007 në54αting

 帝王ライヒの嫡男アインホルン卿は、帝宮内に執務室を置いている。



 むだに広い帝宮を速足で踏破し、尋ねると、しばし待たされ、執務室へと直接案内された。


 室内にいたのは二人、シュウを呼び出した当人のアインホルン卿と、エーミールが注意を促したブリッツ卿だ。



 アインホルンは若さもみなぎる十九歳、母親譲りの美貌で国中の貴族子女の注目を集めている。氏族大公の地位を任されているが、決して血族主義の継承ゆえではない、実力者だ。



 一方のブリッツは、シュウの父親にもなれるような年齢で、帝国内では盤石の重鎮、アインホルンと同じ氏族大公の地位に鎮座している。



 地位だけでなく身分を鑑みても、二人とも格上の相手だ。


 シュウは一切の隙なく、丁寧な礼をとった。



「挨拶はいいよ、ターゲスアンブルフ卿。忙しいから手早く済ませよう」



 それは助かる。


 回りくどいものを好まないシュウにとってもありがたい申し出だ。素直にうなずいた。



「最近、君に関して良くない噂が出回っているが、内容が内容なので女帝陛下も心を痛めておられる。そこで噂の真偽を確かめたい。この場で釈明して欲しいのだが?」



 シュウは考えるふりをした。


 どう受け答えをするかはすでに決めている。起床したあと、移動の馬車の中、エーミールと別れてここに至るまでに考える時間はたっぷりあった。


 ただここで即座に言葉を返しては、いろいろと詮索されかねない。


 こっそりと会話の主導権を握り、思い通りに進めるためにも、一拍の間を置かなければならなかった。



「……釈明の余地などございません。すべて真実です」


「なに?」



 シュウは顔を上げた。


 祖父と孫ほども年齢が離れた二人は、そろって驚愕していた。


 どうやら今回の件に関して、二人の利害関係は一致しているらしい。



 老獪なブリッツ卿が、なにかと目障りなシュウの没落をもくろんでいることは分かっている。ユスラを狙ったのも、神女を隠匿いんとくしていた、国家反逆罪だと訴え、自分は神女を助けた英雄だとでも喧伝けんでんするつもりだったのだろう。



 皇子殿下の腹の内は知らないが、公正明大な一面を持つ彼のこと、悪辣な手段でシュウを貶めようとしているとは思えない。もう少し健全な理由が背後にあると考えられる。



 よって、ここで注意を払うべきはブリッツ卿だ。



「結果から申し上げます。我が家でかくまっている娘は、まちがいなく神女でした」


「ではなぜ報告を怠った? 神女は見つけ次第、帝王ライヒへの報告義務がある!」



 ブリッツの声からは、強いいら立ちが聞こえた。シュウがあっさりと噂を認めたのは予定外だったらしい。


 シュウは落ち着き払い、穏やかに続けた。



「確証がありませんでした。不確かな報告を奏上し、陛下や議会の皆様の貴重なお時間を割くわけにはまいりません。せめてわずかな異能の手がかりをと思ったのですが」


「なにもなかった、と?」


「二年ほど観察いたしましたが、一切なにも」



 嘘も方便という。二年という時間は、言い訳に使うには少々長い。それでもぎりぎり溜飲を下げざるを得ない程度だと踏んでいる。


 また、屋敷内に隠れていたユスラの存在が隠しおおせなくなった頃合いでもあった。


 それまでは子供服でなんとかしのげていたが、十六ともなれば(たとえ子供っぽい体型であっても)不具合が出てくる。妻を娶っていないシュウの家に、女物のドレスが運び込まれるのは誰の目にもおかしい。



 噂を一切出さずに済ませる方法はない。屋敷の使用人も、都合で辞職する者もいる。手の内を離れた人間の口を完全に封じることはできない。──いざとなれば、できなくもなかったが。



「しかしターゲスアンブルフ卿、私の聞き間違いでなければ、貴殿はいま神女だと断言したはず。異能は確認できなかったのではないのか?」


「…………」


「……まさか」



 無言を貫くシュウを見、問いただす皇子の顔色が曇った。



 神女たりえるには三つの条件がある。


 一つは背中の神紋。


 一つは異能の発揮。


 そして最後に……



「もしや貴殿、守護者に──」


「──はい。ご所望であれば、すぐにでもご高覧いただけます」



 神妙に肯定すると、室内に緊張が張りつめた。


 シュウの国家忠誠への敬意もわずかながらに存在する。だがそれを圧倒的に上回る嫌悪、忌避、恐怖。


 だがそれはシュウにとって非常に心地よいものだった。



 ユスラのために一切を奉じる。


 彼らの不快感は、シュウがユスラに捧げたものに対する報酬と同意義なのだ。いっそ快感すら感じる。



 狂ったのだろうな、と、シュウは口の端を持ち上げた。


 後悔はない。ユスラに狂えたのなら本望だ。



「……殿下、裏付けは、必要かと」



 気丈なブリッツですら、声を上ずらせていた。


 まだ年若い青年は感情を持て余している様子を隠せないままだった。顔が青白く見えるのは光の加減のせいではない。



「そう……だな。──ターゲスアンブルフ卿、申し訳ないが、証拠の提示を頼む。ここで見たこと、部屋の外には一切漏らさないと約束する」


「御意」



 短く了承し、シュウはすぐにマントをぬいだ。


 床にはらり、と落とし、そっと目を瞑る。


 まぶたの裏にユスラの顔を思い浮かべ──変化は始まった。筋肉が盛り上がり、服をやぶる。顎が長く突き出て、犬歯が鋭くとがっていく。鈎爪は手袋を裂き、目は爛々と光り、耳の形も変わって、長い髪はたてがみへと──



「……っ、待て! もうよい!!」



 おびえ震え、皇子は声を張り上げた。


 やめろと言われれば是非もなく、シュウの体はたちまち人間へと立ち戻る。服は破れたままだが、マントで十分隠せる。爪も短くなり、床に投げたマントを再びまとった。



「──お見苦しい姿を。申し訳ありません」


「いや……、乞うたのは我々だ。無理をさせてすまなかった」


「いえ」



 定型句を並べながら、シュウは慇懃に低頭した。


 ブリッツが顔をこわばらせていることが、なによりも小気味よかった。

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