何でもない

緑夏 創

何でもない

稀代の傑作も名曲も、俺を救いはしなかった。いや、それに触れるのがあまりにも遅すぎたのだろうか。もう、何も心に響かないんだ。俺は酷く空っぽだ。最早俺の心には夢も希望も絶望も希死念慮もない。本当に空っぽなんだ。だからもう、何もせず四六時中、天井を見ながら寝ていたって、別に何とも思わない。

古い型のクーラーが唸りながら駆動する音に耳を傾けながら、微睡む。肌寒く思うまで室温を下げて、ソファーに寝転び適当にテレビをつけて布団に包まる、最近はこれが一番楽に時間を潰せる気がしていた。


「締切まであと三日ですよ!」


だが、それは許されないようだ。

忙しなく、ノックもなしに、部屋に飛び込んでは唾を飛ばしやがる若い男。名前は、何だっけな。今の俺は自分以外の人間が全て同じに見える。どうせただの人間だ。俺はたった一個体の名称などもうどうでもよかった。


「ああ……」


舌打ちを打ちながら布団を蹴って、適当に、漏らすように返事を投げる。

そして俺はタバコをふかしながら今日も、無意味に生き長らえるために小説を書くのだ。


別に俺は、お前たちに何も伝えたい事も、説きたい事も、示したい事もない。何かを表現したい訳でも、探求したい訳でもない。ただ、書いてれば何かやってる気になれるから書いているだけだ。

だが幸いなことに、そんな事も知らずお前たちは勝手に、この自堕落を極めてふんぞり返っている俺に値札をつけてくれる。周りのヤツらも、勝手に俺の自己肯定感を得る為に書き捨てたカスを売ってくれる。そして俺は金が手に入る。

一度、居場所と地位と名を売ってしまえばこんなもんさ。ははは楽だよ、生きるのが。

毎日、俺はタバコをふかして、その煙を目で追って、ビールを飲んで、酔って、寝て、そんで担当のガキが五月蝿くなったら小説を書けばいい。惰性でもやっていけてるんだよ。はは、羨ましいだろう。

それに最近はガキを見下す事が酷く楽しい。

ネットの世界を泳ぎ回ってれば直ぐに、

特別になりたいと、

愛されたいと

死にたいと、嘆いて願っては吐き出しているガキが見つかる。

酷く愉快だよ。俺は、寝て、タバコを吸って、酒を飲んで、そんで申し訳程度に小説書いてるだけで生きていけるんだよ。はは、羨ましいだろう。


ほんと思うよ。皆無駄な事が大好きだ。人生、何もかも、諦めが全てなのに。どうせ何もかも無駄なんだ。そう理解すれば、無駄な行いはどんどん減っていって、そうして虚無の夜がやってくる。初めは辛いが、慣れてしまえば、肩の荷が降りきって、そして全てが楽になる。死ぬことも生きることもどうでも良くなって、そしてようやく無邪気に、腹の底から笑えるようになる。これが悟りというやつだとさえ思えてくるのだ。


はは、そうだな。どうせだから何かを一つ示してやろうか。

生きることが辛いやつは、夢を見過ぎているだけだ。はやく、諦めればいい。

そうすればいいのに、より良い未来というものを夢みて、幸福を求め、色々なものにしがみつく。どうせ何しても辛いというのに、滑稽に。





「今回もばっちりですね」


目の前の担当のガキは、締切ぎりぎりに終わらせた俺の原稿に目を通して安堵したように目を輝かせた。

そんな事、始めから言う事をわかっている。どうせ俺が幼児のような文体でお作文を書こうが、傑作を書こうがこいつは俺に何の意見も出来ない。自分の立場を馬鹿なりに弁えているからだ。だから、早く帰ってくれ。軋轢無いように上っ面の言葉ばかり並べ立てやがって。

ああ、どいつもこいつもそうだ。誰も彼もが、面白いだとか好きだとか使い古した言葉を、他の誰かにそう言ったように俺にも使いまわしやがって。書く気も起きねぇんだよ。本当の言葉を頂戴。

嗚呼、俺が空っぽになったのはお前らのせいだ。大人が多すぎる。もっと俺を傷つけてくれ、貶してくれ。俺の本当の価値を教えてくれ。足りない、何一つ心に響かない。


ああ、だからもういいんだ。俺がどれだけ誠心誠意込めて書き記したところで何になるだ。

俺は今日も金と、自尊心の為に書いているよ。これもそうだ。はは、どうだい、お前は何を思う。


どうせ何も思わない。

文字の羅列を追うだけで、それ以上何も思わない。だが、もしかしたら何かの間違いで、知ったかぶった感じで、誰かがこれを面白いとか言うかもしれない。

どうか、不快に思ってくれたらと思う。それだけで、この小説は成功したのだ。

ああ、たったこれだけを書くのもめんどくさい。

だが、これで俺は今日も一日延命できた。はは、喜ばしいね。

人生楽勝だよ。はは、羨ましいだろう。

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何でもない 緑夏 創 @Rokka_hajime

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