下校

七条ミル

「夏だなあ」

 夏美はそう言って、それからわたしの季節だと小さい声でひとりごちた。

「暑くなったね」

 そんなふうに、なんの中身もない適当なことをわたしが言ったら、夏美はちょっと感心したような顔をした。

「ついこの間まで、雨が降っていたなんて思えないな。とても、暑い」

 梅雨が終われば夏が来る。そんなのは当たり前のことで、十六年半も生きてきて今更驚くようなことじゃない。そんなことは、わかっているけれど。

「驚くほど暑いね」

 なんて、よくわからないことを言ってしまう。


 電車に乗り込んでしまえば、さっきまで煩わしく感じていたねっとりとした暑さも冷房にかき消されてしまう。座席に夏美と座って外を眺めているけれど、こんなに涼しいのにまさか外が夏だなんて思わない。今年は、少し窓が開いているけれど、それはそれだ。

 でも、日差しは暑いのか。

 暑いのかもしれない。

 いや、暑いのだ。頸や後髪は、確かに暑くなっている。

 それになにより、セミの鳴き声が聞こえる。

 やっぱり、夏なのだ。

「難しい顔をしてるよ」

 夏美がこっちを見ている。長いのを一纏めにした髪には、やっぱり太陽の光が当たっていて、暑そうに見える。

「夏だなと思って」

「なんだい? それ」

「うーん、よくわかんないけど」

 夏なのだ。

「よくわからないなら、夏じゃないかもしれない」

「そんなことは、ないと思うけど」

「いやいや、大昔の人が夏だって言ったのがあってるのかなんてわからないだろう?」

「どういうこと?」

「本当は今が冬で、わたしの季節じゃないかもしれないってこと」

 夏美はそう言って、外を眺めた。わたしも、外に視線を移す。

 やはり、沿線は緑色が多い。夏だからだろうか。走っているとあまり感じないけれど、でもどこからかは蝉の鳴き声が聞こえている。そこらの家の窓は開いているみたいだし、窓に簾が掛かっている家もある。

 あと、冷房がかかっている。

「でも、今が冬だったら冬はどうなるの?」

「冬は夏になるのさ。電車を降りたらものすごく寒くなってるかもしれない」

「それは、やだな」


 電車が、小さい乗り換え駅で少し止まっている。ずっとドアが開いているから、当たり前だけれど、電車の中は暑くなる。

 でも、冷房の風は無機質だから、あまり好きじゃない。だからって暑いのは、もっと嫌だけれど。

「夏美は冷房の風好き?」

「冷房の風?」

 そう、例えばそこの天井から出ているような。

「冷房の風か、あんまり好きじゃないな」

「やっぱり?」

「面白くないからね」

「自然の風は面白いの?」

「物によるかな」

 夏美は鞄からペットボトルを取り出して、中に入っていた水を飲み干してしまった。水滴が綺麗だった。光が、反射するのだ。

 わたしたちの周りに他に学生は居なくて、大人たちは疲れたような顔をして眠ったり、スマホを見たりしている。

 でも、夏美だけは、なんだか特別に輝いているような気がした。

 たぶん、気のせいだ。


 電車を降りたら、あとは家の近くまでバスに乗る。うまいこと行けば、電車を降りてすぐにバスに乗れるのだけれど、そんな都合も良くは無かった。十分待つだけなのだけれども、夏の暑い中で待つのは汗もかいてしまうし嫌だった。じゃあ歩くのかと言われたら、それは嫌なのだけれど。

 夏美は、別に暑さなんてどうでもいいような顔をしていた。わたしみたいに額に汗が流れてる様子もなく、背中にかいた汗で下着が透けたりもしていない。

 夏美は、綺麗という言葉が似合うのかもしれない。

 まあ、綺麗なのだろうし。

 バスの発車まで五分もないけれど、まだバスは来ていなかった。


 バスを降りたら、夏美とは別れる。

「また明日」

「また明日ね」

 手を振り合って、わたしは横断歩道を渡った。夏美は暑いなぁとボヤきながら、角を曲がっていったんだろうなと思う。見てないからわからないけれど、そんな気がする。夏美が暑そうには見えないけれど。

 蝉の鳴き声に圧をかけられながら公園を通り過ぎると、もうすぐ家だ。

 こんな暑い時間に外を歩いている人なんていないと思っていたけど、この間潰れたスーパーのところに大工の人がいたし、公園には散歩をしているおばあちゃんがいた。

 アパートのところには猫が居たけれど、猫は日陰になっている部分で寝転んで動こうとしない。猫も暑いのだろう。猫は、わたしたちと違って、暑くても脱げないのか。改めて思うと、かわいそうに思われてくる。

 でも、今までだってそうやって生きてきているのだろうから、それで簡単に死ぬこともないのだろう。

 両親はまだ帰ってきていないらしく、駐車場に車は止まっていない。

 エアコンは、ついているだろうかなぁ。

 

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