第3話 手を離してくれませんか?

 振り返れば、そこには一人の美少女。


 俺と早見の視線が交差し、数秒間見つめ合う。

 この至近距離だと、その可憐な顔がはっきりと目に入り、美少女っぷりがよくわかる。


 俺は、状況が理解できず、息を飲む。


 早見はひとつ深呼吸した後、静かに頭を下げた。


「昨日は、助けてくれてありがとうございました」


 どうやら、昨日のバスでのことのお礼を伝えにきたらしい。

 そんな大それたことはしてないのだが、わざわざ言いにくるあたり、真面目な性格なのだろう。

 そういえば、どんぐりも人探しがどうのとか言ってたような言ってなかったような。聞き流してたからからよく覚えてないが。


 相変わらず教室にいる生徒は俺たちに視線を向けている。

 今の気分は、まるで檻に入れられたパンダのよう。

 ここは動物園じゃないですよ。


 と、今はそんなことを考えてる場合ではない。

 

「あぁ、気にしなくていいですよ。それと──」

「? はい」

「そろそろ手を離してくれませんか?」

「手……?」


 俺の言葉を聞き、早見はゆっくりと視線を下げる。

 そこにあるのは俺の右手と、それを握っている早見の両手。

 そう。今の今まで、その白く小さな手にぎゅっとされていたのだ。

 それに気づいた早見は、慌ててその手を離した。


「し、失礼しました……!」


 恥ずかしさからか、その白い頬は次第に赤く染まってゆく。

 そのまま少しの間俯く。

 その後、顔を上げると、口を開いた。


「それでですね、その、何かお礼を──」

「それじゃ」


 その言葉を最後まで聞くことなく、俺は踵を返した。

 ようやく手が解放されたんだ。

 とにかく早くこの場を去りたい。その一心のみ。


 俺はこんな注目を集めるようなキャラじゃないんだよ。勘弁してくれ。

 ただ、そんな俺の思いなどどこ吹く風。


「ま、待ってください!」


 再び俺の手が早見によってがっちりホールド。

 その手には、先ほどよりも少し力が込められている気がする。逃すものか、という気持ちの表れだろうか。

 早見を見てみれば、頬をぷくっと膨らませ、キリッとこちらを睨んでいる。

 怒った顔も実にかわいらしいですね。


「あの、手を──」

「離しません。手を離してしまうと、あなたは逃げようとするので」

 

 エスパーですか?

 手が離れた瞬間にこの場から華麗にどろんしようと考えていたのだが、相手はどうやら一枚上手だったらしい。

 さて、どうしたものか。

 さすがの俺も、女の子の手を無理やり振り払えるほどの度胸は持ち合わせていなかった。


「あの、何かお礼をしたいのですが、この後の予定は空いてますか?」

「残念ですが、今から部活があるんですよ」

「あ、そうだったんですか……。どちらの部活に?」

「帰宅部って言うんですけど」

「……」


 早見のこちらをみる目がジト目に変わる。

 なんだよ。帰宅部は学内でもトップクラスで人口が多い部活なんだぞ。サッカー部や野球部なんて目じゃない。


 放課後を迎えた学生たちが、授業からの解放感を胸に、各々のプライベートタイムを謳歌できる最高の部活。

 さらに、今日は一人ティータイムをする所存だ。ただ帰宅するよりもパフォーマンス点が加点されること間違いなし。


 早見はにこっと笑顔になるが、その目は全く笑っておらず。


「この後は空いているってことでよろしいですね……?少し付き合ってもらえませんか?」

「いや……。」


 俺は丁重にお断りしようと──

 そこで周囲からの視線に殺気が混じっていることに気づく。


 それまではどちらかというと珍しいものを見るような、好奇的な視線が多かったように思えるが、なにせ状況が状況だ。

 スーパー美少女であるあの"白雪姫"に手を握られ(早見が俺を逃がさないためだが)、あろうことか放課後にお誘いまで受けているのだ。


 つまり、そういうことだ。

 男子たちからの嫉妬と殺意のこもった視線が痛い。

 まるで、「お前、白雪姫から誘われるだけでも羨ましすぎるのに、まさかそれを断ろうとしてんの?死ねよ」と目で訴えているかのよう。

 はたして明日俺は生きているのだろうか……?


 こんな状況で、ノーと言えるはずもなく。


「はい……。」


 そう答えることしかできなかった。

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