は夕暮れ。橙色に染まった空がゆっくりと暗くなっていき、黒い夜の訪れを告げてくる。
沈んでいく夕陽は最後まで赤々であり続けんと、その光を沈むまで燦々と発し続ける。
夕陽色に染まっているのは空だけでなく、その遥か下方の地上までも染め上げていた。
天と地の色が統一される景色は、さながら神話に出てくる未だ一つだった天地を現しているかのようで、とても幻想的で、
「……ここ、どこ……?」
だから目が涙で滲んでいるのは、この圧巻の風景に目を奪われたからであって、断じて迷子になって心細いからではない。
「うぅ……どこぉ……。ライトぉ……エミリアぁ……」
そんな虚勢が持ったのは僅か2分。
それが過ぎ去る頃には、アリサは泣きそうな顔になってその場に座り込んでしまっていた。
齢18。もう大人と呼べる年齢ではあるが、ある理由で、アリサは竜撃隊に入ってからは殆どあの基地の中から出たことがない。
監禁されていたとかそういった理由ではなく、単に外の世界に出たくなかったが故の自主的な引きこもり。
今朝の任務も、アークからの命令でなければ同行するつもりなんてなかった。正直、自分でもよく最後まで意地を張り通せたものだと感心している。
年に十回以上は(強制的に)外に連れ出されてはいるものの、それでもアリサにとっては基地の周りに広がる帝都でさえも立派な異世界。
そんな場所に、勢いに任せて一人で出て行ってしまった。
誰かと一緒ならともかく、たった一人で外に出るなど珍しすぎる体験。
そのせいで、基地の中での強気のキャラが一変し、気弱なチワワに変貌してしまっていた。
「…………」
しかし、いつまでもべそをかいている場合ではない。
このままではそう遠くない内に夜になってしまう。昼間に猫仮面の襲撃もあったせいで、竜撃隊の皆はとてもピリピリしている。
そんな中、アリサが夜遅くまで帰ってこないものなら、今帝都にいる竜撃隊員全員を挙げての捜索に乗り出すに違いない。
もしそうなってしまったら、自分一人のために皆の時間を割いてしまうのは非常に申し訳ないし、何よりこんな歳になってまで迷子になっていたなんて知られるのは、その、あれだ。凄く恥ずかしい。
「……そう。ただ家に帰るだけ。簡単なこと。私なら出来る。出来て当然……」
『ねえ院長先生。あのフードの人さっきからブツブツ言ってるけどどうしたのかな?』
『しっ、見ちゃいけません』
何か酷く心が傷つく言葉が聞こえた気がするが、アリサは聞こえない振りをして、我が家に帰るためのビジョンを思い巡らせる。
誰かに道を尋ねる。 → ダメ。万が一髪を見られたら騒ぎが起こるなんてどころじゃないし、仮にバレなくてもあんな魔境まで案内してくれる人がそう簡単に見つかるとは思えない。
電話で迎えを呼ぶ。 → これもダメ。最も確実に帰れる手段だけど、必然的に迷子になってしまったことを伝えないといけない。そうなったら三日くらい笑われ続けられるのは必須。あまりに危険性が高過ぎるため保留。
地図を使う。 → えーっと、そういえばこの端末って地図も出せるんだっけ? 確かここのボタンを押して――――『データが初期化されました』? 何これ。『しょきせっていをおこなってください』? え、え、もしかして壊しちゃった!?
次々と案が浮かんではボツとなり、気付けば八方塞がり。
恥も外聞も捨てて電話でエミリアに助けを求めようとするが、端末の初期設定の画面でぽちぽちしてたら画面がブラックアウトして起動しなくなった。ポンコツ!
「ど、どうすれば……。そうだ。空に向かって全力で魔法を撃てば、気付いたエミリア達がやって来てくれるかも……」
「――もしそんなことしたら、俺達よりも先に憲兵の群れが駆け付けてくるから絶対にやろうとするなよ」
「きゃっ! ラ、ライト!? びっくりした……」
突然背後から声を掛けられ、アリサは普段なら絶対に上げない女の子らしい悲鳴を上げる。
背後に立っていた声の主は、後から竜撃隊に入ってきたくせに自分のことを子供扱いしてくる不敬な問題児ことライト・ニーグ。
ここまで接近されて気付かなかったということは、気配を出来る限り減らして背後に忍び寄ってきたに違いない。
「……随分と失礼なこと考えてるようだが、別に俺は隠れる気なんかなかったぞ。ていうか何回も声を掛けた。気付かなかったテメエが悪い」
「え、そうなの……?」
「いや嘘。めっちゃ気配消してたし、さっきの以外で一回も声掛けなかった」
「…………」
今すぐこの男を殴りたい衝動に駆られたが、アリサの持ち得る全ての自制心を以って――それでも結構ギリギリだったが――その衝動を押し殺すことに成功する。
「……こんな時間にこんな場所で、一体何をしていたの?」
「それ滅茶苦茶ブーメランなんだが……まあいい。俺は昼間の猫仮面の調査と、その合間に依頼人への報告だな」
「ほれあそこの孤児院」と付け加えて、ライトは親指を立てて後方の建物を指差す。
依頼人への報告ということは、昼間のスカルホーンの一件についてだろうか。
アリサはアクシデントで途中で抜けてしまったせいで、結局あの仕事がどんな内容だったのか分からず終いだった。
まあ少なくとも、まともな話し合いで終わったということだけは絶対にあり得ないと断言できる。
「すると買い出しから帰って来た院長と連れの子供が、外で変な格好した不審者が孤児院の前を行ったり来たりしてるって言うから見に来たんだが……まさかそれが同じ隊の先輩とはなぁ」
「……わ、私はちょっと、食前の運動でジョギングを……」
「わざわざこんなスラムまでか? 走るにしてももっといい場所があったろ」
「ちょっと違う場所も探検してみたくて……」
「それでよりにもよって、自分が昼間襲われたスラムまで足を運んだと。へー、随分と肝の座った先輩を持ったもんだ」
「それは、その……」
追い詰められたアリサの目が大遠泳の如く泳ぎまくる。
何か上手い言い訳を考えようと頭をフル回転させるが、元々アリサは人との会話が得意ではない。
そんなアリサが嘘八百を並べたところで、『人を騙すのマジ最高!』がキャッチフレーズのライトを誤魔化せるとは到底思えなかった。
「この辺りのお店に、ご飯を食べに……」
「早速前の発言との矛盾が生じたな。慣れてない嘘吐いてねえで、正直にゲロったらどうだ?」
「いや、嘘じゃない! あそこ! ほら、あそこのお店!」
懸命に考えた嘘が速攻でバレたが、ここまで来たらもうヤケだ。
己が名誉を守るため、アリサは適当な店を指差して、そこへライトの腕を強引に引っ張って連れて行く。
「え、テメエあの店って……」
「いいから! 行く!」
念のため中の様子を確認してみたが、柄の悪そうな男共が賑やかに乾杯しているだけで、いかがわしい様子は一切ない。普通の飲み屋だ。
ちょっと臭いがキツくて頭がぼーっとしてきたが、今はそんなこと気にせずに中に入る。
だが、日頃の疲れが溜まっているのか、頭が鈍化していくのが止められない。
そして、何だか意識が曖昧に――
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