第十一節
私はもう帰るからと初老の女性が出て行き、保健室には懐かしい時間が戻ってきた。
残された私たちは暫くの間、他愛のない話をした。
この数ヶ月の間、何か特別な事は無かったかだとか。
大学はどこへ行くのかだとか。
将来は何を目指して時間を費やすのかだとか。
そんな程度の、初対面同士がする様な他愛の無い会話を私たちはした。
全ての話はアケミ先生が切り出した。
そして一頻り話した後、アケミ先生がタイミングを見計らったように言った。
話そうと決めていたであろうその話を、真剣な様相で切り出した。
「ねぇ、燈ちゃん。私、任された仕事があって保健室に来れなかったって言ったでしょ」
「え、うん」
「これはね、本当は話したらいけない事だけれど、燈ちゃんには知る権利がある話だから話すね」
そう前置きをして語られた話は里咲についての話だった。
「私は以前から里咲ちゃんの家の事情を知っていたの。里咲ちゃんのお兄さんとも知り合いだったから尚更ね。で、私は里咲ちゃんのお兄さんと里咲ちゃんを保護しようっていう計画を立てていたの。虐待から子供を保護してくれる団体だとか、そっちの方面の団体に呼びかけて前々から準備を続けていた」
そして、アケミ先生はとうとう本格的に行動を起こす事が決まったのを機に校長先生に話を持ちかけた。
アケミ先生と同じように江口家の家庭事情を問題視していた校長先生は、迷わずゴーサインを出した。
アケミ先生は動いた。
定期的に江口家に通い、家庭調査や両親との面談を行った。
着実に虐待の証拠を集め、里咲を保護するための条件を揃えていった。
二年から三年に上がる際の春休みが少しだけ通常のものよりも長かったのは、その里咲の保護計画の影響だったそうだ。
あれだけ知らんぷりを続けていた様子の担任の先生を含め、多くの教師が有志を募る為に奔走したという。
そうして迎えた夏休み明けの初日。
朝早くに里咲は保護された。
保護されて、”信頼できる人”に預けられた。
話を聞いて私はホッとした。
里咲が私からの電話に出なかった理由は、他者との接触が制限されていたからだった。
だから、私から連絡が来ている事を認知しつつも、私からの連絡に応じる事ができなかった。
別段、彼女は私を拒絶して居たという訳では無かった。
その事実を知る事ができた私は安心して、つい泣いてしまった。
今度は瞬きが間に合わなかったが、もうそんな事には構って居られない。
「よかった。本当に良かった」
気づけば、そんな言葉が口を
きっと彼女は救われる。
そう思いながら、何度もなんども嚙み締めるように「良かった」「救われる」と繰り返し言いながら、私はワンワンと涙を流した。
アケミ先生は私を優しく抱きしめ、泣き止むまでそばにいてくれた。
「里咲の居場所、教えてもらえませんか?」
一頻り泣いた私は、泣き止むなり直ぐに聞いた。
アケミ先生は大きく首を横に振った。
「それはできないわ」
あっさりと断られた。
けれど、断られるだろうとは予想していた。
だから特に残念だとは思わなかった。
「そうですよね」と私が言うと、アケミ先生は優しいままの声音で「でもね」と言った。
「里咲ちゃんから伝言を預かっているわ」
それは、思いもしなかった話だった。
驚く私に、先生は手向ける。
里咲から預かったその言葉を、一語々々丁寧に。
「私、絶対に燈ちゃんに会いに行くから。どれだけ時間がかかっても必ず会いに行くから、だから……待ってて」
私の帰る場所でいて。と、言葉は締めくくられた。
今度こそ、私は真の意味で救われた。
私が救われた一方で、里咲は救われようとしている。
私には何もできないけれど、里咲が救われるためには私が彼女を待ち続ける事が必要だ。
先生が預かったという里咲からの伝言を受け取り、少なくとも私はそう感じた。
もう心に決めていた事ではあるけれど、私は今一度、里咲を待ち続けようと決心した。
もう、不安は無い。
「先生、里咲に会ったら伝えてください。私はいつまでも信じて待ち続けるからって。お婆ちゃんになっても、ずっとずっと待つからって、そう伝えてください」
私の言葉に、アケミ先生は「わかったわ」と頷いてくれた。
きっと、アケミ先生ならばまた里咲と会う事があるだろう。
私に里咲の居場所を教える事は出来ないと言っていたが、アケミ先生は里咲を救う為に尽力してくれた人間なのだ。
こういうのに私は疎いけれど、多分アフターケアやら何やらでアケミ先生はこれからも里咲と何度か接触を果たす筈だろう。
だから、きっとアケミ先生は私からの伝言を里咲へと伝えてくれる。
そう信じたからこそ、私は里咲へ宛てた言葉を伝言としてアケミ先生へ預けた。
真偽は知らされていないが、この伝言は
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