第2話 変わる世界と考える幼児
悠斗は腕を組んで考えている。眉を寄せて、しかめ面を作っている。周囲の子供は各々勝手に遊んでいるのに。
幼稚園に通う五歳児としては、その格好はとても未熟な幼児とは言いづらい。実際幼稚園の先生方も、悠斗の扱いには困った顔を浮かべることが多い。
考える幼児。
それが今の悠斗である。
ゴブリンがこの世界で発見されて、五年の月日が流れていた。
当初新種の猿か、突然変異かと騒がれていたゴブリンは、すぐに日本以外の各地でも発見されるようになった。
そしてその生態と凶暴性、猿よりもよほど高度な知性が明らかになるにつれ、世界はこの生物についての対処に迫られることになった。
動物愛護団体の吠え声は、出現からわずか数ヶ月で消滅し、ゴブリンは極めて危険な害獣という認識を持たれていた。
正直悠斗が最初に懸念していたのは、ゴブリンの凶暴さよりも、もしかしたらあちらの世界の病原菌などを持っていないかということであった。
大航海時代、大陸間の移動で病気が広がった史実がある。もしゴブリンがあちらの世界から来たのなら、あちらの世界特有の病気や毒、寄生虫などを持っている可能性があった。
もっともそれは解剖した医師や研究家により、ちゃんと否定されている。むしろゴブリンの内臓から取れる成分は、薬にさえ転用出来るとのことだ。あちらの世界でも、特に肝臓や腎臓は使われていた。あと睾丸も。
悠斗があちらの世界に召喚された時も、最初は浄化の魔法で地球の病原菌を死滅させたものだ。勇者としての加護があったので、向こうのほとんどの病気や毒にはかからなくなっていたのだが、悠斗が持ち込むものの方が危険だと認識されていたわけだ。。
そのあたりあちらの世界は、衛生学的にもかなり進んでいたと言える。
ゴブ猿とも俗に言われるこの生物は、所謂ファンタジー生物であるゴブリンとよく似た特徴を持っていた。なおあちらの世界では、ちゃんと本来の名前があった。ただ悠斗はずっとゴブリンと認識していた。
本来の出典なら妖精であるこの生物は、流斗の知るあちらの世界では明らかな魔物であり、そして危険な存在であった。
ゲームやアニメなら最弱のこのモンスターであるが、少なくともあちらの世界では弱くはなかった。
それより劣る体格のチンパンジーの握力が凄まじいことを考えても、同じぐらいの背丈の人間の子供では、歯が立たないどころか餌食になるだけである。
あちらの世界でも、それなりに鍛えた大人がちゃんとした装備をして、対応するものであった。
もっとも単体として見ればやはりその戦闘力は低く、脅威度は繁殖力や生存力にあったのだが。体格のいい一般人が農具で撃退出来る個体もあった。
ゴブリンは強い。だがそれ以上にまず、厄介である。
世間がなんとなくゴブリンと呼ぶようになって、そしてその存在が各地で散見されるようになって、その事実は知られていった。
五年の間に、既に日本だけでも数千人の死傷者が出ている。
それは主に山林地帯に集中していて、日本の田舎の過疎化が一気に進んでいった。そして社会そのものも、変化せざるをえなくなる。
まず、民間人に武器の携帯が簡単に許されるようになった。
もちろん銃などの殺傷力のある物は別だが、刃物や凶器を所持することが、簡単な登録で可能なようになったのだ。加えて護身用の道具の開発も進み、簡単に買えるようになっている。犯罪歴さえなければ、基本的に空気銃も買える。
そしてインフラの一つである道路や線路を守るため、自衛隊が増員されることとなった。
当初は警察の戦力をそれに当てる予定であったが、日本はゴブリンが繁殖しやすい、森や林といった自然環境が大いに残る国である。警察の装備ではゴブリンが多数出た時には対処出来ない。数も足りない。
最初は災害出動であったが法律の改正も驚くほど早く進み、現在の自衛隊は規模を拡張し、装備も一新されている。
国内での政治問題は複雑になったが、日本はまだ対応に成功していた部類だ。
それに対してお隣の国は文句を言ってくるのだが、増大する民間人の被害という現実は、珍しく政府に強硬で力強い判断を与えた。
組織が整備され民間人の武装化が進み、それでもゴブリンの被害は減少しても消滅することはなく、政府は新たに民間の武装組織を設立することになった。
半国営でもあるが、ハンター組合がそれである。
民間人の中でも特に格闘技などの心得があり、犯罪歴がなく、面接もした上で銃器さえ携帯することを許されたのが、ハンターである。
(まるで冒険者ギルドだな)
悠斗は異世界にあった組織を思い出して、かすかに笑う。それを眺める幼稚園の先生方は、かなり不審者を見る目をしているが、それでも幼児は幼児なのである。
だがその幼児だけが、ゴブリンの真の恐ろしさと、根本的な疑問を抱えている。
ゴブリンは強いが、それが顕著なのは戦闘力という点ではなく、生き抜くという生命力に溢れた部分である。
雑食で腐敗した物も平気で食べ、繁殖力も旺盛で早熟である。ゴブリンはあちらの世界では単体では弱い生物だったが、群れを形成して村を壊滅させる生物でもあった。
歴戦の戦士でもゴブリンの大群と、それを指揮する上位種や亜種の前に、屍を晒すことになるのはよくあることだった。
ベテランのくせにゴブリンばかりを殺しまくっていた冒険者もいたほどである。会ったのは一度だけだが、おそらく魔王の消滅した世界で一番必要とされるのは、彼のようなゴブリン殺しだろう。
何よりゴブリンによる、農作物の被害は洒落にならない。
基本的に肉食を好むので、山林での害獣駆除に頭を悩まされていた一部からは、むしろ益獣ではないかと思われた時期もあった。
もっともゴブリンは野生の獣と違い、たやすく人を襲う。
さてそもそも、地球のゴブリンはどこから現れたのか。
自分が生まれて間もなく、ゴブリンは地球で確認された。そして懸命の駆除が行われているにも関わらず、絶滅させることは出来ていない。
あちらの世界においてゴブリンは野生のものもいたが、原初の時代では迷宮で産まれる生物でもあったという。
邪悪な神々が創造したと言われる迷宮が、向こうの世界ではあった。
つまりこの世界にも、迷宮が出現したということなのだろうか。
そしてその時期が悠斗が転生したのとほぼ重なることを考えると……嫌な予感がする。
逆にそもそも、どうしてこちらの世界のファンタジー生物であるゴブリンどもが、名前こそ違え向こうには存在したのか。
こちらの世界とあちらの世界には、やはり何らかのつながりがあるのだ。
この五年の間に、曽祖父が亡くなった。
健康マニアでウォーキングを欠かさない曽祖父であったが、死因は心不全であった。前兆も全くなかったので油断していた。
悠斗がその場にいれば、魔法で助けられたかもしれない。
曽祖父は前世から孫を可愛がる人であったが、曾孫に対してはより強い愛情をかける人であった。
たとえ加齢臭のする口を近づけても、父のようにお口臭いとは言わなかった。
ただ自分が存在するだけで、幸せを感じてくれる。曽祖父はそういう人であった。
曾祖母は一時期相当に気落ちしていたが、今では復活し、曾孫がいる年齢にも関わらず、農作業などをしている。
都市の近郊に小さな畑を借りて、野菜を作っているのだ。
土日は祖父母もそれを手伝い、菅原家の食卓には新鮮な野菜が並んでいる。
実際のところ、ゴブリン被害によって、都市近郊での農業は、かなりのブームとなっている。
逆に隔離されうる集落は、どんどんと過疎化が進んでいる。
この五年で、食材の値段は高くなった。
ゴブリンが発生したことにより、獣の被害とは比べ物にならないほど、畑を荒らされる例が増えた、というわけではない。
山林に面した農耕地で人が農作業を行うことの、コストが増えたからだ。
ゴブリンは人間には及ばないが、それでも他の類人猿よりはよほど賢い。狡猾で残虐という点では人間を上回る。
単なる鉄条網ももちろんだが、電気を流した鉄条網も、木材の切れ端などを使って越えて来てしまう場合がある。
幸いと言うべきか、日本の食糧生産の大きな部分を含める北海道には、今のところゴブリンは出現していない。確かにあちらの世界でも、割とゴブリンは寒さに弱かった。
道民の農家の皆さんも元々害獣駆除に慣れているので、ゴブリン単体であれば対処可能だろう。
海外では食料の生産地を守るため、軍が大規模に展開されている国もあるのだ。中国などは国家体制の崩壊の危機にある。
アメリカは軍の大作戦で、一気にゴブリンの殲滅を狙った。だがそれは完全に成功しているとは言えず、自衛の意味もあって、ハンターギルドはまずアメリカで誕生した。
しかし、と悠斗は考える。
なぜゴブリンだけなのか、と。
あちらの世界ではゴブリン以外にも、凶悪な魔物が生息していた。傭兵や冒険者のギルドでは、一定期間の村の守備の依頼が絶えることはなかった。
その中には、単体で数百のゴブリンを殺戮するような魔物も存在した。
たとえばオーガなどなら、口径の小さな銃では致命傷を与えることは難しいだろう。頭部に当たっても、おそらく目や耳を貫かなければ骨に当たって致命傷にはならない。
まだゴブリンの上位種や、凶悪な魔物は出現していないのか。それとも……。
既に出現していて、それを密かに退治しているのか。
前者ならいい。これ以上この世界に、あちらの魔物が出現するのはまずいだろう。特に魔法を使うような存在であれば、完全装備に身を包んだ軍隊でも、全滅する可能性が高い。
単なる戦闘力だけならまだしも、石化や毒、麻痺などの特殊攻撃をしてくる。
そして後者なら、悠斗の仕事は任せてしまってもいいかもしれない。
次こそは平穏な一生を送ると決めていた悠斗は、地球の軍事力で魔物の被害をどうにか出来るなら、自分は目立ちたくもないのだ。
もちろん家族や知人などは守るつもりでいるが、そもそもまだこの五歳児の肉体では、戦闘力が乏しすぎる。ゴブリン程度なら上位種でも後れは取らないが、アンデッドや高位魔族が相手ならば、専用の武装も必要となってくるだろう。
とりあえずこっそりと修行は続けるが、積極的に魔物を退治することは避ける。
それがこの五歳児の考えであった。
しかしそれは間もなく、放棄されることとなる。
魔法の存在が、公になった。
そのニュースは世界各地でほぼ同時に伝えられ、ほぼ全ての人々が驚愕した。
最初にそれを伝えたのは、軍備に優れた先進国ではなくインドであった。
インドの修行僧たちが魔法を使って、ゴブリンの大群を退治する映像が流されたのだ。
ゴブリンの出現率が低い寒冷地帯はともかく、その他の地ではどんどんと魔法を使う人間がいると明らかになっていった。
特にその情報を積極的に発信したのはアメリカである。
彼の国では魔法とは言わず超能力と言っていたが、それは悠斗の目からすると、明らかに魔法であった。
体内の魔力、あるいは周囲の魔力を使用して現象を起こすのが魔法であるが、テレビの検証番組などを見ると、明らかに魔法であることが分かる。
「凄いな…」
テレビを見やる流斗に対して、母が声をかける。
「悠斗も魔法使いたいの? あなたの叔父さんも、そういうのが好きだったのよね」
確かに、前世の自分はそうであった。
母ちゃんは昨年生まれた悠斗の弟を抱えていた。悠斗があまりに手がかからないので、もう一人作ってしまったのだ。
なお、現在はごく普通の赤ん坊らしい反応を示す弟に、手をわずらわせている。
そう、妹ではなく弟だった。とりあえず関係はないが。
悠斗は首を傾げた。曖昧に笑って、短く答える。
「使えたら便利だね」
魔法使いに俺はなる! と発作的に言い出さないのが幼児らしくない。
それにしても、現代日本で普通に魔法が使えるようになるとは。
正確に言えば、元々そういう人々はいたらしく、どうやら日本でも公務員以外にハンターで、魔法を使える人がいるらしい。さらには国を裏から支えてきた組織という都市伝説まで生まれているが、これも意外と信憑性は高い。
検証番組に出ていたのは、民間の魔法使いの一人である。もっとも使える魔法はとても実戦に投入出来るレベルではなかったが。
それはおそらく戦えるほどの魔法使いが希少なのではなく、普段は隠れているからだ。
これまでの地球、つまり悠斗が生きていた時代の地球では、個人の戦闘力が軍を圧倒することはなかった。
実のところは政府やそれに準ずる組織によって、既に組み込まれていたのだ。
確かにあちらの世界でも、高位魔族は強大な力を持っていたにもかかわらず、魔王が組織化するまでは、人間の存亡を脅かす存在ではなかった。
魔王はその力もだが、何より発想が脅威だったのだ。
この先悠斗が生きていく上で、おそらく政府をはじめとする組織と接触しないでいられるのは、かなり難しいだろう。魔力隠蔽で単純な測定は防げても、地球の魔法使いの基準が分からない。
家や学校といった活動範囲では、魔法使いと思えるほどの魔力を持つ人間を感知したことはなかった。しかし悠斗と同じように、それを抑える手段があるのかもしれない。とにかく情報が足りない。
そして問題なのは、魔法の訓練がしにくくなったということだ。下手に大きな魔法を使うと、必ずその魔力は探知される。そしたら悠斗の存在は、何れかの組織に勧誘されるか、逆に抹殺されかねない。
悠斗には守るべき家族がある。逆にこちらから売り込んで、家族の安全を保障させるというのも手なのだが……。
(結界を作ってその中で訓練……。結界そのものを探知される場合があるか? 地球の魔法の技術レベルが分からないと、どういう手段が有効なのか分からないな)
一応今までの魔法の訓練では、目を付けられてはいないようなのだが。
悠斗が個人的な悩みを抱えている間にも、世界は変化していっている。
まず南米で、大規模なゴブリンのスタンピードが確認された。
皮肉なことにそれが発生したのは南米でも有名な麻薬の栽培所で、違法な武装組織がゴブリンの大群と戦闘することになった。
駆逐されたゴブリンはおよそ二万匹。しかし隠密に優れたゴブリンにより、武装組織のほうも壊滅的な痛手をこうむった。
ゴブリンは害獣ではあるが、たまにはいいことをするのだな、と悠斗は思った。
だが世間の考えは違った。
武装した集団を相手に、ゴブリンが多大な被害を与えたということ。それはつまり、国家に対しても群れをなして敵対する可能性があるということだ。
政府は憲法第9条を変えることなく、害獣駆除のために更に自衛隊を増強した。
軍備に金を取られるというのは国家の滅亡への道だったのは近代まで。現代であれば兵器の売買で経済が回って、良い影響を与えることさえある。
そして将来の自衛隊員育成を目的として、学校には体育で格闘技の授業を、また特異な学校として、魔法使いの育成機関を設立させることとなる。
国立魔法学校。
その体制が完全に機能し始めたとき、悠斗は12歳になっていた。
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