第3話 病の在処
王都の北に聖メアリー病院はあった。僕は約束の時間に間に合うよう、荒れた石畳の道を急いでいた。
王妃殿下の名の一部をつけられた病院は、殿下が隣国ジステニア王国から輿入れした際の持参金を使って建てられたものだ。
ジステニア王国とは国境にある鉱物資源を回り、50年間敵対関係にあった。しかしいつまでも小競り合いを続けたところで双方に益なし、と判断した先代の王たちが相互に資源を利用する協定を結んだのが25年前のこと。
その協力関係に証にと、当時15歳だったマリー殿下が嫁いでこられたのだった。
まだ少女だったマリー殿下に対して、王宮内では風当たりが強かったと聞く。長く敵対関係にあった国から嫁いできた王妃に対しての、国民感情もあまり良いものではなかった。
そんな中、
「私はこの国とのかけ橋となるため、嫁いできたのだから」
と、マリー殿下は王都の中でも貧しい北にあるウエバー地区を選んで病院を建てた。
病院の中は意外なくらい明るかった。決して豊かではない地区にある病院だが、壁の色は明るいベージュで、どころどころに小さな絵が飾ってあった。中央に吹き抜けの中庭があり、小さな噴水とその周りに飾られたゼラニウムの鉢があった。
腕に包帯を巻いた子供が、噴水の脇に腰掛けながら何かを食べている。隣に座る母親に話しかけて笑う。
ああ、そうか、僕は思った。
勝手に思い込んでいたのだ。貧困地区にある病院は、暗くて殺伐とした雰囲気だと。
ここに来るまでは、多少身構えていた。貴族である自分が貧困地区に足を踏み入れる機会は滅多になかった。だから想像していたのだ。貧しく、ぎずぎずとした不衛生な場所を。実際にきた病院は、こんなにも明るく穏やかだというのに。
待合室で名前を呼ばれた。診察室に入る。
「はじめまして。担当医のクリストファー・ガイルです」
思いの外、若い男性が椅子にかけて僕を迎えた。おそらく同世代。アルヴィンが恩人と言うから、すっかり年配の老人みたいな人を想像していたのだ。
「どうかされましたか?」
「…すみません、アルヴィンが恩人だというのでもっと年配の人を想像していたもので」
ガイル医師は黙って微笑む。グレイがかったプラチナの短い髪に、深いブルーの瞳。この国の北に多い民族の特徴を備えた医師は、問診票をみながらいくつか僕に質問をする。
「首や頭には問題はなさそうですね。そうなると考えられるのが
僕はびっくりしてガイル医師の顔を見る。
思わず固まってしまった僕に、ガイル医師が「アシュトン様?」と声をかける。
「…ああ、すみません。そう言う風に尋ねられたのは初めてだったものですから」
「いえ、驚かせてしまったのなら申し訳ありませんでした。ただ、頭痛の原因は生活習慣や精神的な疲れにある場合も多いのでお聞きしたまでです」
「…ええと、確かに
「そうですか」
「ただ…」
僕は口ごもる。しばらく沈黙が続いた。何か吐き出してしまいたい強い感情が喉の奥まで迫り上がってくる。
「…もしその
ようやくのことで僕は言った。
「では薬を変えましょう。今のままの薬を、このペースで飲み続ければ依存症になりかねませんから」
「依存症…?」
僕は驚いて顔をあげた。
「アルヴィンは優秀ですね。早い段階であなたをここに寄越した。今のあなたは痛みの根本的な原因に対して、何の治療も行わないまま、ただ痛みをごまかす薬を処方されているに過ぎません。…半年も同じ薬を飲み続けて、症状がひどくなる一方なら、その対応方法では解決できないところに原因があると考えた方がいい」
僕は大きく目を開いた。半年、と言う言葉が胸に突き刺さった。
「…もし」
僕は言った。
「ある人が病気で、その病気の原因がわからず半年の間、特に治療に進展がみられず、日に日に衰弱していく一方だとしたら」
僕は王妃殿下を思い浮かべる。そして、尋ねた。
「あなたであれば、どうされますか?」
ガイル医師は真っ直ぐに僕をみた。そして少し考えてから言った。
「半年も経つ前に、誰かに相談するでしょうね。複雑な症例に出くわした時、多くの医師がすることといえば、より経験豊富な医師に援助を求めることですから」
この瞬間、僕の中で何かが定まった気がした。頭痛が少しだけ頭の奥から遠のいていった。
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