#11 名もない星






 魔具中の近くには、銀山川という小川が流れていて、太田さんはそのあたりで待ってると言う。一緒に行かないの?と問うと、ちょっと締めのトレーニングしたいから先に行く、ときっぱり言われた。部室を出て駆け足で去っていく太田さんの背中がやっぱり大きい。私は動きのとろいかたつむりだから、着替えるのを待ってたらきっと夜が深くなると思われたのだろう。実はその通りだったりする。


 着替え終わって、ラケットを部室に置いたら、部室を出る。


 空は西日が死にかかって、オレンジと紫が混ざり合っていた。もうじき混ぜすぎた小学生の絵の具のように、黒く染まっていくだろう。暗くなるまでには帰りたいので走って正門を抜ける。頬をすべる風がぬるい。





 銀山川に架かる小さな木橋に太田さんはいた。私が太田さんをみとめるのと同時に太田さんも私に気がついて、手をひらひらさせている。


「太田さ……ハァ、」

 遅れてごめん、その手をひらひらさせるしぐさ先生に似てる、開口一番何を言おうか迷いながら膝に手をついて肩で呼吸していたら、とうとう何も言えなくなってしまった。

「宮田さん、今からテニスしよ」

 パッと花が咲いたように笑った太田さんは、丘の上の公園を指さしていた。「あっちで」

「え、今から?」

「うん、今から」

「正気?」

「正気。テニス部だから」

 じゃあ私はテニス部じゃないな……と思いながら、普段クールなイメージの太田さんが笑顔まで咲かせて誘ってくれるのだから断るわけにもいかず、丘の上までふたりで登った。普段みんな部室にラケットを置いて帰るけど、太田さんは今日は肩にラケットケースをかけていた。先に行っていたのは、私の分のラケットを取ってきたからだろうか?

 もしかして太田さん……

「テニス一緒にしよって言ったら来ないと思って、内緒でラケット取りに帰ってたりして……」

「正解」

 声に出てたー! でも正解だからよし。いや、よしではないか。実際、放課後一緒にテニスをしようと言われていたら断っていた可能性もあるなぁとちょっと思ってしまった。テニスは嫌いじゃないけど、練習が終わった後またテニスをやろうだなんて思わない。休日にテニスしにコートに行く人の気持ちもよくわからない。

 丘の上の公園は、そのまま「上の公園」という名称で呼ばれていて、側にあるベンチから私たちの町の一部を一望できる。

 シロツメクサの生えた不安定な芝の上で私たちは軽いロブでラリーする。時々イレギュラーしたり、コントロールがおかしくなって「ごめん!」って言う私の声と、ボールの跳ねる音、それから遠くで車が道路を走る音だけが世界を作っていた。他はひたすらに静寂。

「私は……」ラリーを始めてから黙り込んでいた太田さんがついに沈黙をやぶった。

「私は……宮田さんと全力で勝負したい」

「え、今?」

「今じゃなく、試合の時」

 私の返球は少しそれて、「ごめん!」ブランコの方へ。タッタッと優雅に走って、地面を転がるボールをぽぽんと叩いて跳ねたボールをキャッチ。太田さんは私に向かってラケットを構えてこう叫んだ。

「なんで遠慮するのー!宮田さんだって本当はもっと上手い!」ポーンと大きくロブ。

「そんなことないよー!」変な風にバウンドしたボールを丁寧にまたロブ。

「ある!今日のローボレーうまかっ……た!」とノーバウンドで返球してくる太田さん。ボールはそれてベンチの方へ。

 空の絵の具は黒が強くなってきたけど、公園の街灯が私たちとボールを照らしてくれるから、ボールも太田さんもよく見える。ベンチの下を転がるボールを屈んで掴んだら、太田さんが近づいてきて「休憩しよー」

 それからベンチに座るか座らないかぐらいに、「質問に答えてよ」と言われた。

「え?」

「なんで遠慮するのーって聞いた」

「あ、ああ、うーん……でも私、全力のつもりだよ。というか私、自分が目立ちたいとか勝ちたいとかなくって」

 本当にない。

 みんなが強くなっていくのを見届けられるだけで、本当に満足で。

「わかる」と太田さんは言った。

 私は太田さんをまじまじと見た。「わかる」と太田さんは再度言った。嘘じゃないような気もする。そんな瞳をしている。

「太田さん、勝ちたいとか思わないの?」

「『自分が』目立ちたいとか、勝ちたいとかは思わないよ」

 自分がを強調して、ツバを飛ばす太田さんが愛おしい。そのまま太田さんは熱弁を続けた。


「強い相手とテニスが出来れば私はそれでいい。勝ち負けにはこだわらない。でも、私のペアはじょほなんよ。じょほ、天才すぎ。綺麗なフォーム、綺麗な球筋、弱点はもちろんあるけど、補ってあり余る魅力がじょほにはあるよね……。私、兄貴がいて。兄貴はソフトテニス有名な高校のレギュラーで強いからよく試合も見るんだけど、じょほの球って匹敵するくらいの魅力あって……。だから、じょほとペアを組む時間って特別で」


「うんうん」


「だから私は目立ちたいし、勝ちたい。じょほのペアでいられるように、じょほと試合に勝つために」


「わかる」と私も言った。

 太田さんがまじまじと私を見るので「わかる」と再度言ったら、「デジャヴだ」ってお互い笑った。アハハ、フフフ、の応酬のあと、一瞬の静けさが来て、それで太田さんが「でも……そっか」って切り出した。

「宮田さんってみんなのことが好き?」

「うん、太田さんも含めてだよ」

「ありがとー。つまりまふっちゃんだけが特別ってわけではないってことだよね」

「うーん……そうかも。一番仲が良いのはまふっちゃんだと思うけど、一番勝ってほしい人は決め切れないや、私」


「そっか。そこは私とは違うんだね。私もみんなのこと好きだよ。私そんなに普段から喋らないのにみんな太田さん太田ちゃん太田っちって気にかけてくれて。優しいよね。でもじょほと勝ちたい。だから絶対メンバーにも選ばれたかったし、自信もあった」


 それから、じょほの弱点を先生に指摘したのも実は私なんだ、と告白された。


「え、先生の戦術かと思ってたのに!」


「先生も多分気付いてたよ。私の父親に最近テニス習ってるんだよあの人。元々同じ学校の同級生だったらしくて。あ、放課後帰ってたのは、父親の指導するテニスクラブに行ってたからだからね。ほんと違うから。話し込んでたのも、父親の話やらじょほの話やらしてただけで」


 ほんとに頼むね、こっちの噂は広げていいから……と手を合わせる太田さん。いや、その噂はその噂でまずそうだなぁ……。


「でもよかったの?私たちに弱点教えても。もし万が一負けたりしたら……あ、いや、絶対ないんだけど」


「弱点バレしても勝ちきる練習もしたかったし、勝つ自信もあった」


「すごいな〜太田さん!そこまで想定して……」


 太田さんに「ちょっぷ!」された。イタイ……とつむじを抑えると、普通は怒るとこだよ、と困り眉の太田さんがいた。太田さんって雲の上の存在みたいだったけど、意外と喋ったら表情豊かで可愛いんだなぁと思った。ますます転校するのが惜しいな。本当に。でも人数が9人になることで、まふっちゃんは団体戦のメンバーになれる。なんなら、レギュラーの座を掴めるかもしれない。それなら……。


「太田さん、私もまふっちゃんにレギュラーとって欲しい。勝って欲しい」


 太田さんはニッと笑った。街灯のオレンジが太田さんの顔を照らして、朝焼けみたいに綺麗だった。


「後衛を生かす前衛術、私のパパに習ってみる?」


「パパ?」


 ハッと太田さんは目を見開いて、みるみる顔が紅色に染まる。可愛くて、もう撫でてあげたい。普段硬派な太田さんのこのギャップは、彼女のスマッシュ並に破壊力抜群だ。


「あと、いつかさ……」


「いつか、宮田さんと全力勝負できたらいいな」


 すごく楽しそうな気がするんだ。何の星かも分からない空のきらめきに向かって、太田さんは呟いた。




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