第198話 ジーサの受難5
午後八時前に解散した俺達は、夫婦水入らずというわけで簡単に二人になれた。
「ひとっ飛びできたら便利なのにな。免除してもらえないのか?」
「無理でしょうね。アルフレッドは意外とケチよ」
王都民は無闇な滞空を禁じられており、いちいち許可を得る必要がある。
緊急時はその限りではないが、目を光らせている騎兵隊がすぐに駆けつけてくるため弁明は必須だ。無論、前世のお巡りさんのように甘くもなく、処罰も当然のようにあるらしい。
「ゲートは?」
「そうしたいところだけど、
「デフォルト・パフォーマンス?」
足元すらおぼつかない夜道を、俺達はひそひそしながら歩く。
ヤンデは聖魔法も出してないのに見えているらしく、動きに淀みがない。俺はというと、空気の流れと感触、あとはヤンデのシルエットの動き方を観察して空間情報を認識しつつ、反射神経でゴリ押ししている。
「いくらレベルが上がっても、身体の下地は
「節約ってことか。さっきアイツらも歩いて移動してたが、そういうものか」
俺はバグってて体力無限だから要らないんだけどな。
「不便よね。私達を創造した何かは、何を考えているのかしら。際限なんてなくせばいいのよ」
その際限のない人間がここにいますよ、と言うわけにもいかず。
その何かがクソ天使であり、俺はそいつの尻ぬぐい――滅亡バグの解消に向けて動いているのだとも言えず。
秘密を隠す関係は未来永劫続くのだろうな、と適当なことを考えながらも、どんどん奥へと進んでいく。
「……あえてツッコまないでいたんだが、お前、どこで寝る気だ?」
「決まってるじゃない。ジーサの家よ」
ですよねー……。
俺としてはブーガの件を調べ始めたいし、レベルアップから身体の使い方の練習まで色々やりたいことがある。
ヤンデとは二次会のノリであれこれ打ち合わせた後に解散ってのがベストだったんだが、
「あの川底よね?」
「……ああ」
この嬉しさの
おかしいよな。感情は死んでいるはずなのに。
俺の理性が、知識が。あるいは前世で積んできた人間としての常識が、そうさせるのだろうか。
程なくして、俺が私物化している河原に着いた。
いつものように服――ボロい作業着ではなくハナに恵んでもらった革のジャケットとズボン――を折り畳み、岩陰に隠れるように置こうとして、
「【ゲート・イン】」
ヤンデの出した時空の狭間に吸い込まれていった。
ゲートから発現したスキルなのだろう。多彩な奴だ。
「ドレスアップ――ネイクド」
魔法で一気に裸になったヤンデが、ちゃぽんと上品な仕草で入っていく。
俺は見惚れそうになるのを誤魔化すのも兼ねて、「らしくねえな」などと呟いてみる。秒で水中に引きずり込まれた。
抱き枕を抱くように抱きついてきたヤンデとともに、川底にまで沈んでいく。
「やっと二人きりになれた」
「【シークレット・ルーム】」
周囲全方位に固そうな氷が張られる。六畳一間のリビングくらいか。
中の水がほぼ一瞬で消えると同時に、板張りの地面が出現――俺は背中からどすんと落ちる。
「前にもこんなことがあったでしょう?」
ああ、エルフ領に連れ去られる前の話だよな。川ごと凍らされて包囲されたのを、コイツと一緒にやり過ごした。
あの時に見たヤンデの美しい恥部は、今でも鮮明に思い出せる。
「また使う機会もあるかと思って、練習していたのよ」
「スキルとして発現したってことか。かんたんにやってのけるのな」
「
「デフォルト・パフォーマンスはどうした? 節約しろよ」
板張りの上で寝そべっていると、どんとヤンデが落っこちてきた。そのまま馬乗りになって、
「ジーサの顔を解きなさい。あなたの素顔を見せて」
「嫌だと言ったら?」
「その顔を形作っている同居人が死ぬわ」
(だってよダンゴ。おっかねえよな)
ダンゴに解除をお願いして、俺はシニ・タイヨウ――つまりは前世の俺と同じ容姿を晒す。
「ジーサの顔はずいぶんと不細工につくったのね」
「人を避けるためにな」
ヤンデがぺたぺたと触ってくる。
子供のように乱雑に。
芸術家のように繊細に。
好意と好奇の錯綜が、俺に絡みついてくる。
ふと、綺麗な手が止まった。
見慣れそうで見慣れない、エルフの顔が微笑むと――ゆっくりと近づいてきた。
愛があれば、こういう行為には自然と至るものなのだろうか。
俺は風俗の常連だったが、プロの演技はともかく、素人からこうして本心で歩み寄られたことはない。
バグってるのを抜きにしても、もうちょっと困惑なり意固地なり出てくるかと思ったが……ごく自然に受け入れることができていた。
この日、俺はエルフの王女と繋がった。
「いいかげん、機嫌直せよ」
俺は童貞を卒業したと言えるのだろうか。
ナツナにしごかれた時からもわかるように、無敵バグに死角はない。俺は興奮することもできず、俺の俺を元気にさせることも叶わなくて。
要するに、元気な俺でお邪魔するという、本来の意味での行為ができなかったのだ。
「どうせジーサは胸が大きくないと興奮しないのよね?」
「否定はしないが、ヤンデは例外だぞ」
厳密に言えば、ヤンデに限らずエルフ全般が俺の中で人間の上位に位置しているわけだが、まあ黙っておこう。
「何? 私が大きくなればいいの? それとも魔法で大きくすればいいの? 何なら私より大きい女を滅ぼして相対的に私を大きくすればいいのかしら?」
垂れた頭を抱え、目を見開いたままぶつぶつとつぶやくヤンデさんが怖すぎる件。
川底を凍らせたり、逆に千度以上に上げたりと落ち着かない様子なので、放置することに。
数分くらいかかるかと思ったが、三十秒とかからなかった。
「――そういうこと」
振り向いてきたヤンデに、もう色ボケの熱は無い。
「あなたは硬いのではなく、変わらないのね」
「ちょっと違う。変わらないんじゃなくて、変われないんだ。前も言ったろ、呪いみたいなものだって」
表情は冒険者だが、身体にはまだ艶が残っている。俺がコイツの全身を貪ったときの余韻だ。
「とりあえず拭こうぜ」
お互いに貪り合った、さっきの光景を思い出したのだろう。ヤンデは一瞬だけ目に見えるほど赤面したが、魔法で対処したっぽい。ずるいなそれ。
まあ一番ずるいのは、無敵バグを持ってて一切変わらない俺だろうが。
「今後も隠し続ける気?」
「無論だ」
「いつまでもは
「わかってる」
実力の根幹を追及しないのは冒険者のマナーだが、俺は実績で言えば第一級クラスをも退けている。
シキも、サリアも、ブーガも、内心では何を考えていることやら。いや、ブーガはエグい本心を教えてくれたけど……。
「安心なさい。私がついてるわ」
ヤンデが薄い胸をとんと叩く。
「頼もしいな」
下心もあるのだろうが、彼女が常に俺と一緒に過ごそうと立ち回っているのは、俺を守るためだ。
シニ・タイヨウを知り、寄生スライムも知る唯一の強者。
これほど頼もしい味方は、ジャース全土を探してもそうはいまい。そういう意味で、俺は恵まれているのだろう。
「そういうわけで、あなたもさっさもAクラスを目指しなさい」
「どういうわけだよ。字すら読めねえんだぞ俺は」
「勉強すればいいじゃない。時間はたっぷりあるわ」
それがないんだよなぁ、とは言えず。
いくら婚約者であっても、ブーガに背負わされた荷を担がせるわけにはいかない。
これは俺とブーガの約束であり、契約だ。
破ればブーガが敵になる。
俺は封印され、ヤンデは殺されるだろう。
「ヤンデ。俺達の当面の目標、忘れてないよな?」
――ヤンデを王女から解放して、俺と二人で旅できるようにする。
「もちろんよ。色んな場所を回ってみたいわね」
「王女にそんな時間はねえよな」
「なければつくればいいのよ。それにお母様も言っていたけれど、今後は他種族や他国、会社との交流も深めていくつもりよ。変わりゆく時代に、乗り遅れないために」
そうじゃない。そうじゃねえんだよヤンデ。
全然王女から解放されてねえじゃねえか……。
俺の期待は、お前と二人きりで行動することだった。
魔法に抜群に長けていて、そこそこに物知りなお前は役に立つ。俺もお前のことは嫌いじゃないし、たぶん好きだろう。
国とか、種族とか、そういうのにとらわれず、お前を独占したかった。
もっと濃密に、効率的に、生産的に動きたかったんだ。
「あなたも他人事ではないのよ?」
「だろうな。婚約者だし」
「ハナが絶賛していた手腕、楽しみにしているわ」
「絶対バラすなよ」
「そんなことしないわよ。ジーサの魅力を知っているのは、私だけでいい」
俺は心を鬼にしなければならない。
彼女もまた制約であり、脅威の一つなのだ。
好かれているから、と浸り続けておれば、それこそ手遅れになってしまいかねない。
だからといって、逃走や排除といった極端な選択肢だけ考えるのもまた愚かである。
滅亡バグと無敵バグを解明し、潰すためには、いかなる道が最善なのか――
どれだけ立場が変わろうと。
いくら慌ただしくなろうとも。
この本質だけは見誤ってはならない。
俺は
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