翼があればどこまでも行ける
小石原淳
第1話 急患と宝石泥棒と夏休みと
今どきどこにあったんだろう、使い込まれた大八車に乗せられて大柄な若者が一人、診療所まで運ばれて来た。正面玄関前に横付けされる際、車輪が砂利をかりかり跳ね飛ばした。
「先生、急患だ! 行き倒れか何か分からんがとにかく道端でうずくまっていた!」
ねじり鉢巻きの壮年男性が、若者の身体を支えたまま奥へと叫んだ。ロビーの待合スペースにいる数名は大八車の上に寝かされた男を見てこれはただごとでないと一発で理解したらしく、腰を浮かせて先生を呼ぶ声を張り上げたり、通るためのスペースを作ったりとにわかに慌ただしくなる。
「急患か、分かった。――
医師の
「おい、あんた! 聞こえているか? 痛みがあるよな? 胸か背中か顎かその辺が締め付けられる感じか?」
医師の呼び掛けに、若者はうう、といううなり声でどうにか肯定の返事をしたようだ。
「恐らく心筋梗塞だ。うちでは診きれん。心電図は撮るが、先回りして手配してよかろう」
背後に立つ女性の看護師がすぐさま反応し、機敏に動く。彼女と入れ替わりにストレッチャーが来た。運んで来た人と力を合わせて、移し替える。そのまま診察室へ直行すると、処置が始まった。
程なくして救急車が現れ、さっきまで大八車があったところへ停車した。
* *
「それでどうなったの、その人?」
電話口の向こうでは、親戚の白上
「救急車で市内の大きな病院に運ばれた。だけど、救急車の中でもう危ない状態に陥って、病院で亡くなったことが確認されたわ」
小学五年生の瑠音と違い、高校一年生になった月子は急患が運び込まれてきたときの様子を、臨場感を余さず伝えつつも、上滑りしないよう抑えた口調で話してくれた。
「それはお気の毒……」
「そうね。亡くなる方が出るのは久しぶりだったし、私もちょっとショックが残ってる。それにその男の人、前日の午後、うちの診療所を訪ねていたのよ」
「えっ。ということは、前の日から具合が悪かったんだ? その時点で入院しておけば助かったかもしれないとか?」
瑠音の中で想像がどんどん膨らんで、言葉が勝手にあふれ出てくる。ところが月子の方は「違うの」とややたしなめる風に言った。
「その男性――あとから知らされたところでは
月子の言うこの辺りとは、東海地方A県のTという都市の近辺を指す。
「ふうん? 若いと言っていたけれども大学生ぐらいってこと?」
「ううん、そこまでは若くない。三十歳ちょうどだって聞いたわ。フリーのライターをやっていて、うちに来たときもそう名乗ったんだって」
なんでも“しらかみ”姓の家を探していたらしく、わざわざホテルに宿泊してまで東京から来たという。
「うちはほら、『手塚医院』と看板を掲げているでしょ」
「あ、そうだったね」
医師の手塚先生は入り婿で、白上家に入るときにどうしても自分の名前を表に出した医院にして欲しいという希望を持っていた。白上家としては白上姓が実質的に残るのであれば診療所の名称にこだわりはなく、スムーズに行ったとのこと。
「町内会の地図にも手塚で出ているから、寺北さん、なかなか見付けられなくて困っていたそうよ」
訪ねてきた寺北に応対したのは、事務を預かる女性で、特に伏せていることでもなかったので、聞かれるままに教えてあげたという。
「“しらかみ”姓の家を見付けて、よっぽど嬉しかったのね。『助かりました。これでようやく進めます』ととても感謝されたそうよ」
「何を調べてたんだろ。あっ、フリーのライターさんをやりつつ、実は私立探偵もやっていて、月子おねえちゃんの素行調査に来たのかもしれないよ」
「私の素行調査? どうして」
面食らった顔が目に浮かぶ。瑠音は内心面白がって冗談を続けた。
「当然、お嫁さんにふさわしいかどうかだよ。きっとどこかのお金持ちが遠くから月子おねえちゃんを見初めて、ぜひ嫁に迎えたいと」
「こーら。いい加減にしろ」
呆れ声で一喝され、瑠音は舌を出した。
「えへへ。だって、真っ先に思い付いたんだから仕方ないじゃない。その翌日にも近くまで来ていて、倒れたからこそ、診療所まで担ぎ込まれたんだろうしさあ」
「たまたまでしょ。万が一にも素行調査なんかだったら、寺北さんの持ち物なんかから判明するでしょうから、うちにも連絡が来るんじゃないの?」
「知らなーい」
「まったくもう……。とにかく、こんな感じで田舎の診療所にしてはときどき大きな騒動が持ち上がるけれども、それでもよければおいで、ですって」
「もちろん行く!」
瑠音は被せ気味に即答した。
夏休みや冬休みなど長期の休みには、A県の親戚の家に泊まり掛けで遊びに行くことを恒例としていた。でも去年は月子が高校受験だったため、夏休みも冬休みも行くのを遠慮した経緯がある。
その分、というわけではないが、今年はクラスの友達を連れて行ってもいいかとお願いしていた。返事を聞くために電話をしてみたら、寺北ばる男性が心筋梗塞でお亡くなりになるくだりを聞かされた次第である。
「少しくらい騒がしくなったとしても、夏休みの宿題ができないほどではないでしょ?」
「多分ね。色んな患者さんが来るのはあってしかるべきことだから。ただ、瑠音ちゃんは知らないでしょうけれども、むかーし、患者さん以外のことで大きな騒ぎになったのよ」
「えっ、何それ。初めて聞く」
「あんまりいい思い出じゃないから、こっちに来てからは口にしてはだめよ。それを守れるんだったら話すわ」
「うーん、分かった。守る。さあ、話して」
再び送受器を持ち直し、瑠音は月子の説明に備えた。
月子は「そんな身構えるほどのことでもないんだけどね」と苦笑まじりに始めた。
「今から五年ぐらい前に、宝石強盗が起きて、その犯人が私のお母さんの知り合いだったの」
「え? 身構えるほどのことだよ、それは」
「知り合いと言っても、中学高校と一緒だったという程度のつながりよ。事件当時は、というよりも高校卒業してからは一切音信不通だったって」
「なーんだ」
手から力が抜ける。思わず、電話を取り落としそうになったが、どうにかセーフ。
「でもね、在学中は同じクラスかつ同じ部活だったりで、結構親しかったらしくて。それに医院となったらそれなりに成功者扱いされるみたいで、だからマスコミがコメントを取りに来たのよ。犯人の○○は学生時代、どんな人でしたか?っていうね」
「あ、テレビで見たことあるあれ」
「そう。案外しつこくてさ。何を思ったのか、私にまでマイクを向けてきた人がいたのよね。知らないってのに。あとで聞かされたんだけれど、高校のときにその犯人とお母さんが付き合っていたんじゃないかっていう噂が出ていたのよ。それで根掘り葉掘り聞こうとしていたみたい」
「うわ~、災難。もちろん付き合ってなかったんでしょ?」
「ええ。当時からお母さんはお父さんと付き合っていたから。小学生の私が動揺しないように心配してくれて、高校から大学に掛けて付き合っていたという証拠写真まで見せてくれたわ」
「へえ。じゃ、結果的によかったんだね」
「――まあそうね。若い頃のお父さんとお母さんのラブラブなところが見られたから」
瑠音と月子はくすくすと笑い合った。
「それで瑠音ちゃん。話を戻すと――お友達は何人来るの?」
「あ、三人! 前に三人までなら確実に大丈夫、部屋もあるよって言っていたから……平気?」
「ええ、問題ないって聞いているわ。それでその子達の名前、教えてくれる?」
「いいよ。まず一人目は
「はいはい。どんな漢字を書くのか、字を教えてちょうだいね」
「そうだったわ。えっと、高い低いの高いに谷間、保母さんの保に奈良の奈、美しい。これで高谷保奈美」
「うん、分かった。次は」
「二人目は……」
感じの説明を頭に思い描こうとしてちょっと戸惑う瑠音。あんまり間を開けるのも問題あるので、先に名前を言おう。
「
「ああ、分かった。顔面蒼白ね」
極端な事例に瑠音は思わず笑いそうになった。
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