第10話


 暗闇の中、森の中を縫う様に移動すると、途中、奏国兵士を数人引き連れた青峯がすすだらけの顔を拭いながら現れた。

 その表情は酷く沈んでいる。よく見れば顔や衣服には煤だけでなく黒く変色した血液も付着していた。

 琰慈を見るとほっとしたように青峯は肩の力を抜いた。


「お怪我は?」


 心配そうに尋ねる青峯に、琰慈は首を振って否定すると側にただずむ芙蓉の右腕を引っ張った。その左肩を射抜く矢を見て、青峯は両目を見開く。


「芙蓉殿、お怪我を……?!」

「俺を庇った。簡単な止血だけした。手当てをしてくれ」


 琰慈の言葉に、青峯は息を詰まらせる。顔を蒼白にさせながらも気持ちを落ち着かせる様に一息つくと地面に片膝を着き、両指を絡ませ、礼の型を取った。


「琰慈を助けて頂いて、ありがとうございます。すぐに手当てをします」


 震える声で言いながら、不安と安堵で揺れる眼差しで芙蓉を見上げた。


「いえ、直ぐに月娟様をお助けに行きましょう。手当てはその後で構いません」


 芙蓉は首を振った。二人が早く手入れを進める理由は理解しているが、それよりも早く主人を助けに行きたかった。

 刺さった矢は、時間が立つにつれて肉が矢じりを飲み込んでしまうため手当てが困難になる。矢を引き抜く際、矢じりが中に残れば、そこから肉が腐るのを待つだけだ。

 しかし、その手当てしてる時間さえ惜しかった。はい、と言わない芙蓉に二人は困った様に顔を見合わせる。


「あんたに万が一があれば公主殿は悲しむ。青峯は医師としての腕も立つ。いいから手当てを受けろ。その間、俺たちは公主殿を探す」

「これでも琰慈は人探しが得意です。きっと公主殿も見つけてくれます」

「いえ、——」


 芙蓉はそこで口をつぐんだ。何かを逡巡しゅんじゅんした後、諦めた様に項垂うなだれた。


「よろしくお願いします」


 片腕を動かせないため、こうべだけ下げた。


「手当てが終わり次第、すぐ追います」




***




 藍藍と負傷した兵士を偶然見つけた洞穴に隠し、月娟捜索のため琰慈は比較的軽傷だった兵士を数人引き連れて行った。

 その場に残った芙蓉は、青峯によって手当てを受けるため厚布を奥歯で噛み締め、服の裾を握っていた。青峯の「抜きます」という言葉に両目をぎゅっと閉じ、これから来るであろう痛みに堪える。


「——っ!!」


 肉が裂けた。それに伴う痛みに、芙蓉は脂汗をかいた。


「矢じりも綺麗に抜けました」


 青峯の声に重なるようにキュと何かが音を立てる。芙蓉が薄く目を開くと、青峯が懐から小さな金属製の入れ物を取り出して蓋を開けていた。疑問に満ちた眼差しに、青峯は「化膿止めの薬です」と告げる。

 蓋を開けると苦々しい薬草の臭いが鼻腔を刺激した。それを指先で大目にすくうと、肩の傷へと塗りはじめた。


「なぜ身分を隠すのか聞いてもいいですか?」


 指先が、薬が、傷口を刺激する痛みに耐えながら芙蓉は心中に渦巻く疑問を口に出した。ここは芙蓉の手当てのため、芙蓉と青峯しかいない。疑問をぶつけるのは今が一番の好機だった。他の人間に聞かれるのは避けたい。


「王族でしょう? 琰慈殿は」

「なぜそう思ったのでしょうか?」


 薬を塗り終え、包帯で傷口を塞ぎながら青峯は問う。芙蓉は慎重に言葉を選びながら口を開いた。


「お二人の仕草や格好が一兵に見えませんでした。それに王印はその名が示す様に王が持つ証です。信用できる部下でも預けるなど愚王がすることです」

「清王は愚王だと?」

「いいえ、とても素晴らしい方だと聞いております。政治の腕も、戦の腕も。だからこそ、不思議でした」


 芙蓉の言葉に青峯はくすりと笑った。


「その通りです。我が王は素晴らしいお方です」


 とても優しい声で同意する。


「貴女は賢いですね。恐らく、全て理解している。それを言葉に出さないのは優しさですか?」

「言葉に出さないのは確証を得られていないからです。……彼がどの身分であれ、月娟様の夫となる方の血縁者である事は変わらないので」


 青峯はどこか楽しげに両目を伏せた。手当てを終わらせたばかりの芙蓉は襟を正しながら、真っ直ぐに自分を見つめている。言葉を濁してはいるが真っ直ぐな眼差しはそれが正しいと内心で思っているのだろう。


「確かに琰慈は王族の一員です。きっと貴女が考えている通りの立場でしょうね」


 偽りを言えど、きっと聡い彼女にはバレてしまう。なら最初から本心を話す方が手っ取り早いと判断する。

 青峯の言葉に、芙蓉は片手で顔を覆った。指の間から長く、重いため息いが漏れる。それが怒りからくるものか、呆れからくるものか、或いは両方か、青峯には判断できないが妙に楽しい気持ちになった。薬の小瓶や包帯を片付けるために彼女から背を向け、そのにやける口角を見られないようにする。きっとバレればゴミを見る様に見られることだろう。昼間の琰慈のように。


「何を考えているのですか?」


 重々しく呟かれた言葉に、青峯は心の内で何度も頭を頷いて同意した。自分に聞かれても彼の考えは読めないので代弁することはできない。正直、自分が知りたいぐらいだ。


「さあ?」


 肩をすくめてみせると先ほどよりもため息は重々しくなる。


「彼の考えは万人には理解できません。私は二十年近く共にいますが、振り回されてばかりです」


 くつくつと笑いが唇から溢れる。それを芙蓉は信じられないというふうに見つめた。

 青峯が背中に感じる針の様な視線に、気づかないふりをするとややあって芙蓉が諦めに似た声音で「大変ですね」と声をかけた。


「でも、楽しいですよ」


 振り返り、笑顔を見せた青峯に芙蓉は信じられない物を見る目で見つめた。

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