文妻と[   ]

来堂秋陽

2年生篇

文妻と私(空手部篇)

 男子空手部がロードワークから帰ってきた。

 道着姿に混じって一人だけ、学校ジャージのヤツがいる。

「またあいつか……」

 思わず声に出して言うと、一年が苦笑気味に反応する。

文妻ふみつま先輩ですか。熱心ですよねぇ」

「部員でもないのに、なんだって練習に参加するかな」

「まぁ、いいじゃないですか。男子部だって、決して人数多いわけじゃないですし」

「だったらなおさら、部員になって活動すればいいと思うんだけど」

「文妻先輩、『縛られるのは嫌いだ、俺は風来坊だから』とか言ってましたよ」

「毎度思うけど、ふざけたヤツよね」

 私が吐き捨てるように言うと、別の一年が口を挟む。

「なんだかんだ言っても、部長も気になってるんですね、文妻先輩」

 その言葉を発した一年をぎろっと睨むと、きゃーとか何とか言いながら逃げる振り。

 まったくもう、文妻がくると毎回こうだ。質実剛健がモットーの女子空手部部長として、やっぱり一言言わずには済ませられない。

「ちょっと文妻!」

 私の棘のある呼びかけに、ロードワークから帰ったばかりにしては、正規の部員よりも息が上がってない文妻は軽く片手を挙げて応える。

「よう、女子空手部の上坂陽子うえさかようこ部長殿」

「今更フルネームを確認しなくたってわかってるでしょうがっ」

「まぁ、そうつんけんしなさんな」

 余裕の笑みを浮かべながら手をひらひらと振る文妻。

 むぅ、いつもながらのらりくらりとしてむかつくヤツ。

「あんたは、あれほど私が言ったのにわかってないのねぇ」

「わかってるって。言われたとおり、女子部の練習には顔出してないだろ?」

 そう、以前、文妻は『体を鍛えたい』と称して、よりによってうちの女子空手部の練習に参加していた。

 一応、言われたとおりの練習はするけれど、一年とかにちょっかいを掛ける事が多いので、出入り禁止にしたのだ。

 そしたら、今度は男子空手部の方に顔を出すようになって、今日みたいに何事もなかったように出てくる。

 こんないい加減なヤツの割に、うちの一年に割と人気があるのがまた癪の種ってヤツで……。

「活動場所がおんなじ男子部に顔出してりゃ同じことでしょうがっ!深江っ!あんたも断りなさいよ!」

 私が水を向けた男子部部長、深江寛樹ふかえひろきは、文妻そっくりのニヤニヤ笑いで私を見る。

「男子部の活動にまで口出して欲しくないなぁ」

 こいつもむかつくわ。

「とにかく、あんたが来ると、うちの一年があの有様なのよっ!」

と、指差した先で、文妻に控えめに手を振っていた一年たちがびくっと背筋を伸ばした。

「緩みきって練習にならないから、少しは遠慮して欲しいんだけど?」

「たまにはリラックスしないと。始終気を張ってちゃ物事は上手くいかんぞ?」

 一年に手を振り返しながら文妻が答える。また手を振り返そうとしていた一年を視線で止めると、私は本格的に文妻に詰め寄った。

「だぁ、かぁ、らぁ! 練習中なのよ、わかる? れ・ん・しゅ・う!それなのに気を張らないで、いつ気を張るってのよっ」

「まぁまぁ、待てって上坂」

 みかねたのか、深江が割って入ってきた。てか、その顔に貼り付いた苦笑は一体なんなのよ深江。

「文妻は、結構まじめに活動に参加してるぞ。部員になるならんは本人の意思次第だし、女子部の緩みは部長の責任だろう。文妻を一方的に責めるのは筋違いってもんだ」

 んむぅ……。確かにそりゃ正論だけどさ……。

「これで結構文妻は強いぞ? 組手をしたら、俺でも負けることが多くなってきてるくらいだし」

「そりゃ深江がだらしないだけでしょ」

 顔に貼り付いた苦笑が、少々情けない笑いに変わる。とは言え、一応深江の名誉のために言っておくけど、これでも県大会では毎回ベスト十六には入る実力の持ち主なんだよね。私よりは弱いんだけど……。

 と、ここで文妻をとっちめるアイデアが急に思いついた。こんな簡単な事が、何で今まで思いつかなかったんだろ。

「文妻。私と勝負しましょう」

「へ?」

「は?」

 その場にいた全員が、盛大に疑問符つきの声を上げた。

「組手をやりましょうって言ってるの。文妻が勝てば、私ももうごちゃごちゃ言わないし、練習に参加するなり何なり好きにすればいい」

「ほうほう」

 あっけにとられている周囲と対照的に、文妻は興味深げに頷く。

「ただしっ!」

 ちょっと演出もあって大きな声を上げる。

「私が勝ったら、もう空手部の活動には顔を出さないこと、いいわね」

「まぁ、悪くないアイデアだが」

 文妻はなんのつもりなのか、立てた人差し指を顔の前で横に振る。

「俺は、」

「女には手を出さない、とか言わせないわよ」

 予想通りの台詞を言おうとしたようで、文妻は情けない顔をして黙り込んだ。これだけでもちょっとすっきり。

「言っておくけど、私は深江よりも強いわよ」

 文妻が確認するように振り向くと、深江は情けなさそうな笑いで頷いた。

「組手じゃ最近勝ったためしがない」

「なるほどな」

 何がなるほどなんだかわからないけど、文妻は私の方に振り向いて、目を合わせてきた。

「やるの? やらないの?」

「OK、勝負しようか」

 何のつもりか、文妻は斜に構えると、人差し指と中指で指招きなんかしやがった。 ブルース・リーかあんたは。


「正面に」

 審判役を買って出た深江の声が、道場に響く。

「礼っ」

 二人揃って神棚に一礼。

「お互いに」

 向かい合って視線を注ぎ込んだ文妻は、割と真剣な顔でこっちを見ている。こんな顔は初めて見る、かも。

「礼っ」

 互いに礼を交わして、開始線で構えをとる。

 男子部女子部、共に試合場のすぐ横で、固唾を飲んで見つめているのがよくわかる。何よりも、真正面の文妻の真剣な顔。

「始め!」

 深江の声に、私は大きく一歩踏み込んで右正拳を繰り出す。まっすぐ下がる文妻に、左、右、と追撃。

 時計回りにかわす文妻は、表情こそ真剣ながらも、あまり打ち気が見られない。

「やる気が、あるのっ!」

 言いながら、正拳とローキックのコンビネーションを見舞うが、あっさりとかわされる。

 少なくとも目はいいみたい。でも、打ち気は相変わらず全くなし。試合時間は特に決めてなかったけど、こっちの消耗を狙ってるのかしら。

 だからといって、手を緩めたりはしないけど。

 ローキックからミドル、二段回し蹴り、ワンツーからローキック、色々とコンビネーションを見舞うけど、全てかわしてくる文妻。でも反撃は一切無し。

 この野郎、ほんとにやる気あるのか。ちょっと手を止めて隙を作ってみるけど、構えをとったまま打ち込んでこない。

 だったら。

 今までの動きから、ちょっと軸線を変えて当ててやろう。踏み込みを深く、そして射程が最大限の武器を。

 牽制の拳を出して、踏み付けるようなローキック、と見せかけて深く踏み込んで、回し蹴りを放つ。

 いくら文妻の目が良くても避けきれる攻撃じゃない、絶対に。


 と。

 蹴りを

 振り切る

 前に

 私は


 背中から床に、叩きつけられていた。

 呼吸が、止まる。


 耳に痛いほどの静寂が、その場に満ちた。


「い、一本」

 その声で、どうやら飛んでいたらしい意識が戻る。

 胸元に鋭い痛み。どうやら、回し蹴りの前に、一発もらっちゃったみたいね。しかもカウンターで。

 のろのろと視線を動かすと、気遣わしげな文妻の顔が見える。

「すまん。その、タイミングが良すぎたみたいでな。大丈夫か?」

 覗き込む文妻の顔を、私はまだ半分くらい飛んでる意識でぼうっと見上げ、一つうなずいた。

 いつもと違うしおらしい表情に、なんだか妙な懐かしさすら感じてしまう。

 そうだ、今は離れて暮らしてる兄さんが、私を泣かした後でこんな顔をよくしてたっけ。

 文妻が、私を起こそうと手を伸ばしてくる。その手に、私もゆるゆると手を伸ばし、握り合ったところで、文妻が一言。

「あー、もう、こんな事になるんだったら、手加減するんだったなぁ」

 ぷつん、と、私の頭の中で何かが切れる音がして、私は意識を完全に取り戻した。

「何だと文妻ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 握った手をそのまま引き込んで、体を倒し、足と両手で抱え込んでぎりぎりと肘をひねる。いわゆる、腕ひしぎ逆十字固め。

「い、ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! ちょ、おま、上坂っ、痛、痛い、折れる、折れるぅ」

 文妻がすぐに悲鳴をあげる。完全に油断しきっていたんだろう。腕ほとんど伸びきってる。完璧に決めるまであと一息。

「手加減だとぉ! 言うに事欠いて! この、私に、手加減だってぇ?!」

「いや、やめて、マジで、折れちゃうから、ね、つかお前空手家だろうっ! 腕ひしぎとかやらんだろっ、いつからここは総合ルールになったんだぁって、ね、マジ痛いってば、もうやめて、うぎぎぎぎ、オレオレぇ」

 今はこの、文妻の汚い悲鳴すら心地よい。

「私の、方が、強い、んだぁ!」

 ぐいっと、腕を伸ばす。

「あぁぁぁぁぁぁぁ、わかっ、わかったって、ほらな、タップしてんだろタップ! 床叩いてんだろ、だからもうお願いだから離してくれぇ」

「ほら、ほら文妻ぁ! あははははははは」

 文妻の哀願を無視して、ヒステリックに笑いながら腕を引っ張りつづける私。


 なんというか。あとで思い返してみるに、恥ずかしいほど、私はキレまくっていた。


 結局、あぶないところを部員総出で押さえつけ、私と文妻を離したのだそうだ。

 文妻自身は大丈夫だと言っていたけど、大事を取って、近所の病院で診察する事になり、私も当然それに付き合っていた。

 幸い、文妻の腕の骨や腱には異常なし。だけど、当分湿布を貼って吊るような破目になってしまった。

「その、ごめん文妻」

 私について、病院から出てきた文妻に、何回目になるかわからないお詫びの言葉をかける。

「もういいよ」

「でも……」

「上坂のそんなしおらしい顔が見られただけでも、俺は満足だ」

「う、うぅ……」

 ニヤニヤしながらそんなことを言う文妻。普段だったら、まじめにしろとか怒鳴り返すところだけど、今回は完全に自分が悪い。それに、こうやって冗談めかして私の精神的な負担を取り除こうしてくれてるんだってわかるから、なおさら何も言えない。

 ただのいい加減な奴かと思ってたけど、意外と大人物なのかも。

「まぁあれだ。勝負の結果については、俺の勝ちってことで良いんだよな?」

「うん。その、空手のルールの中じゃ、私が一本取られたわけだからね」

「んじゃ、大手を振って、空手部の練習に参加できるわけだな」

「ん、まぁ、そういうことになるね……」

 あの勝負は結局いろいろと納得行かないような感じもして、ちょっと複雑な顔になってるかもしれない私。そんな私の顔を見て、文妻はニヤニヤ笑いを引っ込めてこう言った。

「あれだ。俺もまぁ、ちょっと気を遣わな過ぎだったな」

 文妻からこんな言葉を聞くなんて。意外に思った私は、じっと文妻の顔を見つめてしまった。

「上坂を不機嫌にさせるつもりじゃなかったんだが、結果としてそうなっちまったし、余計なストレスも溜めさせてたみたいだしな」

 なにか、聞きたくない言葉を言いそうな雰囲気。

「ま、今回は部長殿の公認を取り付けたってことで、当分空手部に顔出すのは控えるわ」

 やっぱりなぁ。でも、正々堂々とした勝負では、文妻が勝ったんだから、そんなことを認めるわけにはいかない。

「ダメだよ、文妻」

 今度は、文妻が私をじっと見つめてくる。

「文妻は、私に勝ったんだから、空手部に顔を出すの」

「いや、しかし……」

「それじゃ何のために勝負したのかわかんないでしょうが。そりゃ負けたのは悔しかったけど、私だって、別に文妻に勝負を申し込んだ手前、その結果を蔑ろにされて、めでたしめでたしって気にはならないわよ」

 文妻は、無言で眉を寄せた。

「第一、賭けに勝って、取り分をいらないって言い出すのは、負けた私に失礼だ」

「う、うむ」

 困ったような表情で、曖昧にうなずく文妻。

「そりゃ、その腕じゃ練習に参加出来ないでしょうけど、週一でもいいから顔は出しなさい。それが、負けた私への礼儀ってもんでしょ」

「なるほど……」

 少しは納得した表情になって、文妻はまたひとつ、今度はしっかりとうなずいた。

「あれだ。上坂の勝負を受けた時点で、もうこうなるの決まってたような気がするなぁ」

 苦笑、ともとれるような表情で文妻は変な事を言った。今度は私の眉が寄る。

「なによそれ」

「いやな、どっちに転んでも、その時点で俺がしたいようにはならないようになってたんじゃないかって気がしてな」

「……よくわからない」

 勝ったから行きたくなくなったとか、我がまま言うならもう一度痛い目にあわせてやろうかとか、ちょっと物騒な事を考えてしまった。

「いや、いいんだ。多分、それが一番うまくまとまるんだろうし」

 勝手に一人で納得した文妻に対して、私の頭の上には?が盛大に飛び交っている。説明を求めたいところだけど、多分私にわかるように説明する気は、文妻にはないだろうなぁ。

「ま、ともあれ顔を出すようにね。あと、わかってくれてると思うけど……」

「あぁ、うんうん、まじめにやるって。俺なりに」

「その俺なりに、ってところが気になるんだけどな。まぁいいや」

 すっかり夕暮れの街を並んで歩く。

 ふと視線を送ると、文妻は妙にニコニコしてる。目が合って、私もなんだか笑顔になってしまった。

 文妻を酷い目に合わせておいてなんだけど、明日からも練習がんばろう、と、なんだかいつもより前向きに私は思った。

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