第27話

 どうせ田舎と見当をつけていた甲府駅は、首都圏の県庁所在地だけあって案外開けていた。

 駅ビルのアパレルショップや人気のカフェチェーンは女性で賑わっていた。地元の駅では見かけなかった学生服姿も多く、昼間でもいるところにはいるらしい。


 有希也が歩いていても指を差されることはなかったが、人混みに紛れるのは危険で、常に周囲に気を配らなければならない。ナンバーエイトとして楕円球を追いかけた経験はこういう時に役に立つ。身体は替わっても状況判断力は健在で、人波の途切れたところを歩き、エスカレーターにもスムーズに乗れた。


 東京ほどではないにせよ人出が多く、田舎より街の空気が好きな有希也の息も弾んだ。駅前では武田信玄公の巨大な銅像が睨みを利かせていて、昔話の都に来たようだった。


 地方都市は駅前を離れると途端に寂れてしまうのものだが、甲府は駅から伸びた通りを歩いてもしばらく余韻が続いていた。


 都会の人間は地方に憧れを抱くもの。利便性と引き換えに失った自然に囲まれた生活は尊いが、反面優越感も抱く。都会人の本性か、東京にのぼせた地方出身者を見ると少々鼻が高くなる。足は不自由でも、東京から来た、との自負が劣等感を和らげてくれた。有希也は出身が田舎のせいで余計にそういう意識が強いのかもしれない。


 手始めに床屋に入った。上京してからは美容院で切っていたから、赤と青がくるくる回っている店は高校以来。津原保志に美容院は似合わないし、おでこから耳の周り、喉元まで顔中の毛をさっぱり剃り落としたかった。

 わざわざ甲府で切るのは、近所の店は津原が利用していた可能性があるからで、さすがの津原も床屋ならいくらか会話は交わしたはず。同じ店には入れない。


 タルトが評判の洋菓子店のような白塗りの店は入店を気後れさせられるが、お洒落ぶっていても所詮は田舎の床屋、緊張する必要はない、と己に言い聞かせてドアを押し開けた。「いらっしゃいませ」の声が続けて二つ飛んだ。一人は奥の席でカットの最中、もう一人は手前のレジでパソコンをいじっていた。


 レジに響いていたキーボードの音が止まった、気がした。客と理容師の会話も止まった、気がした。その場にいる全員が片足を引きずるようにして入店した男を注視していた。鏡越しに目があった散髪中の男性客はすぐに逸らした。


 思い出したようにレジにいた男が立ち上がり、「こちらにどうぞ」と笑顔を作って空いた手前の椅子を案内した。視線が顔を捉えたままなのは足を見ない気遣いのようだ。


 肘掛けに手をつき、若干脚の高い椅子に体操のあん馬のように身体を反転させて座った。理容師は手を貸してくれなかったが、とっさのことで貸しあぐねているのが見て取れた。着席すると安心したように頬を緩めた。


 鏡の中の津原保志と視線が合う。


 これまで幾度となく訪れた理髪店や美容院で障害者を見たことはなかった。車椅子も見たことないが、どこで切っているのだろう?自宅で切っているのか?家族に頼むのか?それとも自分で切っているのか?ここの店員も対応に慣れていない。当たり前のように入店したけれど、例外的なことだったのかもしれない。


「どんな感じにしますか」

 細身の長身で猫背気味のその店員は、雨合羽のような前掛けを装着させ、鏡越しに視線をあわせた。30代半ばぐらいで、もう一人の理容師よりいくらか年上に見える。ここの店長だろう。外国人の顔がイラストされた白いTシャツに黒のベスト、下はスキニーデニムを履いていた。ミディアムヘアは波を打っていて、いかにも美容業界人の洒落た身なりに萎縮しそうになるが、所詮は山梨の田舎者、と決めつける。


 上村有希也は短髪にワックスで毛先に動きつけていた。お気に入りの髪型でセットにも慣れていたが、顔も髪質も変わってしまったし、部屋には整髪料もドライヤーもなかった。なにより殺人事件の加害者が被害者と同じ髪型にするわけにはいかない。


「スポーツ刈りにしてください」

 ボサボサの髪は不潔に見えるだけでなく、顔にかかると暗く見えるから、さわやかな印象を持たせる短髪がいい。といってお洒落に無頓着な人間が突然凝った髪型にするのも不自然で、有希也の出した結論がこれだった。


「だいぶ短くなりますね」

 店員は指先で髪を撫でながら細かい長さを確認した。幼く聞こえる「スポーツ刈り」は舐められる不安があったものの丁寧に対応してくれた。見た目より柔和で腰が低いようだ。こういう人は当たりはいいが自信に欠けるところがあって技術的には物足りないことがある。


 シャンプー台へ移動する際、今度は手を差し伸べてくれた。やはり不慣れなようで、舞踏会で王女をエスコートするようなポーズをしたから、笑ってしまいそうなのをこらえて「大丈夫です」と手のひらを向けて断った。


 だけどシャンプーされながら後悔が頭をもたげた。せっかくの厚意を踏みにじっちゃったかな。ありがたく手を借りればよかった。断るにしても断り方があるだろう、あの仕草では小馬鹿にしているようだ。顔にかけられた布に遮られて表情は窺えないが、気を悪くしたかもしれない。


 もとの椅子に戻る時はなにも言わなかった。気分を害したわけではなく気遣いだと、保ったまま笑顔から読み取れた。障害者への対応は、やるかやらないか、やるにしてもさじ加減が難しい。相手が客なら尚更だろう。


 続いてのカットが関門で、元来有希也はカット中のトークは嫌いではなく、むしろ積極的に応じるタイプだが、初めての店では住まいや職業の話題になりがちだ。いまは自分のことを語れる状況にない。


 こういう時に有効な手段は、できるだけ相手にしゃべらせること。何か訊かれたら質問を追加して訊き返す。「この辺にお住まいですか?」と来たらとりあえず最寄り駅を答えて「どこに住んでるんですか」と訊き返し、さらに「ここからどのぐらいかかります?」とか「何で通っているんですか?クルマですか電車ですか?」等々続ける。自分はうわべだけで、相手には細部までしゃべらせて時間を潰す戦法だ。


 この作戦が功を奏した。会話は『口派』と『耳派』に分かれるが、この人はかなりの口派のようで、話を振れば止めどなく自分のことを話した。普段は口派の有希也もこの日ばかりは耳派に徹し、趣味だというカメラのことを訊いたらあれこれ丁寧に答えてくれた。有希也は知識が豊富だからどんな話題にも対応できる。カメラに興味があると思われたらしく、おすすめの機種まで教えてくれた。


 甲府ではなく山寄りの出身というから「この辺には知り合いは多いんですか」と訊いたら、友達が最近離婚したことまで話し始めたから思う壺で、おまけにこの辺りの環境についても知れた。タブーだと思ったのか、足のことには触れて来なかったのは有り難かった。


 顔もきれいに剃ってくれた。無精髭を生やしっぱなしだったが25歳では止めどなく伸びることはない。


「こういう感じで、いかがですか?」

 理容師が掲げた鏡が正面に反射して後頭部を映している。


 目の前にまっさらな津原保志がいた。地中から堀り出して土を払い落としたように清潔感が出て、いくらか若返って見える。ショートヘアにして垢抜けた女性みたいに、髪を切っただけで活発に見えるのが不思議だった。おしゃべり理容師も「ずいぶんさっぱりしましたね」と言ってくれた。


「ありがとうございました。よかったらまた是非お越しください」

 見送ってくれた笑顔は嘘ではなかった。自分の趣味を存分に話せて満足したのもあるだろう。タイミングが合えばまたここに来ようと有希也は掛け値なしに思った。

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