南潯鎮の人々の信仰と現代日本人の信仰の比較
中国では歴史上、多様な民間信仰が形成されたが、南潯鎮では「土地堂」を中心に独特の信仰が形成された。南潯鎮は宋の時代から交通の要所であり、商売の拠点であった。そのような風土に相応しい言い伝えが、宋の時代に刻まれた「嘉応廟勅牒碑」を通してわかるように、いくつも残っている。
その碑文にまず書かれているのは、宣和3年(1121)9月5日の飢饉における、崔姓と李姓の河南の米商人の話である。彼らは貧しい南林村に米や豆を分け与えたが、やがて米や豆が尽きてしまい、身投げしてしまった。南林村は彼らを記念して土地堂と像を作り、二人の米商人の溺死した場所を「舎身潭」と名付け、祀り続けた。また、この日は「双土地誕生の日」となり、毎年米を炊いて祝う南潯鎮の習俗となった。つまり、二人の米商人は、南潯鎮の人々の守り神として以後鎮座することになったのである。
南宗末期の時代に、土地堂は「嘉応廟」という名前に改められた。1270年に建てられた「嘉応廟勅牒碑」の碑文には、五つの霊験が書かれたが、ここから南潯鎮の信仰の中身と特徴、そして南潯鎮の人々の生の気持ちや考え方や生活が具体的に見て取れる。
一つ目は1215年に、蝗が大量発生し、人々は祈り嘆いたが、翌日には風が吹いて蝗は消え、豊作になったという話である。これはつまり、廟神のおかげで被害を免れ豊作に恵まれたという霊験であり、農業に関わる御利益の話であるといえる。南潯鎮は農業や養蚕を生業としていた。人々は、蝗の大量発生などによる不作には、常に危機意識をもっていたはずである。
二つ目は1240年に、旱魃による災害が起きて、飢えた者が祠廟に身を寄せたとき、僧侶がそれを嫌がってどうにかしてほしいと祈ったときに、飢えた者をかばうような神のお告げがあったという話である。これはつまり、災害によって飢えた民を救ったという霊験であり、災害時における神の救済の話であるといえる。農業の不作があれば、飢饉が起きる。そのような感覚を、人々は常に、絵空事ではなくリアルに、危機意識として持っていたはずである。
三つ目は1242年に、趙伉夫が南潯鎮において雷雨に遭い、船を進めることができなくなったときに祈ると、天候は落ち着いて無事に船が岸についたという話である。これはつまり、緊急時に神が助けてくれたという霊験であり、危機に遭ったときの神の救済の話であるといえる。これには南潯鎮が水路ネットワークの要所だったことが関係しているだろう。物が活発に行きかう分、盗賊に襲われる危険も他の地域より多く、人々は治安についての不安と対策意識を持っていたはずである。
四つ目は1254年に、略奪しに来た賊が占いをしたところ、よからぬ結果となり、賊たちは驚いて神の像を投げ捨てようとしたが、身体が自由に動かなくなった上に何かに引っ張られる感じがしたので、逃げたという話である。これはつまり、盗賊を追い払ったという霊験であり、略奪者から地域が守られた話であるといえる。これは二人の米商人が人々にとって守り神であることを示している。
五つ目は1261年に、近隣で水害が発生して賊が不当に米を借りていこうとしたとき、商人たちが祈ると、賊はお告げを受けてその場から立ち去り、十日もしないうちに捕まり死刑にされたという話である。これは四つ目の霊験と同じ類型の話であると考えられる。
当時の南潯鎮の人々は、深い感謝の気持ちをもってして、米商人を守り神とした。その後もずっと守られ続けるという感覚を持ち続けて、日々の日常生活にその感覚が根付いていたといえる。
それでは、現代日本人はどうだろうか。感謝、守られ続ける感覚、日常生活へ根付く感覚という観点で比較検討していきたい。
まず、南潯鎮の人々と比べて、現代日本人は「守り神」への感謝の気持ちは薄い。感謝の気持ちが見られないとまでは言えないが、南潯鎮の人々の二人の米商人であった「守り神」に対する気持ちほどの強さには及ばないであろう。
また、守られ続けているという感覚も薄い。南潯鎮の人々は、不作であれ飢饉であれ略奪の危機であれ、何の出来事であっても、二人の米商人という「守り神」に守られているのだという感覚があった。しかし現代日本人は、それらの危機を特定の神に帰して考えることはほとんどない。
更に、日常生活から、そういった信仰や精神世界は程遠いものになってしまっている。初詣や合格祈願などには行くが、それは「イベント」のようになってしまっている。日々、神のことを心に思い浮かべて祈る現代日本人はほとんどいないであろう。
つまり、南潯鎮の人々の精神生活や信仰に比べると、現代日本人の精神生活と信仰は、薄まったものになっていると言わざるをえない。日本にもかつては地域の「守り神」を大切にした時代があったが、少なくとも現在では、そのような地域の「守り神」は忘れ去られている。山奥で朽ちていく神社も多い。南潯鎮の人々の信仰から、現代日本人は学び取れることが多くあるのかもしれない。
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