第34話 逆転の拳
「――“狂化”!」
ローガンがそう発すると、彼の皮膚がみるみるうちに灰色に覆われていく。
そして、その眼は紫色の光を放つ。
――“狂化”。
リートも本で読んだことがあるだけで実際に見たことはないが、特殊なスキルと聞く。
――未来永劫理性を失う代わりに、忘我の力で爆発的な魔力を得るのだ。
「死ねぇ!!!!!!」
ローガンはそう叫んだあと、リートの方へ跳躍した。
「ドラゴン・ブレス!!」
そして頭上から上位魔法を放つ。
採用試験でも見せた技だが――
リートはとっさに命の危険を感じて、全速力で後方へ跳躍した。
次の瞬間、リートがいた場所には大きな穴が空いていた。
――威力が、前とは桁違いだ。
狂化のスキルによって、ローガンの力は何倍にもなっていた。それゆえ同じ技でも威力には天と地ほどの差がある。
「ぶっ殺してやる――ドラゴン・ブレス・ノヴァ!!」
ローガンが炎系統の最上位スキルを放つ。
それは魔法使い系統における最上級魔法だ。
当然、前に戦った時はそんな技、持っていなかった。
賢者ならともかく、本来、魔法使いのローガンのレベルで習得できるスキルではない。
おそらく――狂化の力で獲得したのだ。
――灼熱の炎が、地面を焼き尽くしながらリートを追いかけてくる。
「――神聖剣!」
広範囲攻撃を避けきれないことを悟ったリートは、自身が持つ最強の技で迎え撃つ。
聖騎士の神聖と、悪魔に魂を売った男の狂気が真っ向からぶつかる。
――轟音。
熱風が、リートの体を震わした。
――そして、リートは初めて、自分の“神聖剣”が折れた事実を認識した。
光はねじ曲がり、灼熱に包まれる。
「――ファイヤー・ウォール!!」
とっさに、ゼロ距離で発動できる防御のスキルを出すリート。
だが、下級魔法ではローガンの最上級魔法を防ぎきることができなかった。
リートは魔法もろとも弾き飛ばされた――。
加護の指輪によって張られた結界が弾け飛び、そのままリートは地面に叩きつけられる。
硬い地面が心臓に響く。
――最強のスキルを持ってしても、狂化のパワーには叶わなかった。
それはすなわち、今のリートのスキルではローガンに太刀打ちできないことを意味していた。
「ざぁぁぁまぁぁぁぁぁみろぉぉ!!!!!!!」
ローガンは、ゲラゲラと笑う。
人の顔をしているけれど、そこにもう人間らしさは微塵もない。
復讐心だけが本能となって、彼を突き動かしているのだ。
「“ドラゴン・ブレス”!!」
さらにもう一発、追加の魔法が飛んでくる。
リートは、ありったけの力を足に込めて立ち上がり、全身から魔力をかき集める。
「“ドラゴン・ブレス!”」
同じ技で迎え撃つ――
だが、狂化によってリミッターが外れているローガンのそれは、リートのスキルを簡単に上回る。
――魔法では防ぎきれないことを悟ったリートは、もう一度、
「“神聖剣”!」
惜しみなく全力の一刀を放つ。
それでようやく互角――。
なんとかローガンの攻撃を防ぎきる。
――だが、
「ファイヤー・ランス!」
ローガンがすぐさま次の技を放ってきた。
下級の魔法だが、速度に勝る。
リートはとっさに“ファイヤー・ウォール”を唱えて防御に徹したが、勢いまでは防ぐことができず、再び吹き飛ばされた。
まともに受け身も取れず、全身を打ち付ける。
――体が、まともに動かない。
リートは死を覚悟した。
「なんだよぉぉ?? それで終わりかよ!!」
ローガンは狂った目を向け、フラフラとリートに向かって歩いてきた。
彼は狂気に酔いしれていた。
リートを倒したいのではなく、リートに復讐がしたかったのだ。
――彼は、たった三週間で全てを失った。
貴族の地位も、騎士になるという夢も、家族も友人も、何もかもだ。
残ったのは、リートへの復讐心だけだった。
「まだ、足りねぇよ」
リートを上から見下ろし、立ち上がろうとするリートに蹴りを入れる。
「ガァッ!!」
肉体強化のスキルは持っていないローガンだったが、理性を失った身体から繰り出される蹴りは、鍛え抜かれたリートでも血を吐くほどの力だった。
「お前のせぇーで、僕はなぁぁ、全部失ったんだよぉぉぉ!!!!」
今度は背中から、さらにもう一発蹴りを入れる。
「お前さえいなきゃ、みんな認めてくれてたんだよぉぉ!!!!」
さらに一発。
立て続けに、リートの身体に叩き込まれる蹴り。
「――どーした、もうおしまいかよ?」
ローガンは、最後に渾身の力で、蹴りを入れる。
もろにリートを蹴り上げ、その体が浮き上がった。
後ろに転がり、うつむきになるリート。
もはやまともに剣を振るう力は残っていなった。
きっと骨も折れている。
「死んじまったか?」
ローガンはリートの生死を確かめるため、つま先で腹を持ち上げ、仰向けにひっくり返す。
「なんだ、生きてんじゃねぇか。俺の怒りは、こんなもんじゃねぇんだよ」
ローガンは見下ろし、吐き捨てる。
――――それに対してリートは。
「……ああ、そうだろうな」
そんな言葉を振り絞った。
「なにが”そうだろうな”だよ!」
ローガンはリートの腹にもう一度蹴りを入れる。
――だが。
それが、致命傷だった。
リートにとってのではない。
――ローガンにとっての。
蹴りが腹をえぐる。だが、それと同時に、リートはその足を左手で思いきりつかんだ。
「なんだよ!?」
そしてつかんだその足に――リートの拳がつきててられた。
――ローガンは知らなかったのだ。
リートが、殴った相手のスキルを獲得する力を持っていることを。
――いや、仮に知っていたとしても、理性を失った男にはどうしようもなかったかもしれない。
ローガンが最速でリートを殺しにかかっていたら。
圧倒的な魔力を前になすすべがなかった。
だが、彼はリートをいたぶるために、近づいてきた。
だからリートの拳はローガンに届いた。
拳は決してダメージを与えられるようなものではなかったが――
「触んじゃねぇよ!!!」
ローガンは反射的に蹴りを入れる。
リートの体が宙に浮き、後方に吹き飛ばされた。
見ると、すぐ横の地面に、先程吹き飛ばされた剣が落ちているのが見えた。
なんとか立ち上がることができた。
震える手を地面について、なんとか体をあげる。
「――俺は……恵まれていたよ」
「何言ってんだよ、お前」
「……父親に捨てられても、俺を信じてくれる人が他にいた。だから今、こうして生きてられる」
リートは、父親に捨てられた時のことを思い出した。
その絶望感の大きさを。
けれど同時に、リートには、たまたま力があって、その力を認めてくれる人がいた。
「お前は悪くない」
リートは、狂ったローガンに届かないとわかっていたが、それでもその言葉だけは言わずにはいられなかった。
――愚かな男だが、自分だって、そうならなかったとは限らないから。
だから、断罪することはできなかった。
「テメェ!!!!!」
ローガンは、手のひらを天に掲げて、魔法を放つ。
「“ドラゴン・ブレス・ノヴァ”!!」
ローガンは、あらん限りの魔力で、再び最上位魔法を放つ。
それに対してリートは――
【――スキル“狂化”を手に入れました】
【――スキル“ドラゴン・ブレス・ノヴァ”を手に入れました】
女神の声が、スキルの獲得を告げる。
そして、リートはその声を反響させるように、言い放つ。
「“ドラゴン・ブレス・ノヴァ”!」
リートが突き出した拳から、大龍の業火が放たれる。
ぶつかり合う魔力。
威力は狂化している分、ローガンの方が有利。
だけど――
リートは剣を拾い上げてそのまま自分の放った炎の跡を追う。
ローガンの炎が、リートの炎を破り、襲いかかってくる。
だが――
「――“神聖剣”!」
聖なる刃が、弱められたローガンの技を突き破る。
そのまま――剣はローガンの心臓に突き刺さった。
「――――ッ!!!!!!!!!!!!」
絶命の叫びは声にならず。
ローガンの眼から、紫色の光が消えた。
――背後で爆発音。
次の瞬間、狂気の原動力を失ったローガンの体は、地面へとバタリと倒れた。
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