御成敗式目の影響とは
1.御成敗式目の成立の背景
御成敗式目が成立した背景には、それまで成文法がなかったということが挙げられる。富豪の輩が武装化することなどにより生まれた武士は、源頼朝以来の先例や実践してきた道徳を武士の「道理」として、慣習として裁判などを行ってきた。貴族社会の律令法や公家法は用いなかった。そして承久3年、承久の乱が起こると、法的なもめごとが増加する。このような時代背景の中から、御成敗式目は生まれたのである。
2.御成敗式目について
御成敗式目は鎌倉時代である貞永元年8月10日(1232年8月27日)に、当時の執権北条泰時を中心として制定された。日本における武家初の成文法である。土地などの財産についてや、守護地頭などの職務権限などを成文化した。全51条からなる。これは十七条憲法の三倍であるといわれている。ちなみに、第一条は「神社を修理し、祭祀を専らにすべき事」である。第三条などには「諸国守護人奉行の事」として、守護の職務権限が書かれている。
3.御成敗式目の歴史的意義
この項目でいよいよ題の問いに答えることになる。結論からいうと、御成敗式目は日本の法律と教育に大きな影響を及ぼした。
足利尊氏も御成敗式目を守ることを命じた。室町時代において発布された法令も、戦国時代に戦国大名が制定した分国法も、御成敗式目の追加法令という位置づけである。江戸幕府においては武士の基本法ではなくなるが、法令としては有効であった。御成敗式目は明治時代以降に近代法が成立するまで有効だったのである。現代の民法に影響を与えたという説もある。
江戸時代には庶民の習字手本にもなっている。
よって、御成敗式目は、日本の歴史において法学的および教育的影響を強く与えたのである。
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