009 5 to the 凸

「シュヴァルツ・アーベント=ターゲスアンブルフの名において、リヒト・ノイシュを武監に任命……ついてはフィクスシュテルン・グレンツェンの名を与え…………って、なんだこれ」


「見ての通りだ」



 朝早くから屋敷のあるじに呼び出されたリヒトは、執務室に入るなり手渡された文章に戸惑った。


 滑りの良さから上等の紙であることはまちがいない。飾り文様まで入っており、締めにはターゲスアンブルフの重々しい印章が輝いている。



「帝宮は格式と様式美を琥珀で固めたような場所だからな。ユスラの守護者を名乗るなら、肩書をつけておいたほうが面倒も少ない」


「で?」



「ターゲスアンブルフの権限で用意できる一番上の官職だ。ありがたく受け取れ。ついでにターゲスアンブルフうちの端の領地でもくれてやるから、しっかり管理しろ」


「げっ」



「印章とバッジは急ぎで作らせている。紋章は適当に用意して紋章院に提出、認可済みだ。本年度分の納税も済ませている。貴族議会に出席しろとは言わんが、名簿に名前が載っているかどうかの確認はしておけ。あとが面倒だ」


「……ありがたくて涙が出そうだよ」



 上げ膳据え膳とはこのことだろう。甲斐甲斐しくもまめまめしい一面があることは知っていたが、まさか自分に対しても発揮されるとは思わず、リヒトは微妙な対応をとらざるを得なかった。



 出世は男の夢だ。だがこんなにも手応えがない出世というのも、白けるものがある。苦労しないにこしたことはないのだろうが、あまりにもあっけない。


 それに与えられた武監という役職の意味もよく分からない。名前だけで実がともなっていないのが、なんとも空しかった。



「実績が欲しいのなら今日からでも積み上げる努力をしろ。お前はただユスラのそばにいればいいというわけではないのだからな」


「分かってるよ……」


「それからこれだ」



 シュウが差し出したのは一枚の封筒だった。蝋で封印がほどこされている。封蝋には見覚えがあった。



「……親父に会ったのか?」


「大事な息子だ。事情を説明せねばなるまい」


「別に……」



 大事な、と言われるような息子ではなかったと自覚している。貴族と平民との間に挟まれて反抗的だったし、聞き分けも良いとは言えなかった。


 家を飛び出したのは、父のもとにいてもいなくても、どうせ平民として独り立ちしなければならない将来が見えていたからだ。いずれくる未来なら、いまでも構わないだろう──そんな投げやりな気持ちだった。



「人狼になったことを告げたら、さすがに頭を抱えておられたが、息子の選んだ道ならと言っておられた」


「……そうか」



 息子へ、と書かれた封筒を見つめ、リヒトは力なく呟いた。


 いまはまだ無理だ。ユスラのそばにいなければならない。


 だがいつか、この胸のわだかまりが和らいだら会いに行こう。



 こんこん、と、扉が軽やかにノックされる。


 部屋主の返事も待たずに扉が開き、帽子をかぶったユスラがひょっこりと顔を出した。



「お話は終わった? 馬車の準備ができたって!」


「ああ、今行く」



 シュウがゆったりと腰を上げる。


 マントを羽織った彼に続いて、リヒトも同じあつらえのマントをまとう。



 二人の間にユスラが立つ。右腕をシュウの腕に、左腕をリヒトの腕にからめて、それぞれ顔を見合わせた。

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