無謀な突撃に価値は無い
妹及びモザンと別れ、蓮司は一人教室に入る。
既に朝の一幕は短い時間ながらもSNS経由で広まっているようで、入ってきた瞬間から別種の刺すような目が集まる。
好奇的なものではなく、その目は詰問を宿していた。特に男子組の視線は酷いもので、嫉妬に塗れた眼差しには僅かな殺意が覗いている。
パーカーを脱いだ先には圧倒的な美があった。その美しき人間が、蓮司と奈々に気にかけている。
それはそれは嫉妬が集まるだろう。微笑まれただけで胸の高鳴りを覚えかねない彼女が蓮司の傍に居るなど、人によっては耐え切れない。
そして、このクラスにはそんな耐え切れない人間が複数人居る。
言わずもがな、真木・陽子率いる嘗ての虐めメンバーだ。ただし、正確に言えばその中でも男子の面子のみである。
筆頭は男子達を纏める岩倉。金髪の軟派男は犬歯を剥き出しにしながらゆっくりと歩み、目と鼻の先で立つ。
身長は彼の方が上だ。必然的に蓮司は見上げる形となり、不機嫌な男と視線が交わる。
絡まれるのは随分と久し振りだ。昔日の恐怖は微塵と砕け散り、肉食獣の威嚇に怯えを抱くことはもう無い。
「よう、最近景気が良いみたいじゃねぇか」
「そうだな。 どっかの馬鹿が絡まなきゃ今日も良い気分だったよ」
「……ははは、やっぱり変わらねぇみたいだな。 生意気なのは相変わらずだぜ」
激昂の声は上げない。未だ格上として岩倉は彼を見下し、その様は呆れる程に普段通りだ。
享楽を求め、愉悦を希求し、自分以外を玩具と断ずる。
そんな人間が変わるのは難しいだろう。一度蜜の味を知った人間が再度蜜を求めるように、優越の支配に酔った岩倉は戻れない。
だから、自分が馬鹿にしていた相手が恵まれるのが許せないのだ。解り易い程の内心を読み取り、蓮司は胸の内で溜息を零した。
「で、何の用だよ」
「決まってるだろ。 あの女、随分良さそうじゃねぇか。 連れて来いよ」
「断るに決まってるだろ。 馬鹿かお前は」
「ははは、良いじゃねぇか――」
直後、岩倉の拳が蓮司の顔面を狙う。
ノータイムでの高速の一撃。最初から不意を狙った攻撃を前に、蓮司は顔面に直撃する寸前に右手で受け止める。
まさか止められるとは思っていなかったのか、岩倉は一瞬だけ驚きの顔に変えるも、直ぐにその顔を険しいものに変えた。
これが目の前の男の素だ。周りは戦いの気配を感じて遠ざかり、一部は教師を呼びに走る。
「ッチ、やるじゃねぇか。 面倒臭ぇ」
「面倒なのはこっちだ。 俺は余計な戦いは嫌なんだよ」
「あん? 良い子ちゃんじゃねぇか!」
掴まれた手を引き抜き、再度殴ると見せかけて足を振るう。
脇腹を抉り抜くように放たれる攻撃を目で捉えた蓮司は、焦ることなく足を捕まえて強引に投げ飛ばした。
この数ヶ月、レッドによる暴力的な教育は蓮司の身体を作り変えている。
より戦闘向きに、より効率的に。他者を破壊することに長けた動きは加減をすれば負傷させる程度に留めることが出来る。
マットではない床に叩き付けられ、岩倉は呻き声を漏らす。
これまでは足の動きを読むのに精一杯だったが、最早読む必要すらない。視認して適当に投げるか殴るだけで戦いは終わりだ。
普通ならば更にここから鳩尾や頭などを踏み付け、満足に動けない状況に追い込む。金的を潰せば男は再起不能だ。
しかし、そこまでやれば過剰防衛。如何に過去に虐められていたとはいえ、引き際を心得ていなければ鍛錬をした意味は皆無である。
「大人しくしてろ。 無駄に騒いで事を大きくするなよ、情けない」
容赦の無い言葉を投げ掛けられ、岩倉は怒りで我を忘れそうになった。
目の前の男は最早自分を眼中に入れていない。磨いた技術をひけらかさず、基本的にはこれまで通りの学生で居ようとしている。
なんだそれは。どうして自分の我を示そうとしない。
力がある。更に蓮司の学校の成績は悪くない。例え途中で授業を抜けても、ヴェルサスの件で何かが起きたのだろうと内申点は下げられない。
つまり好きなように振る舞えるのだ。この学校限定とはいえ、好みの女と強引に付き合うことも難しくはない。
なのに蓮司はそれをしないのである。
何処までも何処までも何時も通りを貫き、それが余計に岩倉の憤怒を燃え上がらせた。
この世は世紀末ではない。社会があり、常識があり、決して暴力だけで解決しない事柄ばかりだ。権力の前では膝を屈することも多々ある不条理な世界で、ヴェルサスの存在は非常に特異である。
権力による支配を受け付けず、武力による支配も同時に受けない。明確な権力を有していないながらも、彼等はある種柵みから解放された組織なのである。
「――うらぁ!」
痛む背中を無視して飛び起き、勢いを利用して背中を向けている蓮司の後頭部を狙う。
渾身の攻撃は決まれば気絶必至であれど、ぶつかる瞬間に首を僅かに傾けて拳は宙を舞った。バランスの崩れた身体は前のめりに傾き、蓮司の身体は岩倉の真横。
片足に力を込めて膝を真上に打ち上げれば、そこにあるのは岩倉の腹部だ。
鈍い音が鳴り、部屋は静寂に支配される。
「……大人しくしてろって言ったろ」
「う、こんな……馬鹿な話があるかよ……」
直撃した腹部からの激痛に、いよいよ立っていることも不可能となった身体は崩れ落ちた。
その身体を気にせず、蓮司は自分の席に着く。他の生徒も岩倉を気にはしたものの、彼の味方と思われることを恐れて自分の席に戻っていった。
結局、彼を回収したのは岩倉と仲の良かった男子生徒と担任の教師だけ。真木は自分の味方が敗北した事実に何も感じず、ただ使えぬと判断するだけだった。
学校での大きな騒ぎはその程度。普段よりも静けさの増した教室での授業は平和そのもので、何でもない一日に蓮司は満足を覚えていた。
そして放課後。
岩倉からの報復の一つも覚悟して備えていたが、彼の前に岩倉が姿を見せることはなかった。余程堪えたのか、何か策を立てているのか、どちらが理由かは定かではないまでも泣き寝入りはしないだろうと蓮司は確信している。
教科書類を鞄に入れ、提出物を担任に出していると一部の生徒が突如として窓に駆け寄る。
「おい、あの人って……」
「SNSに載ってた人じゃない!」
女子生徒の声に蓮司も慌てて窓の外を見る。
中庭と正門が見える外には大勢の生徒が下校しており、しかし誰も彼もが正門の傍で待っている女性に集まっていた。
瑠璃色の髪の女性は蓮司も見知っている人物だ。登下校時の護衛と語っていた通り、蓮司を護衛する目的で待っているのだろう。
「目立つ人だな……」
流石と言うべきか、無数の黒い集団に囲まれていても彼女の姿は目立つ。
鞄を持って急いで外に出れば僅かな瞬間でも多くの人間が集まっていた。その中には記者も見え、ヴェルサスについてより詳しそうな彼女に集っているのだろう。
モダンは困った笑みを浮かべながら取材を断ったりファンと呼ぶ迷惑者達と握手を交わしていた。その愛想の良さは彼女の魅力だ。
近付くと、モザンは素早く蓮司を見つける。同じ学生服であるにも関わらず、彼女には他と蓮司の違いが見分けられるらしい。
こんな場所でも超能力者の異常性が垣間見えるも、この程度は慣れたもの。
軽く手を挙げればモザンは手を振り、人混みを掻き分けて彼の傍まで近付いた。
「いやぁ、此処の生徒達は元気だねぇ。 疲れちゃったよ」
「芸能人が出て来たようなものですから。 さっさと帰りましょうか」
長居は無用。足早に去り行く二人にブーイングが飛ぶも、その悉くを無視する。
警察も何時の間にか動いていたようで、二人は必死に接近を防ぐ警官達に頭を下げた。
顔を上げ、ふと蓮司は押し留められた記者団達から離れた位置に居る人物の姿が目に入る。無精髭を生やして煙草を吹かすよれよれな恰好の男性は、蓮司と視線が合うとふっと笑みを浮かべて立ち去った。
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