第2話
微かに震える若菜の身体を抱きしめたまま――。
「今日は、俺の家に泊まるか?」
訊いた途端、若菜の顔が一瞬で沸騰した。
あれ? なんでそんな……。
「ち、ちが! ほら、お前、ああいうの怖いだろうし、どこに逃げたかもわかんないしで、その、若菜の家よりかは、安全が、その!」
そういう意味じゃなかったんだけど、確かに聞き方によっては不純――い、いや、愛があるから不純じゃないのか? って、落ち着け、俺――ヴ、ごほん。その……。
桃色的展開を感じさせる発言だと気付いて訂正するが、若菜の方も流石にきちんと分かってくれてはいたようで、すんなりと……ではないが、頷いてくれた。
「だ、だいじょうぶ。うん……大丈夫、分かってる。そう、お願いしたいな」
ふぅ――、と、長い息を吐いて、若菜を降ろそうとしたところ。
「え?」
「あ?」
地面に若菜の足をつけた途端、きょとんとした顔を、目の前数センチに突き出された。しかし、こちらとしては、なにが『え?』なのか、全然分からないんだが。
「このまま帰るんじゃないの?」
「……ああ。若菜の家に寄った方がいいのか?」
「アホ」
至極真面目に聞き返したというのに、若菜に軽く頭突きされてしまった。
「私の家には寄らなくていーの。鞄とか、明日学校行く前にとってくし。そうじゃなくて、こーれ。この腕は、なんで許婚をちゃんと支えないかな」
べしべしと俺の右腕を叩く若菜。
「ここから?」
若菜は頷いた。
「家まで?」
また頷く若菜。
「お姫様抱っこで?」
当然という顔が目の前にある。
……どんな苦行だ。
重さ的に、即筋向けのトレーニングだけど、俺の家までは持久戦になる。単に腕を痛めるだけで終わりそうだ。
「なによ。その嬉しそうな顔は」
口をへの字にした若菜。
今度はコッチから軽い頭突き――加減しすぎて、額をあわせただけっぽい感じになってしまったが、ともかくも頭をぶつけてぶっきらぼうに告げた。
「背中で手を打て」
「この甲斐性なし」
「うるさい」
素直に抱っこの姿勢から降りて、俺の背中に飛び乗った若菜。太股を支えると――。
「あ!」
不意に上げられた声に、肩越しに振り返ると、嫌な感じの笑顔を向けられた。
「おっぱい狙いだった?」
「純粋に、学術的興味として、左右の違いを認識させてくれ」
山篭りの遣り取りを思い出し、嘆息して答えれば、コツン、と、後頭部をたたかれた。
「ば~か」
若菜を背負って、石段を降り、二番街へと入る。
シャッターが閉まりきった商店街に人影は無かった。気配を探ってみるけど、テレビか動画かなにかの音楽が少し聞こえるだけで、あの鬼の気配は無い。
「あれって、一体なんなんだろうね」
甘える調子の若菜の声。
まだ、少し怖いのかもしれない。
「山では襲ってこなかったんだけどな」
それ以前に、ウチの両親には見えてもいなかったし。
「私達についてきたのかな?」
……どうなんだろう? 俺達が山でキャンプしてたのって、七月三十日からの十日間だ。それが、八月二十二日の今日まで大人しくしてたっていうのも変な感じがする。てか付いて来た――憑いて来たのが正しいか? ――なら、まず俺達の家に出現しそうだし。
「若菜って、二番街が嫌いなのは、ここでも鬼を見たからとかじゃないのか?」
「ううん、単に煤けた感じだから嫌なだけ」
どうも、俺の勘違いというか、考え過ぎだったらしいな。
しかし――。
「アレ、電車に乗れると思うか?」
「……思わない」
霊的な何かなので、なんでもあり……な、雰囲気もあるかもしれないけど、そう言ってしまうと対処のしようが無くなる。攻撃は通じていた以上、捕縛して細かく裁断するとか、燃やしてみるとかすれば、なんとかできるような気がする。
「御祓い、してもらおうか?」
若菜の提案に、あんまり乗り気になれずに俺は答えた。
「神社で出たのに?」
「あ、そうだよ。お堂を綺麗にしたら出なくなるかも」
「そういう神様的な何かなのかなぁ」
俺としては、攻撃が通じた以上、あまり大層なモノとは思えなかった。なにか、未知の生物的な……。あ!
「俺は、UMAの一種みたいな気がするけどな」
「UMAって」
若菜が苦笑いする気配があって――。
「もしかしてとは思うけど、匠、あれを捕まえる気じゃないんでしょうね?」
「もちろん捕まえる」
「はあ⁉ 捕まえてどうするの⁉」
若菜が首を俺の肩の上から突き出して叫んだ。
どうするって……。
「危険だし、処分する」
貧血みたいにフラッとした感じで若菜は俺の背中に密着するように倒れこんできた。
「まあ、確かに。分かるよ、アレって私達のせいかもしれないんだし。分かるんだけど……アンタ、いったい、どんな心臓してるのよ?」
俺の左の肩甲骨付近……心臓の真裏辺りを撫でながら、訊いてきた若菜。
「戦っちゃった以上、放置も出来ないだろ」
アレが野放しになっていると、一般人への被害が気になる。
警察は――。
……どうだかな。真面目に取り合ってもらえる自信は、全く無い。むしろ、被害者を精神科とかへ送り込みそうで嫌だ。
警察への相談はしないことにする。
「まあ……、ね」
神社に逃げ込んだ自分にも原因があると思っているのか、若菜が若干気まずそうに答えてきた。
ほぅ、と、軽く上がった息を吐いて――流石に人を背負っての長距離移動は堪える――、二番街を出ると同時に俺は告げた。
「後は、俺がなんとかするよ」
「え?」
どこか途方にくれたような声に、俺は噛んで含めるように言い聞かせた。
「だから、俺が上手く処理するから、若菜は大丈夫だよ」
これでもうあんしんだろう、と、思っていたんだが、どうにも若菜の反応は予想外だった。
「なにそれ!」
耳元で不機嫌に叫ばれ、無理矢理首を右に向けられ――。若菜の不満で膨れた顔が目の前に突き出された。
「この私を、お姫様扱いできるなんて思うなよ⁉ アンタなんか、王子様じゃなくて、ただの許婚なんだからね!」
結局は、どう頑張ってもこうなるらしい。
鬼よりもお前の方が厄介だ、の一言は飲み込んで、俺は再び前を向いて歩き始めた。
確かに、女の子を巻き込めるようなことじゃないのかもしれないけど……。
一緒に戦うなら、やっぱり若菜以外に――若菜以上に息の合う相手は、思い浮かばなかった。
二人ならなんとか出来るような気がしていた。
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