せんたく

ぺんぎん K

選択

ソイツを殺してください。

と彼は言った。ナイフを持った私の手はびくびくと震えていた。


正直もうどうでもよかった。今までなんとか貯めてきたへそくりがアイツにばれてから。産みの親をアイツ呼ばわりし始めて既に二三年経つだろうか。娘の金でパチンコを打つ父親の姿を想像して、ため息をついた。


繁華街の中でも、救急車のサイレンというのは一際よく聞こえる。救急車の中で男は苦し紛れにうめく。必死に聞き取ろうとする救急隊員

「くそぉ、もう少しで当たりだったんだ」

胸が少しすっとした。妄想で濁った脳汁がまるで体液となり、体を循環する。

しかしすぐに

私の体は一部でもアイツの妄想から成り立っていると考えるだけで身が汚された気分になった。

まだ処女のままの体の中に男の液体がぬるりと入ってくる。動悸が早くなり、

やや駆け足で大通りを抜けた。


裏通りに来たのは初めてだった。ニット帽を被り、スケボーで道路を滑っている少し年上の男。女、私よりも十個くらい上だけど、誰よりも露出度の高い服を着ている。コンビニの前でたばこを吸っている高校生。

何だか表通りだと場違いな人たちだった。裏通りのTPOにのっとった洋服を着ていて、何だか逆に、私が女子高の制服を着たコスプレ女みたいだ。

ルールがないのがルール、とでも言うような場所。新鮮な高揚感を感じた。


五分ほどすると、あの露出狂の派手な女のもとにいかにもなサラリーマンが立ち寄った。女は「今、何時ですか?」と聞くと、男は女の手を引いた。

そうして二人は、少し先のホテルの中へと姿を消した。


それから三十分、様々な思いが頭を駆け巡った。

黒人のゲイカップルが目の前を通り過ぎた時、一番最初に視界に入った人物。

ベンチに一人で座っている、腕に鳥の入れ墨をした男。青のビーチサンダルに、だぼだぼの黒い長ズボン、ノースリーブのシャツからはみ出した首と二本の腕。

携帯に這わせている指。これからあたしを触るかもしれない指。

ゆっくりと近づいた。あくまでもゆっくりと、緊張していない風を装って。

男はこちらに気づき、顔を上げた。

「今、何時ですか?」


「あの、料金は任せます。何をしてもいいので、一か月の間一人で生活できるお金をください」

と馬鹿正直に告げた。入れ墨の鳥はフラミンゴだった。

男は何も言わなかった。ベンチから立ち上がると、私の手を優しく包み、そのまま歩き出した。

しばらくすると、私たちはホテル街に入った。普通の家よりお洒落な見た目をしたものや、必要以上にきらきらしたネオンに彩られたものがあった。どのホテルに入るのか、なぜ私が制服を着ているのか。聞きたいし、聞かれては困るけど、何も聞かれないのも困る。

男は金のピアスをしていた。歩くたび、それはぷらぷらと揺れた。

お互い何も話しかけずに、ただ目的地へと歩く。男だけが知っている目的地へと。


「みなと」という表札がかけられた家の前で男は止まった。

私たちはみなと家の門を開け、敷地中に入った。ここが男の家なのだろうか。

玄関の扉を開け、先に男が中に入り靴を脱いで上がった。ふと私はつないだ手を離した。

「大丈夫、上がって」

と男は初めて声を発した。そして、唇に人差し指を当てて静かにするようにとジェスチャーで伝えた。

引くに引けなくなった。まるで観念するような気持ちで、私も家に上がってしまった。二階に上がると、男はもう一度静かにするようにと私に伝えた。

茶色がかった瞳は「大丈夫だよ」とささやいているようだ。


家の二階、廊下の奥から二番目の部屋の前で男は立ち止った。

部屋の扉に目を向けたまま、男は話し出した。私は男の右側にいた。こうして止まってみると、男は背が高く、私はまるで入れ墨のフラミンゴと話しているみたいだった。

「ポケットの中をさわってごらん」

合図だ。始まった。始まっていた。緊張しながらも、そろりそろりとゆっくり手をポケットの穴に入れていった。

こつん

こつん?

なにかが手に触れた。その感触は圧倒的に無機質で、人肌の温かみはなかった。

「出してごらん」

フラミンゴの言うとおりに私はそれを取り出した。差し出された手のひらに置いた。

男の爪の先がそれの下のほうに伸びた。カチンと音を立ててナイフの刃先が姿を現した。

「何をしてもいい、と言ったね。僕は、君にナイフを渡す。「受け取る」ということは「お金をもらう」ということと同じ意味だ。わかるね?」

私は、蚊の鳴くような声でいやだ、と言った。頭を震えるように横に振った。男が初めて笑った。もう片方のズボンのポケットから、万札を何枚か出して、ナイフの柄に包んだ。

男はまるで友達に借りた漫画を返すように、私の手を取り、ぽんとナイフを置き返した。偶然、へそくりと万札の枚数は同じだった。


「僕は、君にナイフを渡した。君は受け取った。これでゲームは終わりだ。もう一度言うぞ、ゲームは終わりだ。

 これから僕は、この部屋の扉を開ける。そしてあらかじめ用意してある椅子に座る。君にとっては関係のないことだ。一ミリも関係のないことだ。いいかい?」

私は黙っていた。男は扉を開けて、中に入った。中に入って、あらかじめ用意してある椅子に座った。

部屋の中央で、一人の中年男性が椅子に座ったまま寝ていた。気を失っていた。


フラミンゴは笑う。

ソイツを殺してください。私の両手はびくびくと震えている。

ソイツを殺してください。

みなとさんは、普通のサラリーマンの恰好をしていた。私がおかしいのだろうか。

なぜ私はこんなことをしているのだろうか。

五感が研ぎ澄まされ、背中に冷や汗が一筋流れる。

悲鳴も上げられなかった。体はなぜか動かなかった。

ソイツを殺してください。

何の匂いがしますか?

みなとさんは椅子の上でぐっすり眠らされている。アイツと同じたばこのにおいがした。


しばらくすると、フラミンゴは言った、

ソイツを殺してください。

ソイツを殺してください。

ソイツは今日、たまたまパチンコで大勝ちしました。

ソイツは今日、たまたま大勝ちした気分で、ハローワークへ行きました。

ソイツは今日、たまたま良い仕事がなかったので、息子をぶちました。

ソイツを殺してください。

ソイツを殺してください。

アナタは今、たまたま息子にあったので、ナイフを持っています。

アナタはこれから、たまたまナイフを持っていたので、ソイツを殺しますか?


「お前の机の中みてたらよォ、たまたま金が出てきたんだ。たまたまだよ。おれは悪かねえ。」


しばらくの間私を眺めていた入れ墨男は、この日初めて笑ったのだった。

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せんたく ぺんぎん K @kawarasoba

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