動き出す怪獣

 早乙女・蓮司の日常は様変わりを果たした。

 街中に広がる好奇の目。悪意と善意が混ざった言葉。話し掛けられる回数は数ヶ月前と比較すると十倍以上で、家に尋ねてくる猛者も居る。

 以前までは体験しなかった人の波は早乙女にとって精神的な苦痛であり、されどそれも致し方ないと密かな優越感も持っていた。自分はある種、確かに選ばれた人間なのだと。

 情報発信の担当者。中継ぎすらも担うかもしれない立ち位置。怪獣が現れた際には避難指示を一早くSNSに投稿し、その文面は世界中の人間が見ることになる。

 何の能力も無い人間が担うにはあまりにも大きい役割だ。普通ならプレッシャーで潰れかねなかったが、彼自身は仕事内容について然程重くは捉えていない。


 理由は単純。

 二ヶ月間で早乙女は彩斗の力がどれだけ馬鹿げているかを再認識した。純粋な筋力差でもそうだし、披露された炎は素人目でも甚大な火災被害を齎す規模だ。少しだけ圧縮して空に放てば、それは小型爆弾となって衝撃波を放つ。

 彩斗からの説明によってバックドラフトを利用したものだと理解はしたものの、そもそも密閉空間ではない場所で似たような現象を生み出すことは不可能だ。

 これが更に成長すると一瞬で森林地帯を吹き飛ばすことも可能となり、怪獣との戦いでは同様の出力で炎を爆発させることも日常だと教わった。

 披露された炎は彩斗の持つ力の片鱗程度。本当は更に膨大な炎を生み出し、それを使って怪獣と戦う。

 めくるめく超能力者達の話は、あまりにも早乙女から現実感と呼ぶべきものを奪い去った。澪が面白がって氷を披露したのもその勢いを加速させている。


 これが全て嘘だと誰が思えるのか。

 早乙女はめっきり信じ込み、一日でも早く彼等に信頼される人間になりたいものだと気合を入れていた。

 そんな早乙女の日常に漸く学校生活が追加されたのは一ヶ月後。澪が開発したプリンターによって建てられた家に人々が移り住み、早乙女家の面々も量産されたマンションに居を移した。

 その結果空き教室も増え、やっとある程度授業が出来る環境が整ったのである。課外授業は流石にまだ出来ないが、通常授業が開始されて生徒達は文句を言いながらも笑顔で日常に戻った。

 

「あー、疲れる」


『そんなこと言うもんじゃないよ、兄貴』


「そうだけどさ、愚痴くらいは許してくれ」


 昼の休憩時間。

 以前の学校生活と異なり、早乙女は大き目の弁当箱を持参して食事をしていた。内容物はどれも高カロリーな物ばかりで、食べ続けていれば勝手に贅肉が溜まっていくだろう。

 しかし、早乙女は日課として鍛錬を積んでいる。彩斗からの直接指導やチャットアプリで送られる基礎トレ動画等を用いて毎日のノルマを達成し、週末は軽い運動だけに留めていた。

 認められたいと思ってはいても大変なものは大変なのだ。強くなる目的があっても、そこに夢中になるだけが人間ではない。

 

 ましてや二人は高校生だ。大学を目指すにせよ、社会に進出するにせよ、その為に勉学に励む必要もある。

 学生生活とヴェルサスとしての生活。二つの生活を両立させるのは大変で、ふとした拍子に眠気に襲われることもあった。今はまだ成績の維持も出来ているが、何れ落ちてしまうかもしれない。

 そして成績が落ちれば馬鹿にする人間が出てくる。ヴェルサスに所属している以上、舐められるのは断固として認める訳にはいかなかった。

 だから愚痴を吐くのは妹だけ。奈々もそれが解っているから軽い調子で注意するだけだ。


『次は何時来るの、レッドさん達』


「三日後の金曜。 またいっぱい投げられるだろうなぁ……」


『あはは、私も指摘されまくるだろうからお互い様だよ。 フローさん滅茶苦茶厳しいし』


 フローとは澪の別名だ。世間に公表された名前でもある。

 由来はフロストから。実に単純なものだ。

 二人のカメラ電話に周囲は耳をそばたてていた。何を話しているのか、何か興味深い情報が聞けるのではないか。うっかりと溢す内容に注意を向けていたのである。

 当然だが、二人にもそれは解っていた。だから話す内容も基本的には浅い部分だ。主に自分達のことについてであり、仕事内容に関係する部分はチャットでしている。


 集合場所は学校から少し離れたとある公園だ。そこから彩斗によって上空に持ち上げられ、澪が張った氷の床の上で鍛錬を積んでいる。

 最初は透明な氷に怯えていた二人も何度もその場に立つことで慣れた。というよりは、彩斗達の鍛錬が厳しかったお蔭で氷の床を怖く感じる暇が無くなっただけだ。

 麻痺しているとは早乙女自身も解っているが、自分が強くなる為には恐怖に拘っても将来性が無い。今は感性が狂ってでも二人に役立つ己になるだけだ。


『……最近は虐めとかない?』


「それはお前が一番よく解ってるだろ? 傷は全部鍛錬のものだけだよ。 今は誰も喧嘩なんて売ってこない」


 奈々の声を潜めた質問に早乙女は笑って答える。

 虐めも随分前に無くなった。あの発表以降、真木達が一度早乙女を殴ろうと接近したが周囲の鋭い目によって抑えられている。自分達の生命線にも成り得る二人が学校に来なくなれば避難が遅れるかもしれないという自己保身の結果だ。

 教師も今は真木達の敵となっている。マスコミも早乙女の発言次第で敵に回るかもしれない関係上、どうしても真木達は手を出すことが不可能となった。

 真木・陽子の天下は当の昔に消えている。その存在感は翳り、今では早乙女一強だ。彼に不利益な事態が起ころうものなら、彼等は進んで手を貸すだろう。――少しでも早く逃げる為にと。

 

 自分も超能力者組織の一員になりたい。その気持ちはあるのだが、その道に進むには一度死線を潜る必要がある。

 誰も彼もが早乙女のように闘志を燃やして挑めるものではない。殆どの生徒は噂伝いで聞いた早乙女とレッドの戦いに勇気を出すよりも怯えてしまっていた。

 それでも友人関係にはなろうとするのだから肝が強いのか弱いのか解らない。虎視眈々と狙われる日常に早乙女は忘れ物一つもすることが出来ず、それも辟易とさせる一因となっている。


「――っと電話だ。 じゃあ切るな」


『うぃー。 私の方にも来たから切るね』


 私用の携帯を引き出しにしまい、机の上でバイブを鳴らす仕事用の携帯を手に取る。奈々にも同じ物が配られ、早乙女の通話先は彩斗のものだった。

 通話を押して耳を当てると機械音声でパスコードの入力を求められる。六桁のパスコードは彩斗達が送った内容以外に設定することは不可能であり、限りなく個人の考える番号を排除されていた。

 

『聞こえているか』


「大丈夫です。 近くにクラスメイトが居ますが、離れますか」


『構わん。 今回は隠している場合ではないからな』


「……ッ!、まさか」


『そうだ。 新しい怪獣が出現した、既に移動を開始している』


 彩斗の固い声に早乙女も息を呑んだ。

 これまで最初の一回以降、公で怪獣が出てくることはなかった。自衛隊や世界各地の軍隊の尽力によって捜索は行われていたが、ニュースでは未だ一体も発見されていない。

 それが出現した。彩斗達が実際にそう言うのであれば、それは即ち真実だ。であれば、早乙女がすべきことも自然と決まってくる。

 即座に普段使いのノートを開き、ボールペンを取り出して文字を書き殴っていく。突然の早乙女の緊張状態に周囲ももしやと緊迫感を高めていた。


『出現位置はお前に解り易く言えば太平洋北西。 対象の移動速度は緩やかだ。 到着日時は現在の速度から推測して四日後。 画像については今送る』


「解りました。 直ぐにSNSに情報を出します」


 即座にチャットアプリから画像が複数枚送られた。

 上から撮られたと思わしき画像には巨大な亀のような怪獣が映っている。その規模、その威容、共にシデンに劣らない姿を隠さずに晒している。

 だが注目すべきは亀の甲羅に該当する部分だ。山のような形となった頂点には煮え滾るマグマが見え、更に両肩には火山と接続するような形で二本の棒のようなものが突き出している。

 珊瑚や海藻に覆われていることで棒を詳しく調べることは出来ないが、それは戦艦等に搭載されている砲台に見えた。

 

 やばい、と早乙女は口にする。

 何が不味いかは解らなくとも、本能的な部分が危険信号を発していた。それを補強する形で更に彩斗は早乙女に情報を送る。


『対象の移動ルートから複数の目的地を決めてある。 此方も画像で送ろう』


「頼みます」

 

 新たに送られた画像を見て、嫌な予感がますます高まる。対象の出現位置から赤い矢印で移動ルートが表示され、赤丸で到達するだろう場所にマークもされていた。

 その中には早乙女達が暮らす場所も含まれている。絶叫したい気持ちを抑え付け、彼は冷や汗を背中に感じながらSNSに情報を書き込むのだった。

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