第2話

 実践武術の道場は、近年では――というか、戦後減少の一途を辿っているように感じる。空手とか、柔道とか剣道、そうしたものは、試合として……スポーツとして受け入れられているけど、完全に殺し技の系統は、今や少数の有名どころが物好きや警備会社と組んでやっているぐらいで、ほとんどは零細だ。いや、零細どころか、潰れているのが大半だと思う。不況でもあるんだし。

 ウチの道場も、俺と若菜が最後の跡取り。それも、俺と若菜が大学を出たら、どうするか決めていいということになっている。

 ちなみに、どちらか強い方が跡取りというわけじゃない。同じ年に生まれた男女ということで、従姉妹の若菜とは、三つぐらい……あれ? 四つだっけ? まあ、そのぐらいに許婚として書類を交わしている。

 そう、口約束じゃなくて、きちんと明文化されている。

 小さくは無い古い町が俺達の住んでいる場所で、そこでの従姉妹婚は別に忌避されていない。土着の神社なんかも多いんだし、そういう土地柄なのかな。

 でも、やっぱり小学校高学年になった頃から、そうした事実が重くなり始め、口数も人付き合いも少なかった俺と違い、社交的な若菜の方は同級生のからかいもあったらしく――。

「『アンタなんか殺してやる』、か」

 自嘲で止めるつもりだったが、つい口走ってしまっていた。若菜の肩が緊張でビクついたのが分かり申し訳ない気持ちで、さっきの発言と差し引きゼロという空気をまとう。

 若菜の気持ちも分からなくもないが、その矛先が俺に向かうのは、少し納得しきれない部分もある。この話をまとめたのは両親や祖父母なんだし、責任の在り処はそっちだ。俺は巻き込まれただけ。

 ただ、まあ最近の若菜の両親は、道場の跡継ぎというよりも、無難な将来設計の一環として物分りが良い――と、周囲には思われているようだ――俺を、気性の激しい若菜にあてがいたいって心境みたいだけど。


 山菜汁と、副食の川魚やザリガニの焼き物の準備を終え、火の側の若菜の方に向き直ると、真っ直ぐに視線がぶつかった。

「難しいよね! 恋も結婚も」

 吹っ切れたように短く叫び、どこか大人びた顔ではっきりと口にされると……。その……困る。

「隙あり」

 若菜が投げて来た、小枝の燃えさしを避けた後、踏んで火を消し「条約を破るな」とだけ俺は言い返した。

 鍋は火に掛け、串を打った魚とザリガニは火から充分に離して強火で炙っていく。魚やザリガニは、寄生虫も怖いので良く火を通す必要があるけど、厚みがあるので遠火でじっくりと焼かないといけない。火に近すぎると、表面が焦げても中身は生だったりするし。

 火加減を調整しながら、若菜に訊いてみる。

「ザリガニと川魚、どっちがいい?」

「さかな!」

 当然でしょ? とでも言いたそうな顔だ。ザリガニだって、今の日本じゃ馴染みが無いだけで、他の国ではレストランで出すとこだってあるのに。それに、味もエビと大差ないし。

 鍋はそんなにかき混ぜないでも問題ない。魚とザリガニの肉の火加減や向きを調整しつつ……ちょっと空いてしまった間と沈黙を持たせるように、俺はさっきの質問の続きのような雰囲気で訊いてみた。

「若菜は、やっぱり俺を殺して自由になるって、思ってる?」

 まだ、と、付けそうになったがやめた。『まだ』と付けると『いつか』違う気持ちになるって、信用というか……期待しているように受け止められるような気がして。

 ……うん。

 若菜だけが、決まったレールを嫌がってるわけじゃない。俺だって、勝手に引かれた路線に沿うだけの人生には不満がある。

 ただ、若菜が先に大人びていってしまって、婚約に口を出し、俺に対して暴力的な意味で手も出したから、出遅れた俺は口を閉ざしただけ。

 いや、不満っていうのも正確な表現じゃない、か。俺の場合は、疑問と言ったほうが正しいかもしれない。これでいいのかな? って。

 数年後、数十年後も、若菜とこうしているのが……果たして、幸せなんだろうか? 嫌ってわけじゃないけど、なんだか、今、そこまで決められている事になんだかぞっとする。


 沈黙は、短くない時間続いた。

 時計は無いけど、料理をしている俺はその具合からなんとなく、流れる沈黙を計れてしまう。

 鍋にも、焼き物にも、充分に火が通った頃。ようやく若菜が動いた。

 す、と、若菜の左手が俺の首に添えられる。

 肩越しに振り返ると、まるでキスするような間合いの若菜と目が合った。

「そうだよ。だから、油断しないようにしないと」

 ギラギラした肉食獣の瞳と、どこか繊細な笑みを浮かべた口元。なんといか、……殺気は感じられないものの、凄みのある表情だった。


 恋も結婚も難しい、か。

 確かにそうかもしれない。俺達は、他の誰よりも近い。

 だけど……、上手く言えないけど、ずっと二人ぼっちだったから――許婚の件や実践武術の特訓とか、他のクラスメイトに理解してもらい難い経験を共有している――、惹かれる気持ちもあるのかもしれない。

 若菜の事、嫌いだけど、好きなのかもしれない。

 若菜は……どうなのかな? 同じ気持ちだからこそ出たという一言だったなら、少しだけなら、嬉しいかもしれない。

 ……色々と怖いし、面倒臭いけど。


 あーあ。

 もっと、なんにも考えずに鍛えられていた時が一番幸せだったように思う。

 拳を早く振れるだけで、蹴り技を自在に繰り出せるようになるだけで……。身のこなし、歩法、受身、そうした強くなっているって実感を両手に握り締められていた頃が。

 俺達が修めているのはスポーツじゃない。だから、名誉も無い。培った技術を活かせるのは、警官か警備会社か、そんなもんだ。

 歴史ある家柄という大樹の、一番最後に伸びた枝。その先端。枯れるだけの場所に俺と若菜はいる。

 昔から、そんな気がしていた。

 そして、今でも。

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