第94話 魔族の価値観

 鬼人族の戦士たちに見送られて、前線の宿営地を後にする三人。

 ここでは残念ながらパーティーは増えなかった。

「悠斗殿、体は大丈夫ですか?」

「まああの程度なら」

 バーグルを倒した後も、散々に鬼人族の戦士から試合を挑まれた悠斗である。

 さすがに100人近くまで勝ち続けると、体力の限界で負けてしまったが。

 

 だがおかげで、悠斗の強さは鬼人族全体で認められそうだ。

 強さが基準の魔族の中でも、鬼人族は肉弾戦に重きを置く。

 あの試合のルールでは本当の殺し合いの技術とは全く別のものなのだが、そもそも鍛えるということが鬼人族は好きなのだ。

「こう言ってはなんですが、野蛮でしたね」

 リューグがふと洩らしたが、それには首を傾げる悠斗である。

「野蛮だったかなあ? ラグゼルはどう思う?」

「軍事的な集団だからあんなもんだろ。神殿の影響下にある人間よりは、よほど文明的だと思うが」

 その言葉はリューグにとっては衝撃的だった。


 神殿、つまり神の権威の否定。

 もちろん神殿が腐敗し、それに対抗する勢力に自分がいることは分かっているが、ラグゼルの話し方だと少なくとも聖女派よりは鬼人族の方がまともとさえ捉えているのでは。

 そんな表情のリューグに気がついて、悠斗はこれは自分が教えることかと考える。

 なにしろ間違いなく、息子であるのだし。

 この世界で単に騎士としてだけ生きていくならともかく、これからはそんな価値観では、生き残るのに苦労するだろう。


 だが最初にどう言うべきか、少し迷う。

 こういう時は地球の知識と、多数の世界を転生してきた雅香の知識が役に立つ。

 基本的に雅香は、その存在の基準を他の何者にも置いていないため、ありとあらゆる意味で正しい。

「リューグ、究極的なところ、生きていく上で必要なのは、力と知恵、どちらだと思う?」

「寓話ですか? それは知恵でしょう」

「そっからかあ」

 悠斗が呆れ、ラグゼルも苦笑した。

「魔王を倒した勇者ならばともかく、賢者が知恵より力を重視するのですか?」

「魔王を倒すのに必要なのは、知恵ではなく魔法の力だったからな。それを置いても、力が知恵より重要だというのは確かだ」

 リューグはやはり釈然としないようだ。

 ならば次の問いはどうだろう。


「それじゃあリューグ、大地を耕し穀物を実らせる平民と、お前の仕える大国の王、尊いのはどちらだ?」


 この質問に、リューグは咄嗟には答えられなかった。

 それは間違うことを恐れたのではなく、悠斗がおそらく、リューグの持つ価値観を叩き壊す決定的な論理を持っていると感じたからだ。

「それは……さすがに王ですが」

 顔を見合わせて溜め息をつく、悠斗とリューグである。




 オーフィルの文明レベルにおいては、人間の生み出した価値観は中途半端に発展している。

 これは力による支配が、神々などの権威によって歪められているのだ。

 平民と王、尊いのは平民である。

 なぜなら平民は自分一人で食っていけるが、王には作物を育てる手段もない。

 言葉遊びにも思えるが、これが正しい認識である。


 リューグにはどうにも納得出来ないらしいが、それは彼が王が必要とされるシステムで育ったからだ。

 人間はその数が増えると、力を上手く活用するために指導者が必要となる。

 それが王という立場の原始的なものであり、それが血統で継承されていくのは、王が王たるために必要な思考などを、後継者に伝えていくからだ。

 つまり王である役割を果たさない王は、偉くも尊くもない。

「しかし……やはり政治を行うべき者が上にいないと、逆に混乱しませんか?」

「それはそうだけど、オーフィルも王は現場を知らないだろう?」

 悠斗が想定するのは、地球の日本やアメリカなどの国家ではない。

 月氏十三家だ。

 あそこは春希がそうであるように、名家と呼ばれる血統の人間でも、よほど能力が向いてない限りは現場を経験する。


 悠斗と現在のオーフィルについて語り、ラグゼルも気がついたものだ。

 魔王軍の方が人間より戦力に劣るにも限らず、考え方は合理的だ。あるいは現実的、現場的だ。

 上が何を考えようと、現場でそれでは都合が悪いなら、上の考えが間違っているのだ。

 そして長の息子であっても娘であっても、上に立つには必ず最初は前線を担当する。

 そこで死ぬ可能性も高いが、前線を経験していない者を上に立たせるよりは、前線を経験することを重視する。

 それに血族がいたとしても、相応しくないと思われれば、支持されることがない。


 このあたりの考えまでは、リューグにも分かる。

 だが人間の社会の場合、王族や貴族がその生まれつきから受けている、相応しい教育や礼法などがあるではないか。

「それは無駄に複雑にして、自分たちの血統を続かせるための手段だ」

 悠斗はばっさりと切り捨てる。

 前世ではそれなりに、オーフィルの人間社会に合わせて、王族や貴族を尊重していた悠斗だが、転生して日本の中の月氏十三家を体験してからは、雅香の作り出した魔族の社会の方が便利だと分かる。


 一つ確実に言えること。

 貴族はその権力で、無能でありながらも存在することが出来る。

 しかし魔族の場合は無能であり、権力を振りかざすようなことがあれば、排除される。

 自らが貴顕であるがゆえに貴顕なのではなく、相応しい者であるがゆえに尊重されるため、魔族にも名門というものは存在するが、その中に腐敗は存在しない。

 もちろん粗暴な者はいるが、それは戦争では前線に回されて、それ以上の成果を上げることを要求される。


 他には、神に祝福される者は、圧倒的に平民が多い。

 それは平民がそれに相応しい行いをするということもあるのかもしれないが、そもそも平民の数が圧倒的に多いからだ。

 聖職者でも最も上の教皇で神になった者は一人もいない。

 神殿の上部に必要とされるのは、神への信仰や民衆への行いではなく、組織運営力だからだ。

 よって教皇や枢機卿などを、無理に蔑む必要もない。




 リューグはカルチャーショックを受けているようだが、気持ちは分かる。

 悠斗の価値観に多大な影響を与えた雅香にしても、自分が女に転生していなかったら、なかなか気付けなかっただろうと言っていた。

 基本的に女というのは、社会を回すのに適した性ではない。

 より正確に言うなら、社会を回そうとすれば、女にとっても社会にとっても重要な、出産と育児という役割に全力を注げない。

 魔王であった雅香は、自分自身は女を捨てていたがゆえに、女性の変な社会進出など考えず、女は家庭を守る方が効率的だと考えていた。


 ならば現在の地球の、特に日本などの先進国の、女性の社会進出はどう考えているか質問したこともある。

 雅香は少子化などは、女性の社会進出や保育所などではなく、もっと単純な問題があると指摘した。

 核家族化だ。


 大家族から核家族へ、個人のプライベートが重視される世界になりつつあると言われているが、雅香はこれだけは間違っていると考えていた。

 実際のところ十三家も、死人の出ることが多いので、日本の平均よりもかなり出生率が高い。一つの夫婦で平均で三人は確実に産んでいる。

 これは雅香が、魔族の中でも出生率の低い吸血鬼や、逆に出生率の高い獣人などを見て気付いたことである。

 吸血鬼はめったに子供が生まれないので、生まれた子供を一族単位で大切に育てる。育児の負担が母親だけにかかる割合は少ない。

 獣人などは逆に母親たちが集まって、手の空いている者や得意な者が子供をあやし、苦手な者はまた違った家事などをしたり、あるいは男に混じって働く。


 日本も古来はこのシステムが生きていて、育児という技術が伝わっていた。

 現在は必要以上に家族が細かく分断されたために、母親という存在は以前よりも多くの技能を求められている。

 また若者の貧困化と晩婚化も、本質的な問題ではないと言った。

 貧困化と言っても実家であれば、まず住居費が必要ないし、食費なども安く抑えられる。

 妻が夫の実家で生活することにストレスを感じるとは言っても、別に二人だけで生活してもストレスは生まれる。

 それを上手く愚痴ったりする相手のいる大家族の方が、問題はこじれないだろうというのが雅香の実感であったらしい。


 もちろん悠斗としては、女ではないし、父親になったこともないので偉そうなことは言えないが、姉が実家でのんびりと過ごしているのを見ると、雅香の言葉には説得力があると思う。

 むしろ男が女の家に入ることを普通にすれば、妻のストレスはなくなるのではないかとも思った。




 さて日本のことはともかく、魔族の価値観である。

 リューグとしてもそれは、ある程度効率的で合理的であると認めざるをえない。

 だが理屈の上で正しくても、感情として納得出来るかは別の問題だ。

「まあ、悩むことだな、息子よ。って、そういえばお前は恋人とかはいないのか?」

 急に父親面をしたくなる悠斗であった。

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