第3話
月娟は馬の駆ける音に反応して小窓から顔を覗かせた。その美貌は不安で蒼白になっているが芙蓉の姿を捉えると安心したように綻んだ。
「芙蓉、どうかしたの?」
「清国から使者が訪れました。彼らは月娟様との謁見を望んでいます」
月娟は片方の眉を持ち上げた。
「分かりました。こちらへ通して下さい」
月娟の言葉に中にいた侍女達から不安そうな声が上がる。特に声を張り上げたのは彼女が幼少の時から侍女を務める
「月娟様、その様な使者の話しは聞いてはおりません。危険ですわ」
声には緊張が滲んでいる。その声に月娟は首を振った。
「危険だったなら芙蓉はこちらに来ることはありません。大丈夫だと判断したからこちらへ来たのでしょう」
藍藍を安心させる様に言葉を紡ぐと芙蓉へと視線を移す。
「芙蓉。貴女も側にいてくれる?」
「御意に」
***
「清王様のご厚意、痛み入ります」
扇子で口元を隠した月娟は優雅に微笑んだ。首を傾げて笑うとしゃらしゃらと結い髪に指した
天女の笑みに青峯と琰慈が相好を崩しながらも何かを見定める様な視線で月娟を見た。
それを見て、芙蓉はバレないように眉根を寄せた。月娟の美貌に驚嘆する男は多いが彼らの視線はそういう下品たものではない。主人の妻になる公主を観察しているのかとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。その視線にどういう意味があるのかと
「険しいですが、山賊の根城がある道を避けて獣道を進もうと思います」
「ええ、分かりました」
青峯の申し出に月娟は
「では、本日はここで天幕を張り、休みましょう。青峯殿、琰慈殿、こちらへ」
芙蓉に促され、二人は大人しくその背中を追った。
——思ったよりも素直だな。
女人の地位が低いと言われる清国の男の態度に、芙蓉は驚き目を見張る。清国の男は男尊女卑が根付いており、最低だと嫌悪していたが、どうやら考えを改める必要があるらしい。
特に琰慈という男は物珍しいという風に芙蓉に次早に質問を繰り返した。
「芙蓉殿は女人なのに剣を扱うのですね」
「ええ。奏国は性別関係なく、才能があれば武官にもなれます」
「それは素晴らしい。女人でも地位が確立されているなんて」
「本当です」
「芙蓉殿は武官なのですか」
「いえ、私は官位を賜っておりません。ただの護衛です」
「ただのですか? 馬の扱いも素晴らしかったので武官かと思っていました」
「幼い頃より兄達に教え込まれました」
「兄がいるのですね。私も一人、兄がいます」
「そうですか」
紙に書いてあるのか、と聞きたくなる量の質問を繰り返す琰慈を、青峯が諌めるが琰慈の勢いは目的地に着くまで止まらなかった。
***
列の一番後方を歩く軒車には
芙蓉は机案を挟んだ反対側の椅子に腰を降ろすと、机案の上に地図を広げた。
「一つ質問があります。よろしいですか?」
青峯は何かを考える素ぶりを見せるが、琰慈はすぐさま頷いた。
「清国からの使者はお二人だけですか?」
答えようとした琰慈を制し、青峯が口を開く。
「はい。先程も述べた通り、獣道を通るため人数を抑えました。奏国からの護衛が多いと聞いていたので必要最低限の人間を、と清王は考えられたのです」
なるほど、と芙蓉は納得した。後で援軍でも来るのかと思えば、そういう考えがあったのか。
程度は分からないが自然にできた獣道は入り組み、険しい。ものによっては大勢で通るのは危険だ。ならば数人の案内人を寄越し、後で合流する方がいい。
「分かりました。では、山賊の根城と獣道について場所を確認したいのですが……」
「根城はここですね」
青峯が山を越えた辺りを指差した。
「獣道はここから、この川を沿って行きます」
次に見た目と反して傷だらけの指先は獣道を辿る。それを見て芙蓉は何かを考えるように顎を手で覆った。
「実物を見たことはありませんが、地理的に馬は歩けるほどでしょうか。けれど、軒車は通れませんね」
見たところこの道を通り過ぎるのには多く見積もって九日ほどかかるだろう。歩かなくても長時間の馬上は月娟達には酷だ。それも軒車をここで捨て置く必要がある。自分は平気だが箱入り娘の彼女達に残りの期間、馬上生活に耐えれるとは思えなかった。
獣道は通らずに本来の通路から清国へ向かおうとも考えたが多くの護衛兵を抱えていても地の利は山賊にある。無理に突破しても無傷では済まない。道を変えようとも思ったが、地図を見るにどの道をいっても予想より日時がかかるだろう。そうなると清国へ着く前に食料が尽きてしまう。
だが軒車を捨て、月娟らに負担をかけるもの……。ううん、と難しい表情をする芙蓉に青峯が「心配には及びません」と声をかけた。
「軒車は確かに捨て置きますが、この道を通り過ぎたところに清国が準備したものを用意させてあります」
「それは有難い。何から何までありがとうございます。月娟様に話してみます」
芙蓉は頭を下げた。いけ好かないと思ったが青峯という男の有望さにはこの短時間で好感しか持てなかった。
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