第78話 間違ったことは言ってない
佐藤の拳が本間のみぞおちに入った。
体の中の空気が出ていく感覚に続いて、腹が激しく痛んだ。膝をつく。呼吸が困難になり、声が出ない。出そうとして、胃の中に何もないのに吐くような感じになる。
「子供と侮っているから、こうなる。前だってそうだ」
佐藤の表情は見えなかった。
怒りで全身に血が巡るが、落とした刀が拾われていくのに手も足も出ない。体が真空状態みたいになっている。息苦しさに転がり出したくなる。
(あのやろ!)
似た感覚が前にあった気がして、急に息を吸えるようになった。地面に手をついて押して、立ち上がる。汗が吹き出した。
佐藤は、一人であの銃持ちと相対するつもりだ。危険過ぎる。
「おい、佐藤!」
黒い奴に蹴られた太ももに腹が痛む。
痛みを訴える体を無理やり動かして、佐藤を追おうとしたところに少女が立ちふさがった。手にはスタンガン。
目を見開いて、大きく舌打ちした。
「最近の若者ってやつは!」
「お願い、話を聞いて。続の親友の命にかかることなの!」
「何で俺の名前を知って」
「それも説明するから」
今いるところは袋小路ではない。少女を無視して、反対方向から区役所に行くことも可能だ。しかし、痛みのある体で走ったところで、追いつかれるだろう。
スタンガンで気を失っては元も子もない。
「わかった。言ってみろ」
本間がじくじくと痛む腹を押さえて言うと、少女はスタンガンの電源を切る。その様子を見て、本間は地面に落ちた鞄を拾い上げた。
「どこから話していいか……。ここは現実世界でなく仮想世界で、続は現実の記憶を無くしてしまっているの」
「嘘をつくなら、もっとまともなことを話せ」
声音に苛立ちがのっているのがわかる。普段なら見た目でわかるほどの結構な年下相手にそのようなことはしない。
人の命がかかっているからだ。
少女は悲し気に目線を落とす。
「本当のことなの。そして私は続の姉です」
と言って、ちょっと考えたのか首を横に振る。
「いいえ、続とは血の繋がらない赤の他人です」
「そうだろ。姉ではないだろ。赤の他人がなんだ?」
「赤の他人といっても、親しい仲で。同棲してます!」
「はぁっ?!」
一瞬、思考が止まる。
(いや、非現実的なことを言う奴だ。出まかせの嘘だろう)
「ちなみに何歳?」
「十八です」
「同棲してると?」
「してます」
「俺はそんな犯罪はしない」
「犯罪ではないです」
「や、その、ご両親が心配とか、社会的に」
「両親は承諾済みです」
「……」
何かがおかしい。何かが間違っている気がする。
親族ならまだしも、赤の他人が十八の少女と同棲で親が認めているとは思えない。
そもそも、彼女が最初に言っていることが馬鹿馬鹿しい。
「残念ながら、信じられるものではない」
名前を知っていたのは、事前に調べていたからだろう。
「待って。あの全身黒い人が続の親友なの」
「あんなのが親友なはずがない。俺はどこかのヤクザか殺し屋か」
「親友は警察官で、続は文科省の職員」
「あれが警察官なわけないだろ。人に銃を向けて楽しそうにしている奴が?」
「ええ、その楽しそうだったけど……」
頭が痛くなってきた。何だか懐かしい感覚のような気がしないでもない。
喋っている時間が無駄だ。警察に連絡をとって、タクシーに乗って佐藤の先回りをして止めなければ。
少女が本間の隣にすいっと寄って来て、スマホの画面を見せてくる。
「証拠なしに信じてとは言いません。これが続と一緒の写真で、学園祭の時の」
「ほう」
二人で写っている。自分が幾分げっそりしているようだが。
だが、写真は加工が可能だ。
「水族館に行った時の」
「へー」
「パンケーキを食べに行った時の」
「うん」
「クリスマスマーケット行った時の」
「ほー」
「あとそれから、これは……」
と少女は次々とスマホをスワイプさせて、写真を次々と変えていく。
記憶にはないものの、自分の顔がそこにはある。
(というより、俺の写真が多くないか)
ほんの少し引き気味になる。
多い。
本人に言えるはずもなく、立ち尽くす。
「で、これがコタツで、あ、いけない」
慌てて少女がスマホをトートバッグの中に入れる。
「ちょっと待て、寝顔らしきものが見えた」
「気のせいよ」
「もう一回見せなさい」
「十分に見せました」
「さっきのだけ消そう。どう考えても人の許可を得ずに撮っただろう」
「嫌」
本間はトートバッグを片手で掴み引っ張る。少女はギュッと両腕で抱え込んだ。
(こんなやり取りをしている場合ではない)
「こんなことをしている場合じゃないの」
「それは俺もわかっている」
一刻を争っている時の優先事項ではない。
「続のスマホのフォトフォルダも見て。現実のものは、そのままのはずだから」
言われるがままに、本間はスマホを取り出してタップする。少女がのぞき込んでくるので、見える位置まで手を下ろした。
出てくるのは、日本酒やクラフトビールの銘柄を写したもの、焼かれた肉の塊、ラーメン、マグロの骨ごと中落ち、山ほど香辛料がのせられたスペアリブ、ボードゲームの途中の様子。
少女ががっかりとした表情になる。
傷つけたような心地になって、更にスワイプしていくと、少女と自分が写っているものが出てきた。
写真嫌いな自分にしては珍しい。
水族館だろう、大水槽を背景に少女とぎこちない笑みを浮かべた自分がいる。
ずっと持っていた携帯だ。細工をする隙はなかった。
「ほら」
少女は本間の腕を引っ張って、明るい笑みを浮かべた。
「これは……」
加えて、あの黒い男と一緒の写真も出てきた。打ち上げか複数人で乾杯している。
「あれと親友は嫌だ」
本能からそう思う。
「都道さんはいい人よ」
「いきなり銃撃って来たり、蹴ったり、区役所を占拠する奴が?」
「続のためなの。物語を終わらせれば現実に帰れるから、そのために主人公である佐藤さんを殺そうしている」
「乱暴だな」
「だから、続が終わらせて。戦ったら、都道さんが死ぬかもしれない」
「死なないだろ」
根拠もなく思ったことが口に出る。知らないはずなのに、変な信頼がある。引っかかるようなものを感じるが、音の感じはわかるのに思い出せない名前のようにあやふやだ。
「都道さんも人間よ。『主人公補正』のある佐藤さんに逆に殺されるかもしれない」
「そんなわけ」
「物語の主人公に弾は当たらないものなの。当たったとしても軽傷に済んでしまう」
漫画やアニメで主人公に弾が当たらないというのは、あることだが。
少女がタブレットを取り出して、本間に押しつける。
「これが今起きている物語。書くとそれが反映されるの」
「はあ」
正直、非現実的なことばかりでついていけない。
本間はタブレットを受け取るも、指は動かない。
「何か書いてみて、そうしたらわかるから」
少女が本間の腕をつかんで、切羽詰まった顔をしている。嘘をついているようには見えない。
(どうにでもなれ)
おかしな人が妄想を喋っているなら、そう後で判断すればいい。いい話のタネになるだろう。
本間は『大雨が降る』と書いた。
今日はすこぶる晴天だ。天気予報は降水確率10%。書いただけで雨が降るというなら降ればいい。
そんな余裕でいられたのは少しの間だった。
しかして、バケツをひっくり返したような土砂降りがくる。
「続の馬鹿っ」
「ごめん! 本当にごめん。考えなしだった」
本間は自身のコートで少女を覆い、軒下へ走る。そのまま、少女の肩へコートをかけた。
「わかった。すべて信じるわけじゃないが、話にのる」
タブレットを再度見る。
画面いっぱいに文字が広がり、それが電光掲示板のように流れていっていく。スライドさせると佐藤を中心に話が進んでいて、途中で自分も入っていた。佐藤の行動も自分も何もかもあったとおりに描写されている。その前には悪の結社なるものが出てきていた。
心情描写や背景などを無視して、さらっと速読する。
最新の部分を読んだ時、本間の手は止まった。
「あのさ。どうして霊だらけになってるんだ?」
「え?」
二人してタブレットを覗き込み、二人して頭にクエスチョンマークを浮かべた。
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