第25話


 月娟の悲鳴とウィルドの叫びが豪雨をかき消した。

 丹は何度も執拗にジュダルの背を刺した。肉を穿ち、骨を断つ生々しい音と共にぬかるんだ大地は赤く染まる。


「皇子ッ!?」


 正気に戻ったウィルドがジュダルの名を叫びながら駆け寄るのが見えた。


「——背後に味方。すぐ向かって」


 芙蓉は素早く月娟に耳打ちすると泥を手に取り、ウィルドに投げつける。


「やはり裏切ったのか……!!」


 顔にかかった泥を乱雑に拭うと声を憎悪に歪む顔でウィルドは芙蓉を睨みつけた。

 しかし、最優先事項は主人の救出のようですぐさま睨みつけるのをやめるとジュダルの元へ。一心不乱に刺し続ける丹を切りつけた。


「っ、糞!!」


 丹は切られた腕を押さえると背後に飛び下がり、芙蓉のそばにくると懐から取り出した短刀を差し出してきた。


「俺はあんたの味方だ」

「琰慈殿ですね」

「ああ」


 木陰に潜んでいた兵士が得物を構えながらジュダルとウィルドを囲い込む。両国の兵士達だ。

 その波を縫うようにして現れたのは武装した琰慈だった。


「俺達の勝ちだ」


 痛みでうずくまるジュダルと、止血しようともがくウィルドを見下ろして宣言する。


「う、るどぉ……」


 ジュダルはウィルドの服を掴むと血を吐きながら言葉を発する。恐らく肺に穴が空き、血が溜まっているのだろう。呼吸をするたび口元から赤い泡が増えていく。


「皇子! しゃべらないでください! すぐ止血します!!」

「逃げ、ろ」

「嫌です!!」


 ウィルドは泣きながら否定する。ともに逃げようと、自分が守ると、慟哭どうこくに似た声音で何度も告げた。

 その叫びに芙蓉は奥歯を食いしばった。ジュダルが月娟に、ウィルドが自分のように思えてしまった。

 そんな芙蓉の心中を察したのか介抱していた隆基が月娟のもとに行くことを勧めた。これ以上この場に止まれば二人を庇ってしまいそうになるのでその言葉に従う。


「降伏するのならすぐにジュダルに治療を受けさせる」


 背後から聞こえる会話に耳を澄ませながら歩いていると泣きじゃくる月娟が兵士の制止を振り解いて走り寄ってきた。


「芙蓉……!」


 力いっぱい抱きしめられる。雨で体温が奪われたせいか月娟の体は酷く冷たい。早く暖をとらせなければ風邪をひいてしまう。


「よかった! 無事で……!」


 伝えたいことはたくさんある。


 ——自分は大丈夫です。こんな雨の中、風邪をめされますよ。

 ——月娟様はお怪我はありませんでしたか?

 ——貴女を危険な目に合わせてしまい、申し訳ございません。


 けれど、そのどれもが出てこない。体が、脳がいうことを聞かない。


「……芙蓉?」


 月娟は心配そうに花顔を曇らせた。


「どうしたの?」


 それにも答えることはできない。

 不甲斐ない自分に苛立っていると奏兵が青峯を引っ張ってくるのが見えた。


 ——琰慈殿と青峯殿がいるのならもう大丈夫だ。


 指揮をとる琰慈と医療の心得がある青峯がいれば、月娟を任せられる。

 安心すると同時に芙蓉の意識は泥の海に沈んだ。

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