第70話 おうち探し
家を借りる。あるいは買うということが、これほど難しいことだとは思わなかった。
だが悠斗は前世でも現世でも、家を借りるという経験をしたことがない。
ほかの調査団の人間も、おそらくそれぞれの国で、家を借りるということ、買うということは簡単なことだったのだろう。
貨幣経済が発達した地球とは、どうやら不動産の価値は違うらしい。
悠斗としても困るのだ。
出来れば買ってしまいたい。借りるのでは、借家権などがどうなっているのか、この国では分からない。
金さえあればどうにかなるだろうといのは、あまりにも甘い見通しであったということか。
さっさと家を買って、他に色々とこなしたいことがあったのだが。
役所のおばちゃんは、ちゃんと親身になって考えてくれた。
悠斗の言葉が本当だとすると、これはそれなりに大事な案件だからだ。
直接の国交はないにしろ、国家間の外交につながるかもしれない。
あるいはここで市長に話を持っていく方が、話は早かったのかもしれない。
しかし間が悪いことに、悠斗の仲間たちは一度本隊に連絡に戻ってしまっている。
悠斗の年齢はオーウィルでは成人年齢ではあるが、それでもひよっこには違いない。
市長と政治的な話をしたとしても、悠斗にそのまま便宜を諮ってくれるとは限らなかった。
だがおばちゃんの年季を舐めてはいけない。
「ようするにあんたは、それなりに自由に使える建物を、ちゃんと後ろ盾付きで借りたいわけだろ? そしたら既に後ろ盾の充分な人を頼ればいい」
「既にと言うと、役人か土地の名士、富豪などになるでしょうか」
「分かっているじゃないか」
この街の経済はおおよそ中小の個人経営商人が回しているが、商会と言っていい規模の人数を使い影響力を持っている商人が、シャーロット商会のエディンガムという男である。
地方の街を牛耳るというほどではなく、だが確実に権力者とのつながりを持ち、商人にとっては常識的な範囲で欲深い。
悠斗がもらったのは、そんな男への紹介状であった。
(商人か。あんまり前世では付き合った記憶がないんだよな)
前世でのつながりが一番強かったのは、前線の軍人、そして貴族に神殿関係者、王族といったところである。
まあおおよそ権力者というのは分かりやすく腐敗しているものであるが、魔王との戦乱が長く続いていたおかげで、ただ血統だけのいい無意味に腐敗していた貴族などは淘汰されていた。
王族にしろ実験を奪われて、宰相の一門が国を動かしていたなどという例はある。
しかし商人は知らない。
確かに物資の手配などには商人の動きがあったはずであるが、悠斗が直接交渉した事例はない。
交渉ごとで強かったのは、そもそも人間の規範が通用しないエリンや、弱みを見つけるのが上手いラグゼル、それに正論一本調子の大正義聖女であった。
悠斗の基準ではエディンガムは、まあ善人の範囲になる人間である。
商人なので利益の追求はするが、人に恨まれることは出来るだけ避けている。
ブラックな環境ではあるが孤児を雇い、食わせるだけの雇用を創出している。
(日本の労働基準法の範囲で働いてたら、この世界では生き残れないからなあ)
人権批判などはしない悠斗である。そもそも勇者などというのは三日三晩どころか数ヶ月に渡って魔物や魔族と殺しあう、思考にブラックなお仕事であった。
さて紹介状を持って、この街でも市庁舎などの次ぐらいに大きな建物へ、ほいほいとやってきた悠斗である。
紹介状があるので門前払いなどは食わないが、すぐさまエディンガム本人と会えるはずもない。
何人かいる手代の一人が、悠斗に会ってくれた。
お茶も出ているので、反射的に追い返すということもないのだろう。
商機はどこに転がっているのか分からないのだから。
30歳ほどのその男は、会社に例えると課長といったところなのだろうか。
なんだかんだ言って普通の世界の会社で働いたことのない悠斗は、アルバイトの面接ぐらいの感覚である。
いや、アルバイト自体はしていたが、魔物の駆逐というのはかなり特殊な部類であるし、言うなれば伝手でのお仕事だったので。
「なるほどなるほど。お若いのにたいしたものだ」
自分も商人としては若いだろうが、確かに悠斗は若い。かろうじて成人したぐらいがこの世界での認識である。
「私どもから仕事を紹介して、その代わりに家をお貸しするということでどうでしょう?」
「出来れば先に仕事をこなしてしまって、その対価としてしばらく家を借りるという形がありがたいのです。この街にいつまでも滞在出来るか、私の一存では分からないので」
「……契約書をしたためましょうか?」
「この国の文字が読めないので、口約束でけっこうです。ただ紹介状にも書いてあるでしょうが、私はゴーレムを一人で狩れる程度の力はありますので、まあ誠実にどちらも利益が出るようにしたいですね」
パチパチ、と手代は瞬きした。
「貴方はお国では、それなりの階級の出身ですか?」
「私の国には名家の類はありましたが、基本的に皇室以外には貴族もいませんでした。ただこの国と比べると、庶民の受けられる教育の質は高いですね」
「なるほど、商人的な考えですな」
商人がそう言うのは、おそらく誉めているはずだ。
「ではまずこちらが、家をしばらく貸すだけの依頼を出し、そちらがそれを達成したら家を用意すると」
「そういう認識でお願いします」
「なるほど! 実はお願いしたいことがちょうどあるのですよ」
悠斗が提供出来るのは、まずは戦闘力である。それ以外にも色々とあるが、下手に利権と関わるものはまずい。
「実は街道にグリフォンが出没しているのですが、ご存知ですかな?」
「ああ、知っています」
「そのグリフォンを討伐して、幻獣の素材を手に入れたいのです。出来ますかな?」
遅いよ。
「……あの、グリフォンの討伐は役所の依頼でもうしてしまいました。遺体はそのまま残してきたので、たぶんもう他の獣に食い荒らされているかと」
「……」
「……」
痛い沈黙であった。
悠斗がそんな嘘をつく理由はないし、調べればすぐに分かることである。
それにグリフォンの件は依頼が出ていたから分かりやすかったが、神樹の森が近くにあるこの街は、さらに大きな都市へと幻獣素材を運ぶために、狩人がやってくる場合があるのだ。
商会にしてもグリフォンに限らず、幻獣の素材が手に入るのなら、それはいくらでも金に出来る。
手代であるジョーイが持ってきたのは、商会が現在必要としている幻獣素材である。
また必要でなくとも、やろうと思えばすぐ現金化出来るものもリストにある。
ようするに役所を通さずにお仕事をして、その代金代わりに家を借りるということだ。
既に持っている家を、そのまま借りるというわけだから、当事者同士で話がついていれば問題はない。
もっとも大きな家を借りるので、それなりに大きな成果を上げてこないと困るわけだが。
「フェニックスの尾などはどうでしょう?」
「さすがに無理です」
無理ではないがフェニックスは割りとエルフと友好的な、神獣レベルの幻獣なので、狩るわけにはいかない。
「そういえば神樹の森を移動していた時、黒い髪のエルフと出会ったのですが、この大陸では黒い髪のエルフは珍しくないのですか?」
「ああ、その話ですか」
ジョーイは少し声を潜めた。
「彼女はハイエルフのようです。なにしろハイエルフというのは私たち人間より先に生まれた種族というものですから、よく分かっていないのですが」
そういう認識なのか。
しかし幻獣の素材を集めるために、神樹の森に入るというのは、悠斗にとっては好都合であった。
エリンもアテナも、存在自体は有名であるが、その行動は素早いものであり、どこにいるかは分からない。
だが神樹の森を長く離れることはないだろうとは推測出来る。
「じゃあこの三つのうちのどれかを狩ってきます」
「荷物持ちはいりますか?」
「いや、必要だと最初から分かっていれば、ちゃんと輸送する手段はありますので」
かくして悠斗のおうち探しは、またテンプレ的な幻獣討伐とセットになったのであった。
一度本隊への合流を目指す。
連絡を常に維持しておくことは、軍事行動の大前提である。このオーフィルでの活動は、軍事活動と言ってもいい。
ただこの神樹の森の上空を飛ぶのは、幻獣種の攻撃を受ける可能性があるので危険である。
身体強化をして探知しながら走れば、ちゃんと本隊には合流出来た。
だがどうやら数は半数になっているようである。
他の分隊はどうやら、全員が一度帰還してきたらしい。
だが情報収集はそれなりに出来たものの、現地の有力者との接触に成功はしなかった。
そもそもこの世界の価値観なども分かっていないので、確かにそれが難しいのは間違いない。
それだけに悠斗の働きは、たいしたものだと認められた。
「拠点の確保か。確かに重要だな。魔物の討伐には人数を出そうか?」
「実はそれを期待していまして」
単体の幻獣であるなら、悠斗の力でたいがいはどうにかなる。
だが問題はこの神樹の森では、そこそこ強大な幻獣がうろうろとしていることだ。
あと、下手に深入りすると、エルフとの戦闘になる可能性がある。
前世ではエリンが橋渡しをしてくれて、人間には協力的になっていたが、基本的にエルフは棲息圏に他の種族が入ることを嫌う。
勇者の死により中立化したエルフに、あまり友好的な反応は期待しない方がいいだろう。
悠斗と一緒に行動してくれるのは四人。戦闘力重視だ。
その中にはジャンとレイフが含まれていた。
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