第25話 王宮

 俺は背後から裸の少女に抱き抱えられていた。

 微かに膨らんだ胸がダイレクトに接触しているが、彼女に気にする様子は無い。どころか呼吸も心音も聞こえてこず、油断すると存在さえ忘れる。


 これが近衛か。今も偉そうにティーカップでお楽しみになられている王女ナツナのガーディアン。


「そこの貧民。アタシのチャームが効かないのはなぜかしら?」


 王女は一瞥さえ寄越さずにそう言った。


「貧民じゃねえよ。平民だ」

「近衛」


 近衛が左手をかざす。俺の左目の目の前に。

 親指を突き立ててきた。えっと、それをどうす――ぶっ刺してきやがった。


「……」

「何してるのよ近衛」


 背中の華奢な少女は何やら戸惑っているようだ。だよなー、どう考えてもおかしいよなこの眼球。隠密骸骨ステルスカルに一時間与えて刺しまくってもらっても無傷なんだぜ?


 眼球だけじゃない。

 鼻腔とか舌とか爪の間とか肛門とか性器とか、思いつく限りを恥ずかしい箇所も含め全部試したが、まるで歯が立たなかった。


「……」


 近衛が真顔で俺を見てくる。近い。無表情で何を考えているか読めない。

 美人、というか美人になるであろう可愛らしさなのは間違いなかった。この世界、何気に容姿レベル高いんだよなぁ。こんな時にそんなこと考えてしまう俺も俺だが。


「王女様。この人、固い。かなり。おそらく私達と同じ。あの女の?」

「近衛というわけね。それにしては未練たっぷりって感じだったけど」


 全然違うし、むしろルナが俺のガーディアンまである。が、これなら理不尽な無敵が露呈せずに済みそうだ。


「村人は全員死んじゃったし、ちょうどいいわ。コイツを拷問する。今夜早速遊ぶから、拷問部屋は第一級のものを用意しておきなさい」

「肯定」

「撤収よ」


 近衛がゲートを唱えると、扉サイズの門が出現した。

 騎士達がくぐっていき、最後に王女と近衛。俺は近衛に髪の毛を掴まれて引きずられた。ちなみに髪の毛も決して抜けないから頭皮の心配も無用だ。


 ……さて、これからどうすっかな。


 と悩むふりをしてみるが、答えは決まっている。

 少なくともルナの件は後回しだ。俺の能力ではどうすることもできない。


 じゃあ何をするか。決まってる。


 拷問に活路を見出すんだ。


 会話から察するに、王女は拷問にも慣れている。俺が思いつかないようなダメージの与え方も試してくれるだろう。

 もしその中に、俺に苦痛を与えてくれるものがあるとしたら――俺は全力でそこにすがる!


 拷問を執行するのは王女自身だろう。なら、相応の教養と自意識は期待していい。

 悪口、批判や非難、気持ち悪さの演出――挑発は容易いはずだ。そして挑発すれば、すぐにでも殺してくれるはず。


 問題は、そんな苦痛があったとして、俺が耐えられるかってことだよな。

 下手に苦しんでしまえば、王女に付け込まれてしまう。延命させられながら延々と苦しむことになるだろう。

 俺は凡人だ。耐えられるはずがない。そもそも痛いのは人一倍嫌なんだから。だからこそ安易に飛び降り自殺にせず、安楽死を長々と模索してきたのだ。


 もし苦痛と出会ってしまっても、堪えて悟らせない。

 その上で、なるべく速やかに挑発をして、すぐに殺してもらう。

 ……難しそうだが、これしかない。ルナの件など諸々は、この件が失敗した後から考え――



 ――もしあなたがこの世界を救い、この世界で死んで天界に戻ってこられたのなら、選別対象からは除外します。



 ふと天使に言われたことを思い出した。


 そうだった。この異世界に巣くう危機――滅亡バグから世界を救えば、俺は輪廻転生から解放されるんだったな。

 逆に滅亡バグを潰せなければ、たとえ俺自身が死ねたとしても、また別の世界に転生させられるのみ。根本的な解決にはならない。


 でもなぁ、世界を救うと言われても、ねぇ……。

 何をどうすればいいんだよ。皆目見当もつきやしない。

 死に方だけでも難問なのに、世界も救うとかマジで勘弁してほしい。はぁ。


 などと消沈してても事態は改善しないのだが。


 ……方針を変えるか。


 ナツナを挑発して殺してもらうのはやめる。

 代わりに、ダメージが通りそうな兆候との出会いを待つ。拷問手段が豊富なナツナなら期待できるはずだ。


 もし出会うことができたら、俺は平気なふりをしつつ、そのやり方や感じ方を全力で記憶する。

 間違っても顔に出してはいけない。痛いのは嫌なんだ。


 その後は……何とかして脱出しないとなぁ。

 さてどうしたものか。一応手段はあるんだが。






 ゲートの先は王宮らしかった。

 世界遺産にでもなりそうな大宮殿に、必要性がまるでわからないだだっ広い空間、それに素人目で見ても綺麗だとわかる植木あたりは一瞬で目につく。

 そばにいた庭師の一人が王女ナツナに挨拶をする。軽い会釈だ。

 王女は見向きもしなかった。


 歩き方まで優雅なナツナだったが、行き先は正面玄関ではないらしい。ぐるりと宮殿の裏側を回る。

 その間、俺は近衛に引きずられっぱなしだったが、近衛は隠密ステルスで姿を消している。さぞかし滑稽に映ることだろう。

 にもかかわらず、すれ違う庭師や騎士やメイド――サービス精神ゼロのロング丈で暑苦しそうだ――は眉一つ動かさない。ナツナに挨拶をし、俺という存在をスルーする。ナツナもまた彼ら彼女らの挨拶をスルーする。


 ちょうど裏側にまで回り込んだところで、ぬっと大きな影が行く手を阻んだ。


「帰ったかナツナ。どこ行っとったんじゃ?」

「頑丈な奴隷を手に入れたわ。今夜拷問するの」

「まだそんなことやっとるのか。困った娘じゃわ」


 荘厳な顔つきにワイルドな顎髭あごひげを携えた大男が俺を睨む。

 若々しいが寄る年波は隠せていない。老人と呼べる範疇だろう。


「パパこそ。いいかげん冒険者なんてやめて、さっさと隠居しなさいよ」


 シキ・ジーク・アルフレッド。

 この国、アルフレッドの現国王であるとともに、自らも第一級冒険者である。剛腕のシキと呼ばれ、王都リンゴでその名を知らぬ者はいない。

 今も冒険の帰りなのか、モンスターの生首を複数本ぶら下げている。


「だったら早よ結婚せい」

「嫌よ。可愛い娘が誰かに取られてもいいの?」

「そんな些細な話ではない。ワシは親である前に国王。跡継ぎがなきゃ話にならん。その気がないなら見合いさせるぞ」


 しっかし、こうも空気扱いされるとさすがにイラッとするな。

 こんな内情を誰かに聞かせるはずがない。俺は人としてすらカウントされていないのだ。


 もっと言うなら、俺が逃げ出す可能性も考慮されていない。ナツナにこうして捕まったが最後、いや最期ということなのだろう。


「アタシが女王になるから問題ないでしょ」

「女に務まるわけがなかろう。ましてお前は論外じゃ。ハルナならまだしもな――ああ、ハルナ。どこ行ったんじゃろうか。帰ってきてほしいのう」


 ナツナはため息で返した後、歩き始めた。


 向かった先は宮殿ではなかった。

 地下鉄のように地下へと伸びる広い階段を進み、分厚そうな扉も越えて引きずられることしばし。


 ちぐはぐな空間が広がっていた。


 廊下は広く長いが絨毯が敷かれ、天井にはシャンデリアがぶら下がっている。

 なのに血生臭い。腐敗臭もした。


 原因は嫌でもわかる。

 左右だ。左右には壁でも部屋でもなく鉄格子がはめられ、その先に高価な宿のような内装があり、人が軟禁されていた。

 いや、軟禁と呼べるのだろうか。たしかに拘束はされていないが、服が無く、体は傷だらけだ。


「アタシのプライベートルームよ。素敵でしょ」


 豪華な牢の前を素通りしていく。


 牢にいたのは人間だが、屈強な男だけではなかった。老若男女と揃っている。

 傷の具合も様々で、全身を赤く腫らせた者もいれば、体の一部が欠落した者、中には剣が刺さったままの者もいた。


 彼らは皆一様に、露骨な反応を示す。

 震えている。自らをかき抱いている。失禁した者もいた。


「どうかしら。感想を述べなさい」


 これは俺が前いた世界――豊かで恵まれた現代日本では一生縁の無い光景だ。カルチャーショックどころの話ではない。

 こんなのを見せられて正気でいられるほど俺は図太くないはずだが、幸いなことに、この世界の俺はバグっている。退屈なアニメを見ているかのように、淡々とした気持ちだった。


「……」

「冷静なのね。その顔がどう歪むか、かえって楽しみだわ」


 とすとすと絨毯を踏む音を聞きながら、俺は考える。


 とりあえず平然とし続けるのは不味そうだ。というのも、牢の中に石化された者や凍らされた者がいたからだ。

 ダメージが通じないとわかれば、あのように封印されかねない。

 無敵であろう俺だが、石化など一部の状態異常には耐性がない。そのくせ意識は保持されやがる。石化は生き地獄だった。二度と味わいたくない。


 いっそここで


 だが近衛が邪魔だ。今も姿は見えないが、俺を引きずり続けている。

 第一級冒険者でさえ破れないコイツを俺が破るのは難しいだろう。いや試してないからわからんけども。


 俺はなおも奥へ奥へと引きずられ――ダンジョンの大部屋のような場所にまで連れてこられた。

 見るからにそうだとわかる拷問器具が配置されている。鉄の処女アイアンメイデンらしきものもあるんですが……。


 ここの管理者だろうか。メガネをかけた、神経質そうな男が近寄ってきて平伏してきた。


「こいつを判定しなさい」

「はっ」


 男は顔を上げると俺を睨み、目を見開いて「【実力検知ビジュアライズ・オーラ】」聞き覚えがあるような、ないような詠唱をした。


「レベルは17でございます。魔法も持ち合わせておりません。第四級になりたての凡愚でございましょう」


 ステータスの把握はギルドの専売特許じゃなかったのか。ルナもそういう魔法があるかどうかわからないと言っていたが、あるみたいだな。


「防御系も?」

「ふうん。としたらスキルかしらね」


 俺はその発言を見逃さなかった。

 どういうことだ? てっきりHPか防御力が∞にでもなっているのかと思ったが。


「ナツナ様。こちらは第一級用の拷問部屋でございますが……」

「いいのよ。これは耐久に特化したスキルを持っているようだから。今夜、また来るから置いといて頂戴」

「かしこまりました。【氷結拘束アイス・バインド】」


 俺の膝から下が氷で固められる。一ミリも動かせなかった。


「うっかり殺すんじゃないわよ。低温に耐えるかどうかはまだ試してないわ」

「ご心配には及びません」


 言いながら部屋を後にするナツナに、男は平伏で応えた。


 凍傷しないよう温度調整したということか。たしかに、脳内に流れ込んでくる温度らしき数値も軽微……な気がする。よくわからん。

 温度系はまだ試してないんだよな。近いうちに試さねば。


 こだまするナツナの足音が完全に聞こえなくなったところで、男は平伏を解除。

 魔法なのか宙に固定されている本を読み始めた。俺の存在など意にも介さない。


 それから俺は数時間放置された。

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