第13話


 燃える様な赤い髪の奏兵を見て、芙蓉は瞬時に彼が長兄の親友だと思い出す。確か名はちん 隆基りゅうき。この輿入れの際、奏王から武将の地位を賜った男だ。

 奏国を出立する前、長兄は豪快に笑いながら嫌がる隆基の襟を引っ張り「自分は行けないがこいつは役に立つはずだ」と紹介してきた。

 長兄は最初、共に清へ行くと駄々を捏ねた。しかし幼子の様な性格から想像できないほど軍師として有能で、彼がいなくなるのを恐れた奏王が代理で立てたのが隆基だ。とんだ外れくじをひかされた隆基だが、親友の妹と公主のためと文句を言わず付き従ってくれた。


「君は?」


 まだ奏兵の顔を覚えきれていない青峯は山賊かと警戒する。腰にく剣に手を添えるのを見て芙蓉と隆基は焦った様に口を開いた。


「彼は奏の兵士ですのでご安心を」

「琰慈様が山賊の頭領と接触しました!」


 芙蓉が驚いた様に目を見開いた。それを聞こえていないものだと思った隆基はもう一度、言葉を繰り返す。


「もう遭遇? 速すぎる」

「流石でしょう?」


 信じられない、という風に呟やかれた芙蓉の言葉に、青峯は自慢げに胸を張った。主人が褒められた事が嬉しいのか頬が緩んでいる。


「では琰慈が君を送った理由について聞かせて下さい。彼が君をここに寄越したのは自分達だけでは解決できないからですね」


 青峯はほころぶ顔を引き締めて隆基に視線を投げた。急に冷ややかになった視線に居た堪れなさそうに肩を揺する。


「はい。琰慈様に芙蓉様を呼んでくるようにと言われました」

「私を?」


 いきなり名前をあげられた芙蓉は驚きに両目を見開く。それを見て隆基は固い表情で頷いた。


「頭領はジュダルという男です。その男は護衛もつけずに自分から一人で琰慈様の前へ出てきました。公主様は無事らしいのですが芙蓉様を連れてくるようにとの一点張りでして。芙蓉様が来なければ公主様のお命はないと申しております」


 その言葉に芙蓉は物言いたげに俯いた。しばしの思案の後、はっとした表情で背後にいる青峯を見やる。


「青峯殿。恐らくですがジュダルは月娟様を殺すつもりはないのだと思います」

「ええ、復讐と心中の可能性が潰えましたね」

「ジュダルはきっと月娟様と共に生きようとしている。あの男は月娟様を好いているから」

「両国を敵に回すなど思ったよりも浅はかですね」

「きっと考えがあるのでしょう」


 恐らくだが芙蓉を連れてくる様に言ったのは月娟だ。彼女が何を考えてそう言ったのかは予測はできないが、それをジュダルは叶えようとしている。琰慈の前に一人で現れたのは打開できる策があるという事と成功させる自信があるからだ。

 その行動が、彼らの目的が月娟を殺す事はないと示唆していた。それが分かっただけで十分、と芙蓉は顔をあげる。


「琰慈殿の元に案内してくれ」

「分かりました。こちらへ」


 頷き、踵を返す隆基の背中を芙蓉は追いかけた。




***




 曇天に覆われた空から、しとしとと雨が降り始める。


 水分を含み柔らかくなった土に足を取られぬように気を付けながら芙蓉は走った。雨に濡れ、泥が跳ね、重たくなった胡服が体に纏わりつく。それを億劫に思いながら、乱雑に前髪をかきあげた。すると視界が鮮明に開く。

 色褪せた葉を付けた木が並ぶ、なだらかな斜面を駆け下りる。夜陰を裂く様に降り注ぐ雨は激しさを増して葉を殴打した。音と共に衝撃に耐えきれなくなった葉が雨と共に地面に落ちた。

 視界を遮りながら、地面に落ちると黄と赤が混じった絨毯じゅうたんの様に広がる。


「もうすぐです!」


 前方を行く隆基が叫んだ。走っているので声は荒く、絶え絶えだ。

 芙蓉が返事を返そうとした時、隆基は走る足を緩めた。


「着きました」


 隆基が指をさす方を見れば、剣を構える琰慈の背中が見えた。その周囲には二十ほどの奏兵の姿。その中に一人見覚えのない男が半笑いで立っていた。

 直感でこの男がジュダルだと悟る。武器を持たず、武具も身につけず、元は官服かんふくだったボロボロの衣服を着ていた。

 芙蓉は心臓を落ち着かせるように深く息を吸い、吐き出すと前へ進んだ。


「琰慈殿。遅くなり、申し訳ない」


 第三者の登場に警戒をあらわにする奏兵を片手で制す。中央にいる琰慈の元に歩きながら、周囲を観察した。物陰に隠れる者も射手の姿もない。本当にジュダルは一人できたようだ。

 それに内心、驚きながら琰慈の隣まで歩き寄る。


「すまない。怪我をしているのに」


 芙蓉が隣に立つのを横目で確認すると琰慈が小声で囁いた。


「いえ、大丈夫です。青峯殿の薬のお陰でだいぶ具合はいいので」


 芙蓉はジュダルから視線をそらさずに答えた。

 健康的に焼けた肌に癖が少ない黒髪。次兄が言った通り、宝石のように輝く翡翠の瞳を持っている。右半分を覆う火傷跡が痛々しいが、どこか少年の様な顔立ちの男だ。

 翡翠と視線があうと嬉しそうに薄い唇がつり上がる。


「君が芙蓉? 月娟の侍女の?」


 ジェダルはこてんと首を傾げた。二十はとうに過ぎているはずなのに、どこか子供っぽい印象を与える仕草だ。

 主人を呼び捨てにされたことに対する怒りを寸でのところで飲み込みながら、芙蓉は頷く。


「ええ、そうです」

「一緒に来て。君だけだ」


 ジュダルは踵を返す。芙蓉は小さく了承の返事をするが内心、不思議に思った。

 ジュダルは先程自分を観察した。それなのに剣を取り外せとも言わない。衣服に隠し武器を入れている可能性があるのに、ジュダルは芙蓉に背を向けた。

 背後から切られても対処ができる自信があるのかとも思えども、たこもない細い指は武器を握ったことはなさそうにも見える。足腰の動きから見ても恐らくだが芙蓉の方が強い。

 隙だらけじゃないか、と思いながら後をつけようとする芙蓉の二の腕を背後から琰慈が掴む。


「俺も行く」


 不機嫌そうに囁かれた声に芙蓉が振り返ると深淵の瞳と視線がかち合った。意思の強そうな眉はこれ以上ないぐらいにひそめられ、瞳の奥に揺らぐのは怒りと焦り。


「聞こえなかった? 一緒に来るのは芙蓉だけだよ」


 ジュダルの言葉に先ほどよりも表情が歪む。今にも斬りかかりそうな琰慈を見て、芙蓉は視線でその行動を咎めた。

 ジュダルが月娟を害さないという事は今の時点で保証はされている。けれど、その男は過去に一度月娟に毒を盛った事がある。いつ気が変わるかと思えば恐ろしかった。琰慈にとって、自身が役不足なのだろうとは理解しているが、今は刺激しないで欲しかった。


「さあ、行こう」


 先程の不機嫌さもどこかに行った様にジュダルは満面の笑みで芙蓉を見るとまた歩きだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る