飛来する刺青

諸根いつみ

 ある日、私は刺青をした女性を見かけた。

 うだるような暑い日で、私はいつものように、夕方にもかかわらず弱まらない強烈な日差しの差す雑踏から駅の地下通路へもぐったものの、よどんだ空気からは逃れることができなかった。仕事の疲れと蒸し暑さにかすかにあえぎながら重い脚を引きずっている時、白い長袖Tシャツから伸びた細い首が目に留まった。私とすれ違う時、女性の長い髪が揺れ、首筋の青黒い模様が現れたのだ。

 私が思わずその女性を目で追った時、前から来た男性とぶつかって、私は会釈をして謝った。再び振り返った時には、女性の姿は見えなくなっていた。しかし、私は走り出した。

「どうしたの、ユキ」

 左耳にはめたイヤホンからペルパーの少年のような声が聞こえた。私の異常な動きを感じ取ったのだろう。

「さっきの女の人、首のタトゥー見えた?」

 私は人ごみの中に女性の姿を探しながらペルパーに呼びかける。ペルパーが内蔵された軟プラスチック製イヤホンは、頬骨の上に伸びた形をしていて、その全体がカメラであり、周囲の映像を常に録画している。

「8秒前にすれ違った女性の首にペイント、もしくはタトゥーがあったね」

「その人がどこに行ったかわかる?」

「ごめん、わからない。心拍数が上がってるよ。落ち着いて」

 私は足をとめ、息を整えた。見失ってしまった。

 もう私は一生、慌てたり、失ったりすることはないと思っていた。でも、私は再び失った気持ちになっていた。もう大切なものなんて、全部なくなったあとだというのに。

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