第171話 中宴

「川に潜んでいるようで?」

「状況から考えると、その可能性が高いです」


 ルナ曰く、グレン・レンゴクは川に逃げた。

 無論そんなことをすれば嫌でも目につくわけだが、実際は彼女を除いて誰一人気付けていない。


「ぼくには想像もつかないようで……」


 スキャーノ自身はともかく、モジャモジャ含め敏感なエルフ達の網をかいくぐるのは容易ではない。これだけでも十分な実力差を匂わせる。

 しかし、グレン・レンゴクはレベル21にすぎなかった。

 既にスキャーノも何発か攻撃しているし、ついさっきルナも加えたばかり。耐久性はどう見ても第四級以下である。

 仮に自分達を出し抜けるレベルだとするなら、そんな真似などできやしない。レベルによって向上した硬さは誤魔化しようがないのだから。


「川に潜むのってそんなに難しいんですか? 私はともかく、スキャーノやモジャモジャさんならできそうですけど」


 謎と言えば、この同級生ルナもそうである。

 レベルの割には妙に場慣れしているし、格上であるはずの自分をも唸らせる器用な芸当をさらりとこなしたことが一度や二度ではない。

 

 一方で、川の中で身を潜めることの難しさにピンと来ないほど無知だったりもする。


 体系的かつ実践的な訓練を重ねてきたスキャーノには、どうにもちぐはぐに感じてならない。

 この違和感は、高貴なエルフとして同様の道を歩んだであろうモジャモジャになら通じるだろう。残念なことに別の部隊として駆り出されてしまったが。


 代わりに、この場にはレベル100超えの頼もしいエルフが物静かに佇んでいる。

 指示は聞いてくれるが、会話する気はないらしく、さっきから一言も乗ってこない。ルナも既に彼女の相手は放棄したようで、目線を送ることさえしない。


「ルナさん。バーモンはそんなに甘くはないようで」


 スキャーノは先日の出来事――アウラとともに獣人領の侵入者と戦った時のことを話すことにした。


 侵入者はバーモンの生息地たる川に潜んでいたこと。

 体にウミヘビを巻きつけ、口内に潜ませたウニから毒針を発射させるなどという調教テイム顔負けの連携を見せてきたこと。

 第一級の獣人に近い身体能力と移動技術を持っており、自分は逃げる選択肢しか取れなかったこと――。


 話し終えたところで、「……ルナさん?」なぜか寝そべり始めるルナ。


「休めるうちに休んでおきましょう。どうせ私達にできることはありません」

「寝るの?」

「いえ。休むだけです」


 ルナが背を向ける。女の子にはあるまじき、粗雑な寝っ転がり方だが、その実、隙がない。

 それは自分が知っている体勢よりも優れたもので、スキャーノをいちいち唸らせる。


「もう少しだけ、会話したいな……」

「私は結構です。疲れているので」


 どこか投げやりで、余裕のない態度である。

 休憩中でも会話くらいはできるし、むしろ情報の共有と洗練、あるいは絆を深めるためにそうするべきことは冒険者の常識。知らないルナではあるまい。


「ルナさん。何かひっかかっているようで?」

「何でもありませんよ」

「バーモンを体内に飼っていた」


 ルナの背中がぴくっと動く。


「さっきぼくがそう話したあたりで、ルナさんが少し反応したのを覚えているよ」

「気のせいです」


 ここで言い訳を並べ立てないのは潔いと言えた。

 スルーを狙っているのだろうが、スキャーノはもう一歩踏み込むことを決意。


「ぼくには人の嘘を見抜く心得がある。試してみる?」

「お断りします」

「何がひっかかっているようで?」


 友人を脅すようで気が引けるが、スキャーノは威圧のオーラをちらつかせてみせる。


「……スキャーノって最近図太くなってきてますよね」


 レベル差30以上の威圧が効いている様子はないが、観念はしたらしく、嘆息とともにルナは身を起こした。


「ルナさん達のおかげかな」

「そうですかそれはよかったですね」

「うん。ぼくは本当に感謝してるよ」


 元々スキャーノは極度の人見知りだったが、ジーサ、ルナ、ガーナといったクラスメイトのおかげで克服しつつある。


「感謝されるいわれはないです。私だって似たようなものでしたし」

「……ルナさんが?」

「何ですか、その目は」

「何でもないようで。どちらかと言えば、ガーナさんと同じタイプだと思ってた」


 本人に自覚はないようだが、冒険者顔負けの食事っぷりや、男子達をビビらせる率直な言葉選びは学園でもすっかり有名だ。

 とても人見知りには見えないし、非凡な何かによって相当しごかれた背景もどことなく感じられる。


「あの色欲魔と一緒にしないでください。というかスキャーノ、連日の誘惑によく耐えてますよね。んですか?」

「変なところを凝視するのはやめてほしいんだけど……」

「そう言って、実は興味津々なんじゃないですか? あるいは女だったりして?」

猥褻わいせつするのなら、ルナさんでも殴ります」

「怖っ」


 遠慮なく仕返しするキャラクターをつくっておいて正解だったとスキャーノは思う。

 気弱な男子生徒として通ってはいるが、中身はガートン職員『スキャーナ』であり、女である。

 職員であることは既に共有しているが、性別はまだ偽ったままだ。


(騙すのは気が引けるけど、知られるわけにはいかない)


 男は性欲を持っており、世に存在する人の約半分は男から成る。

 女として目立ってもろくなことがないことは嫌というほど体験しているし、変装はそもそも上司ファインディの勧めでもあった。


「……スキャーノは、好きな人はいますか?」

「急にどうしたようで?」

「私にはいます」


 スキャーノは一瞬、一人の男を思い浮かべたが、見なかったことにしてルナを注視する。

 ばっちりと目が合うが、その双眸はスキャーノを映していない。微かに宿っている憂いは、誰に向いているのだろうか。


「今もその人を探してるんですけど、全く手応えがありません」


 ルナが学園で色恋になびかない理由もわかった。既に想い人がいるからなのだ。

 それも一方的な片思いではないのだろう。

 一緒に過ごしていた時期があって、それが壊されて、諦めるつもりもなくて取り戻そうとしている――


 そんな想いの強さが、重さが流れ込んでくる。

 このような女性に慕われるのは、一体どんな御仁なのか。


「スキャーノが話してくれたその侵入者ですけど、似てるんです。どことなく、彼に」

「……彼とは?」

「モンスターを操れる人なんて、そうはいない」


 ルナが独り言ちる。

 この様子だと、これ以上追及しても無意味だろう。


(モンスターを操る……。まさかルナさんの想い人は、魔人……?)


 まるでフィクションだ。

 人間と他種族の恋物語は王道の一つであり、中でも人間と魔人のストーリーは人気が高い。大半は悲恋なのだが。


 もう少し探りたかったスキャーノだったが、遠距離から急速に迫る轟音がそれを許さない。


「……来たようで」

「わかっています」


 何かが十数個ほど飛んできた。攻撃の意思は無いらしく、彼女達の手前でどさどさと落ちる。


 腕、脚、乳房、尻肉に、胴体――

 切断されたエルフの部位だった。


「大丈夫?」

「馬鹿にしないでください」


 それらは血の付け方など芸が細かかったが、この程度で心を乱されるほどルナは弱くはないようだ。


 二人が睨む先に、間もなく現れたのは――美しき裸体の男。

 鮮やかな緑髪からエルフだとわかる。そうでもなくとも美貌の次元が人間とは違っていて、並の女なら、いや男でも隙を生んでしまうだろう。


「ほほう。留学生は優秀でやんすね」


 シッコク・コクシビョウ。

 グレンと双璧を成す変態で、レベルも23程度と月並みな存在だった男エルフは、下半身が赤黒く染まっていた。


「シッコクさん。あなた、何がしたいんですか?」

「性交がしたいだけでやんす。それは力を込めすぎて破裂した残骸でやんすね」

「にしては切り口が鮮やかです」

「お見通しでやんすか。可愛気かわいげがないでやんすね」


 変態エルフが一歩、また一歩と近づいてくる。


「ルナちゃん、どうでやんすか? エルフに食べられるチャンスは滅多にないでやんす。優しくするでやんすよ?」


 その肉体は標準的なエルフと比べて、著しく筋肉質だった。

 もっとも筋肉量など見かけ倒しにすぎない。ジャースではレベルが、ステータスがものをいう。ステータスが宿る先の肉体の差異など、誤差にもならない。


「ルナさん。見惚みとれちゃダメです」

「見惚れてませんよ。誰がこんな奴」

「正直になるでやんす。エルフでやんすよ? この肉体美を見るがよい!」


 シッコクが珍妙なポーズをきめた。

 タイヨウが見ればボディビルを思い浮かべることだろうが、ジャースにそんな文化は無いため、ただただ珍妙である。


 そんなシッコクに対し、スキャーノは密かに必殺を放った。

 それは猛スピードの飛来――音速を数回は周回遅れにさせるほどの一発だったが。


 片手で受け止められた。


「まさか護衛ではなくスキャーノちゃんが攻撃してくるとは。それも残骸で攻撃してくるとは、誰も思わないでやんす」


 くくくっとおかしそうに笑うシッコク。


「投擲のモーションも隠密ステルスで隠していたし、速度も悪くない。さすがは生徒会長を負かした猛者だ。面白え

「……ルナさん。逃げてください」


 スキャーノは、というよりガートン職員は手の内を無闇に曝け出さない。

 それでも惜しまず、先手必勝で全力をぶつけたつもりだったが、こうもあしらわれてしまうとは。


 シッコクの右手が動く。「ッ!?」ほぼ同時にスキャーノも両手を構え、お返しの砲弾――優秀なエルフのものであろう硬い拳を受け止めた。

 弾が小さくて軽いことが幸いして、ダメージは大したことがなさそうだが、「振動防壁バイブシールド!」ルナとスキャーノの高速詠唱が重なった。

 主に衣服を守るための防御系スキルだ。


 着弾による衝撃波で足場が全壊する中、二人はそれぞれ別のストロングローブに飛び移った。

 一方、二人の護衛役を務めているエルフは砂煙の中で浮いたままだった。


「護衛はどうなってるんですか!」

「ルナちゃんよぉ、その護衛ゼストちゃんは真面目に働いてるぜ。叱ったら可哀想じゃねえか」


 シッコクの言うとおり、護衛のゼストは鋭意応戦中である。今もシッコクと気を交わし合っている最中だろうとスキャーノは見ている。


 逆を言えば、自分の必殺はそのついでで止められたのだ。


「ルナさん、逃げよう」

「逃げられる相手じゃないですよね」

「ゼストさんが応戦します」


 ゼストとシッコクがどういうやりとりをしているかなど、スキャーノにはわかるはずもない。


「意味がわかりません!」

「ルナさんには見えてないだけだよ」


 しかし自分とルナがこの場から離れられる隙はある、ということは不思議と確信できた。

 言語化できるものではない。後で振り返られるものでもない。

 それでも、直感よりも刹那の認識として、たしかな手応えがあった。



 ――それは大局観と呼ばれるものです。センスありますよ、スキャーナ。



 珍しく上司に褒められた時の光景を思い出しつつも、スキャーノはルナが動く前に自らを発射させる。

 びっくりするルナに構わず、その手を強引に捕まえた後に再度加速して――

 秒にも満たない時間で退避を完了させた。

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