マッチポンプで世界が変わる!?
オーメル
それは一つの呟きから始まった
生まれたその時から、彼の頭には別の何かが住み着いていた。
そのナニカを表現する術は当時の彼には無く、されどそのナニカに対して彼は嫌悪も恐怖も抱きはしなかった。寧ろ不思議なまでに彼はそのナニカと仲良くなり、ナニカは彼に対しても酷く友好的だ。
ナニカの正体を親は知らない。まだ子供の時分だった頃に彼は親にそのことを話しはしたが、親はまともに信じはせずに生まれたばかりの彼の妹に意識を向けてばかりだった。
必然的に彼は兄としての振舞いを求められ、ナニカの存在について話す機会も早々に消失。
彼もまたそれが決して普通のことではないことを小学生の時分に理解し、ナニカとは友好的なまま中学を迎えた。ナニカは彼と共に成長し、言葉は発しないながらも彼だけには全てが伝わるように脳内に言葉を送っている。
彼もまた脳内に宿るナニカに心の内で語り掛け、時に協力して時に喧嘩をする間柄となった。特に勉学に関してナニカはずっと彼の前を行き、良き教師として彼の成績を高いままに維持していたのである。
「――今まで有難うな、母さん」
高校も比較的有名な場所を卒業して、社会人としての彼は人前に出る分には優秀な人間になった。
だが、ナニカと彼の友情と反比例するが如くに家族達の仲は悪くなっていた。理由は明白、単純に家族が妹を可愛がり過ぎていたからだ。
成長した彼の妹は何処に出しても人目を引く美しさを持ち、周りには無数の男が群がっていた。性格も決して悪いものではなく、優等生として日々好成績を叩き出していたのである。
彼の顔は凡人で、両親の顔も凡人。突然変異が如くに誕生した奇跡の子として妹は愛され、彼もまたそれを致し方ないものとして妹と過ごしていた。
嫉妬をすることはない。羨望を覚えることもない。ただただ、愛されるのも納得だと素っ気無くなる親と無味乾燥とした学生生活を彼は過ごしたのである。
その内に妹との接触も最低限になっていき、今回仕事の関係で彼は引っ越すことを決めた。
「仕送りはしなさいよね。 それと変な事はしないように」
「解ってるよ。 何時もの口座に毎月振り込めば良いんだろ?」
「そ。 じゃあ私はあの子を送らないといけないから、行くわね」
「ああ。 それじゃあ」
引っ越すことを話した際、反応を示したのは妹だけだった。
突然の転勤に寂しげな声を漏らし、それに対して彼は兄としての仮面を被って優しく言葉を返すだけに留める。脳内に居るナニカは妹の事が随分と嫌いなようで、何度も脳内で罵倒の言葉を並べていた。
転勤自体は仕方のないことだ。いくら嫌と言おうとも仕事の都合で無視は出来ないし、それに彼にとって一人暮らしというのは都合の良い話だった。
このまま息苦しい生活を続けるよりも、一人で暮らしていた方がずっと気楽だ。
脳内のナニカもそれについては肯定的で、特に止められることも無く引っ越し自体は無事に済んだ。そのまま新しい職場に無難に着地し、日々何とか定時に帰れるように努力していた。
そのまま一年が過ぎ、二年が過ぎ、その間に家族が彼に対して連絡の一つも送ることはない。妹だけはチャットアプリで度々送りはするものの、彼が無味乾燥な言葉を送ってばかりいた所為で次第に間隔は開いていった。
最早、家族同士の絆が深まることはない。
それは解り切っていたことで、そもそも彼にとって明確な家族と呼べる者は脳内に居るナニカだけだ。生まれた時から一緒に居る兄弟のような存在こそ、彼の唯一の家族である。
「あー、今日も疲れたなぁ……」
ビールを飲み、愚痴を零す。
ナニカは彼にお疲れと送り、それに対して短く彼も返事を送った。お互いに自身の上司の愚痴を話しながらコンビニで買ってきた焼き鳥と御飯をレンジで温めて折り畳み式の小さな机の上に置いて座り込む。
高収入の彼だが、住んでいる所は安いワンルームだ。実質二人暮らしとはいえ、身体は一つしかないので家賃も低く抑えることに成功している。
結婚願望も無く、昇進に対する意欲も無い。最低限の生活が出来ればそれで良いと彼は考え、これまで家族に送る仕送り金以外は全て貯蓄に回していた。
食事を終え、何となくテレビを眺める。面白いとも思わない番組ばかりを眺めている中、不意に始まった一つの番組に見知った人間の姿が現れた。
番組内容はアイドルの食レポだ。東京のとある喫茶店のスイーツを紹介しているようで、木製の椅子に嘗て見慣れていた妹が座っている。
同席する大物芸能人はやれ約束されたスターだの、一億人に一人の美人だのと褒め称え、その言葉を聞く度に彼女は頬を若干染めて控え目な笑顔を芸能人に向けていた。
その顔は彼にはあまり向けられなかったもので、故に珍しいものだ。何時の間にアイドルになったのかと目を若干見開いたが、直ぐにどうでもいいことかとテレビの電源を切る。
何時の間にか、妹は己の道を目指していた。今はまだ高校生である筈なのに、彼女はもう大人の世界に足を踏み込んでいる。
芸能人としての生活は決して普通のものではない。危険と隣り合わせであるとはいえ、彼女は間違いなく貴重な体験をしているだろう。――――その生活を何処か羨ましいと思うのは、彼が彼女の苦労を知らないからか。
「毎日毎日、仕事仕事仕事仕事。 稼いだ分の一部を家族に送って、きっとその金はあの子に使われているんだろうよ」
『彩斗。 君もあの女のようになりたいのかい?』
「アイドルになりたい訳じゃねぇよ。 ただ、そうだなぁ……」
呟いて、携帯のスリーブを解除する。
電子書籍のアプリを立ち上げ、仮想の本棚に収められた一冊の本を取り出した。表紙には何かのアニメ絵が書かれていて、脇にはロボットやぬいぐるみの絵が書かれている。
オタク向け。そうとしか言えない趣味の本を暫し眺め、何でも無いように本音を呟いた。
「こんな世界が実際にあって、そこで主人公を張れるような人間だったらって思わねぇことはないよ」
彼は生粋のオタクである訳ではない。アニメも多くは見ないし、ライトノベルも然程買いはしない。
深くのめり込めるような趣味も無いが故に、表面部分をなぞるだけの酷く浅いものしか持ってはいなかった。仮に彼が創作活動を行ったとして、熱意の無い乾燥した作品が出来上がるだろう。
いや、そもそも完成を迎える前に終わってしまう可能性が極めて高い。――それでも、物語の主役になりたくない訳ではないのだ。
現実は彼にとって苦しいものだ。家族仲は悪く、付き合いの深い友人も無く、職場も楽しいだけのものではない。
毎日を空虚に暮らしていたからこそ、アニメに出てくる世界が実際に出現すれば少しは何かが変わるのではないかと思ったのだ。
「別に特別な人間にならなくたって良いんだ。 少しでも楽しさを覚えるような、息苦しさの無い世界で生きたいだけなんだよ」
『成程、それは難しい話だ』
「だろうな。 自分でもそう思う」
『……でも、出来ない訳じゃない』
「は?」
脳内で確信を込めた言葉を送るナニカに、彩斗は疑問の声を発した。
『要はこの世界に蔓延る常識を変えれば良い訳だ。 それは社会常識でも良いし、世界常識でも良い。 何かを変えて世界を創作話めいた環境にすれば良いんでしょ?』
「そりゃ……確かにそうだけどよ」
ナニカの言葉は確かに彩斗の本心だ。
何でも良いからこれまでのような世界を変えてほしい。創作の世界になってくれればと思うのは、現実逃避をする人間からすれば半ば当然のものだ。彼も先程の妹の姿を見たからこそ現実逃避気味にそう呟き、そしてナニカは出来ると断じた。
興味が湧かない筈が無い。現実逃避をした先にある世界が実現するのであれば、是非実現してほしいと思ってしまう。
ナニカは彼の好奇心に言葉だけで笑いを表現しつつ、案を送りつける。
企画書めいた文章の羅列はナニカがこれまで暖めていたと思わせるには十分で、脳内に居る存在でも彼と同様に現実逃避をしたくなることもあるのだと苦笑した。
だが、彼は文章を読んでいけばいく程に顔面を蒼白に変えていく。
書かれている内容はあまりにも危険だった。これまでの生活を一変させ、既存の常識を塗り替え、世界を阿鼻叫喚の地獄絵図に叩き込むには十分な威力がある。
こんなものを採用する訳にはいかない。
彼は内心でそう思うも、しかし本心には面白さも感じていた。これを実行したらどうなるのだろうかと童心めいた胸の高鳴りを覚え、ナニカは彼に対して素直になれよと言葉を送る。
『君の人生はこのままじゃ搾取されるだけさ。 豊かな人生を自分から放棄して、最後にはゴミ捨て場に打ち捨てられた動物と同じ末路を辿る』
「そりゃあ……そうだろうな」
『家族はお前の事を気にしないさ。 最近はあの女ですらチャットを送ってはいないだろ? ――好きに動いて何が悪い』
人とは搾取されるだけの存在であるべきではない。
人とは虐げられることを良しとする弱者ではない。
人とは夢を追う者であり、人とは未来の為に戦う者であり、人とは時に我儘に振る舞う者だ。
これまで彼は家族に対して配慮をしてきた。角を立てず、親達が望むように動き、それで全ては上手く回っていたのだ。
彩斗の犠牲で回り続ける歯車の群れ。誰かの未来を潰して回り、ナニカはそんな光景を酷く醜いものとして認識している。許せるものではないし、断固として対峙すべきだと考え、されどこれまでは彼の意見を尊重していた。
余計な軋みをあげたくないとこれまで彼は我慢をしていたのだ。ならば、今この瞬間を狙わない道理がどこにある。
『これをするには資金を稼ぐ必要がある。 だが、その点もこっちに任せてくれないか。 一気に大金持ちにしてやるからさ』
「本当にいけるのか?」
『舐めないでくれ。 僕の知性は世界一位だ』
ナニカは彼の脳内の一部に住み着く存在であるが、彼よりも基礎能力が低い訳ではない。
寧ろ逆だ。肉体的なものが存在しない分、何かは頭脳労働に関しては誰よりも秀でていると自負していた。それは彩斗も承知していて、実際にナニカが超高難度の計算問題を全て暗算で答えてみせた際には戦慄を覚えたものだ。
生まれた時から一緒に居る存在の正体は誰にも解らない。彼もナニカもまったく不明で、されど二人の間に結ばれた絆は容易く崩れない程に強固だ。
世界の中で彼はナニカを一番信じている。そして、ナニカは彼を世界一信じている。
俺はお前でお前は俺だ。二人で一つの身体を持つが故に、彼は一つの決断を下すことを決めた。
「信じてるぜ、相棒」
『僕も信じてるよ、相棒』
この日、確かに世界は一つの時代を迎えた。平和とは無縁の、既存常識を無視した物語めいた世界が幕を開けたのだ。
用意された終わり無き脚本に、世界を塗り替える超技術。何もかもを追い抜き、人々は見知らぬ男の登場に物語の主人公を脳裏に描く。
さぁ、マッチポンプの始まりだ。
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