第2話 理不尽

 全身が危険を訴えている。


 何かがいた。人間のようだが威圧感が凄まじい。

 それはぴくりとも動かなかったが、寝ているわけではなさそうだ。全神経を集中させてこちらの動静をうかがっている――そう確信できるほどの圧があった。


 と、そこに空間の揺らぎが生じる。

 瞬きした後にはもう一人いた。女性だ。

 目をひく容姿をしている。あえて言うなら、細身巨乳で美人な実力派女優が悪魔を演じているような。


「どうして応答しないのよ魔王」


 ずいぶんと砕けた口調だった。

 異世界のはずなのに言葉もわかる。そういう仕様なのか、あるいはこれもバグか。どっちでもいいが俺には好都合だ。


「……」

「ねぇ、聞いてるの?」


 依然として動かない魔王に対し、細身巨乳はこちらを向くことなく問い詰めていたが、やがて小さく嘆息すると。


「どうせ新しい戦術でも考えてるんでしょうけど。アンタにダメージ与えられる存在もいないでしょうけど。その身勝手さはもう少しなんとかならないのかしら。まったくもう……」


 彼女が空間の揺らぎとともに消え失せ、辺りに無音が再来。


 ……状況が読めない。しかし眼前の魔王とやらの圧が凄まじくて、身動きを取る気が起きない。

 少しでも動けば最後、いや最期になってしまう気がする。

 俺は死にたいはずだ。動いてしまえばいい。それなのに、動けない。口内に溜まる唾すら飲み込めないくらいで――あ、やべっ、引っかかった。


 ゲホッ、ゲホッ、と思わず反応してしまい、空咳が虚しくこだました。


「……」


 魔王は相変わらず固まったままだった。


 ……いや、何なの?


 明らかに強そうだし、さっさと殺してくれませんかね。

 俺はしては死ねばそれで終わりなんで。できれば痛みも感じないくらい瞬殺してくれるとありがたい。脳を一瞬で潰してくれるのが理想だ。

 いたぶる趣味も暇もなさそうだし。さあ早く殺――


「テメエは何者だ?」


 おおぅびびった!? 全身がびくっと反応しそうになる。よく堪えたな俺。

 直後、顔が火照りそうな感覚も来る。間もなく死のうという人間が、今さら羞恥を感じるなど滑稽にも程があるよな。


「……」


 魔王はというと、こちらを向くこともなく沈黙を維持していた。身じろぎ一つしない。

 だから何なの。


 それから数十秒くらい経ったところで、


「テメエからはまるでオーラを感じねえ。あのサーヴァも――実力検知器オーラビジュアライザーの異名を持つアイツも無視していた。っつーことは、アイツにもテメエはただの雑魚に見えてたってことだ」


 なんか独り言ちてきた。

 わからない単語が多い。あの巨乳細身はサーヴァというのか。オーラビジュアライザーってなんだ?


「そんな雑魚がここ、地下1113階に来れるはずもねえ。テレポートもワープも使えねえし、透明化インビジブル隠密ステルスで接近してきたとしてもオレにはわかる。だが実際はどうだ? 全く気付けなかった。それほどの実力があればオーラが出る。オレはともかく、サーヴァに見抜けないはずがねえんだよ。……何なんだテメエは?」


 何なんだって? 俺が知りてえよ……などと胸中でぶつくさ行っていると、魔王がフッと消えた。


 いや、目の前に来ていた。

 何が起きたかはわからなかったが――何か攻撃されたことだけはわかった。


 移動している。

 真下だろうか。新幹線でもこんなに速くはない、と確信できるスピードで景色がめまぐるしく変わっていく。十数階層分は軽くぶち抜いている。

 やはりダンジョン――それも相当の深層のようだ。内装は意外と色とりどりで、赤橙黄緑青藍紫たぶん全部あった。


「爆音すぎて耳が千切れそうだ……って自分の声も聞こえないなこれ」


 風圧もそうだが、もう一つ、凄まじいのが音である。

 ダンジョンを破壊しながら降下しているからだろう。爆発のような、風音のような、何とも言えない破壊音が、頭を潰す大音量で俺に注がれ続けている。


 これが止んだのは、さらに十数秒経ってからのことだった。


「うぐっ」


 背中に鋭利な感触がある。鉄柵の先端のような太い棘で支えられているような格好になっていると思われる。

 頭上には薄暗い鍾乳洞のような天井があり、俺が落ちてきたであろう部分だけぽっかりと空いていた。ぱらぱらと砂粒が振ってきて、俺の目にも入ってきたが、不思議と何ともない。


 しばらく見ていると、何かが降ってきた。

 魔王だった。


「【強制貫通フォース・ペネトレート】」


 俺の腹に槍のようなものが突き刺さ――ることはなかったが、全力で殺しにきているのは肌でわかった。

 今度はダンジョンを突き破ることなく、衝撃波が出ることもなく、辺りはすぐにしんとした。


「こんな硬い生物は見たことねえ……何者なんだテメエ!?」


 俺にのしかかる魔王の手から槍が消える。同時に魔王が少し宙に浮き、俺の腹からも重さが消えた。

 どうも一トンを軽く超える負荷がかかっていたようだ。


 そんなものに軽々と耐えている俺。

 そんな負荷を瞬時に、感覚的に把握できている俺。

 というか見なかったことにしたかったけど、さっきなら脳内に数字が流れ込んできてるんだよな……。


 もはや疑いようがない。

 これだ。あのクソ天使が言っていたバグとは、これのことだ。


 世界ゲームのバランスを壊しかねない不具合バグ


「はあぁ……」


 長いため息が漏れた。

 HPか、防御力か。少なくとも耐久に絡むステータスが異常だ。

 要らない。マジで要らねえよ。


 俺はさっさと死にたいだけなのに。

 未来永劫、生という面倒から解放されたいだけなのに。

 よりにもよって、なんで俺なんだよ? 俺が何かしたか?


「意味深なため息だなオイ。無詠唱を誤魔化す戦術ってか? オレには通じねえぜ」


 違います。ただのため息です。


「さあどう来るよ? この魔王をどう攻め立てる!?」


 魔王が俺を急かしてくる件。どうすればいいんですかね。

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