第29話 公園での遭遇

 どれくらいアパートのドアを見ていただろう?

 病院に行ったのは大学が終わった夕方で、日が長い初夏とはいえすでに辺りは真っ暗だ。

 いつ日が沈んだかという記憶すらなかった。


 賢人はまだ帰ってこないようだ。

 三咲といるのか、別の女の子といるのか……。


 ため息しかでてこない。

 恋心を自覚しても、嬉しくて頬が弛むとか、つい考えて顔を赤らめるとか、そういう可愛らしい乙女っぷりとは真逆な心境にいる弥生である。

 どちらかというと陰鬱な気分になるし、今まで感じたことのないドロドロと嫌な感情まで湧いてきそうで、弥生は目をギュッと閉じた。


「……こんばんは? 」


 いきなり声をかけられて、弥生はビクリとして目を開いた。

 オドオドとした視線を投げかけながら、躊躇いがちに声をかけてきたきたのは弥生だった。


「もし違ってたらごめんなさい。同じ大学……だよね? 私、理工学部一年の鈴木三咲。こんな遅くに真っ暗な公園に一人とか危ないよ」

「あ……、うん」


 一人で公園なんかでボーッとしている弥生を見かねて声をかけてきたらしい。痴漢注意の立看板も公園入り口にあるし、女の子が一人で夜の公園とか、危機管理意識が低すぎたのかもしれない。


「気分でも悪いの? 大丈夫? 」


 心配して顔を覗きこんでくる三咲に、弥生はブンブンと顔を横に振った。


「大丈夫、ちょっとボーッとしちゃっただけです。元気ですから」

「そう? 良かった。おうちは近いの? 」

「ええ……まぁ、帰り道? みたいな感じです」


 自宅アパートは目の前だけど、別に嘘はついていない。


「そうなんだ」

「鈴木……さんも近いんですか?」

「ううん、うちは大学の近く。……彼氏のうちがそこなんだ」


 顔を赤らめて言う三咲は、地味に見えるがしっかり女の子の顔をしていた。いや、以前より化粧とか頑張って少し可愛くなったかもしれない。


 彼氏……なんだ。やっぱり。


「いつもはうちでばっか会ってるから、たまにはサプライズ的な?約束してた訳じゃないんだけど、ほら、 好きな人がどんなとこに住んでるのか見てみたいじゃない?色んな面が知りたいみたいな。でもまだ帰ってなくて……」


 見てみたいじゃない? と言われても、さっき初めて自分の恋心を自覚した弥生には、全くもって理解できない。

 賢人の実家の部屋は知りすぎているくらい知っている。引き出し箪笥の中身まで知っているくらいだから、好きな洋服のメーカーどころか、下着の柄まで熟知しているのである。

 今の部屋は入ったことがないから知らないけれど、隣なのだから間取りは同じだろうし、必要な物を買う時に弥生の母親と賢人の母親と買いに行ったから、カーテンやベッドカバーなどは色違いな筈だ。食器類なども同様だ。


 うん、知りたいとこはないかもしれない。


「帰ってくるまで待つんですか?」

「……どうしようかな。もう少しは待ちたいけど……。あ、帰ってきた。あなたも早く帰ったほうがいいよ。じゃ、バイバイ」


 三咲は満面の笑顔を浮かべると、手を振って走って行った。その後ろ姿を見ていると、帰ってきた賢人に走り寄り、腕にギュッとしがみついていた。数言話した後、鍵を開けた賢人の部屋に二人で入って行く。


 部屋……あげるんだ。


 今まで、賢人の部屋に女の子が来たことはなかった。実家の部屋にもだ。女性とそれなりの交流が多々あるというのは噂としては知っていたが、目の当たりにすると……。


 壁……薄いんだよね。


 恋心を自覚した相手のそういう行為を壁越しに聞かされるのは、正直精神的によろしくない気がする。多分、ドロドロとした真っ黒い感情でいっぱいになることだろう。


 帰りたくないな。


 かといって、大学に泊まりに行けるような友達なんかいない。

 唯一の友達の花梨は、今日はサークルの飲み会だと言っていたから、帰りは夜中だろう。

 鞄の中の財布を確認すると、三千円入っていた。

 往復の交通費と宿泊代を考えると、カプセルホテルは厳しいだろう。漫画喫茶……。それも少し怖かった。


 スマホをいじって泊まる場所の検索をしていると、着信音が鳴りワンコールででた。


『弥生ちゃん、今電話いい? 』

「鍵谷君。いいよ、どうしたの?」


 電話は尊からで、週末に尊の妹がくるから、一緒に遊ぼうというお誘いだった。尊の妹の麗とは、熊さんパンツの一件から、たまに遊ぶ仲になっていた。かなり年下の筈が、弥生とは対等……いやどちらかというとお洒落にダメ出しされたりとどちらが年上かわからないような関係だ。


『……弥生ちゃん、もしかして今外にいる? 』

「あ……うん。まあ……」

『やっぱりか、なんか外っぽい感じがしてたんだよね。……どうかした? 』

「ちょっと……ね」


 帰りたくないとも言えず、言葉を濁す。究極はファミレスかなと思いながら重い腰をあげた。スマホを耳にあてたまま、賢人の家のドアを見る。


 今頃あの中で……。


 考えたくなくて、慌てて視線をそらすと、弥生は鞄を肩にかけて足早に公園をあとにした。


『移動してる? どこ行くの? 』

「どこにしよう……かな」

『……うちくる? 』

「いや、でも、それは……」


 尊のアパートは同じ駅の反対側だ。ちなみに、花梨のアパートも尊のアパートから近い。

 さすがに尊の家には泊まれないけど、花梨が帰ってくるまでいさせてもらおうか?


『弥生ちゃんが一人で外うろうろしてるって思ったら、心配で寝れそうにないから、僕の安眠の為にもうちに来てよ』

「わかった。じゃあ、花梨ちゃんが帰ってくるまでお邪魔してもいいかな? 」

『うん、じゃあ待ってる』


 弥生は尊のアパートを目指して歩き始めた。



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