第66話 競争者
5.
峰高祭が終わり、期末テストも終わった。峰高祭の閉会式は僕は行かなかったが(なお、麴森にバレてしまい、怒られた)E組は比較的上位だったらしい。優勝は三年生を差し押さえて、まさかの二年F組!?ということだが、僕にとっては別に「まさか」というほどではない。
また、次回の峰高祭は守高祭になったらしい。この名称交代は閉会式で生徒同士でじゃんけんをして、最後まで勝ち残った生徒に命名権が与えられる。クラス順位が高いクラスの生徒ほどじゃんけん回数も少なくなるので、命名権を得やすいシステムがある。
しかし、殆ど全校生徒が集まった中でのじゃんけん大会は非常に喧しく、特に残り数人になると、壇上でじゃんけんをするので、応援やら、野次やらが飛び交い、またじゃんけん相手を探す性質上、学年クラスが入り乱れ、場はカオスそのものなのである。
僕はその荒れ狂う生徒に揉まれに揉まれた苦い記憶があったので、閉会式には参加しなかった――というのは殆ど捏ち上げたような理由で、実際はめんどくさかっただけだ。
ところで、一学期はまだ二週間ほどあるが、学校は既に夏休みムードに片足を思い切り突っ込んでいる。学校側もそれを察知してか、授業もテスト返却終われば、先生の得意分野の蘊蓄話とか、生徒の将来の話とか、映像鑑賞とか、単に自習とか、古文に至っては百人一首大会が開かれる始末である。
あとは至るところから有識者を招聘して講演会を開いたり、ワークショップを開いたり、授業らしい授業は殆どなかった。
「それで、香流。期末どうだったんだ?」
香流とは期末一週間前に何回か、一緒にテスト勉強をした。その甲斐あって、どの教科もぎりぎり赤点回避できるぐらいには成長した…………はずだ。
「…………えー、へへへ。さきに楓雪から言えよ」
廊下を歩きながら、照れくさそうにしているが、顔色的に悪くはなさそうだ。いや、逆に目も当てられなさすぎて、むしろ達観してしまっている可能性もある。悲しい哉、全くその可能性を僕は否定できない。
「僕は平均少し上くらいだ」
点数自体はさほど変化はないが、平均点と比較すれば、前回より高かった。一緒に勉強した恩恵かもしれない。
「それで、香流は?」
期末テストは中間テストに加えて、家庭科と保健体育――所謂、副教科が参入してくる。とは言え、この二教科の成績における定期考査の占める割合は小さいし、難易度も高くない。たとえ赤点を取ったとしても授業を真面目に受けていれば補講などは心配いらないだろう。逆に言えば、赤点があるとしても、この二教科のどちらかであってほしい。
「ふふん!」
ビシッと掲げられたピースサイン。
――つまり、赤点が二教科あるということだろうか。
という解釈はやや偏屈だが、赤点が合ったとしても、少なくとも歴史科目と古文は回避できただろう。歴史は概略を流れとして覚えさせ、古文は教科書で扱った文章の現代語訳を丸暗記させた。古文はそれでも初見の文章は出るが、それは高々20点分程度。捨てても他の既出の文章で三分の一くらい取れれば赤点は回避できる。
従って、問題は英語だ。
『コミュニケーション英語』は長文がメインで、その八割が授業で扱った英文、残り二割が初見のもの。『英語表現』は文法問題、英作文や並び替え、そしてリスニングが出題される。
どちらも出題範囲は周知されていて、コミュニケーション英語はとりあえず古文と同様に和訳を憶え、英語表現の文法問題はいまの香流では全く太刀打ちできるものではないが、実は試験問題はそのワークから、そのまま出題または改題されたものしか出ないので、答えを憶えさせた。
ただこれは完全に付け焼き刃になので、正直赤点を回避できているかは怪しい。
僕は香流の試験を受けるまでの状況をこうして脳内でざっと整理しながら、次の言葉を待っていた。
「赤点…………英表だけだった! しかも補講いらないって!」
「それは良かったな」
赤点を取った生徒には補講、補習が課される。だが、今回課されていないのは、中間テスト点数が活きてきたのだろう。実際、香流は中間のときは平均点と同じくらいの点数を取っていたはずだ。
一学期の成績は中間と期末の結果から算出される。中間と期末から算出したとき、単位の取得要件を満たしたのだろう。一学期と二学期の成績はたしか独立して出されていたはずだ。
僕たちは人集りを前に歩みを止めた。
「界のやつ。遊んでたくせに」
順位表は既に廊下の壁――――目の前に掲示されていて、今回も一番上にある名前は界だった。香流と合流したのは、赤点の有無を確認するためと、界の点数を確認するためだった。
「まぁ、あいつはそういうやつだよ」
香流と勉強する時に秘密裡に界を誘おうと画策したのだが、その時――というより、その日は、一人でボウリングの投げ放題に行っていたらしい。しかも学校をサボって。なんでもありな男である。だから、現抜かした界は今回の期末では落ち込むのではないかと香流は仮説を立てたわけだが、あっさり反証されたことになる。
順位表はいつも通り、学年上位50位までが載ることができ、五教科十一科目1100点満点で、今回のボーダーは785点。参考までに学年平均は581.4点だ。
ちなみに、僕と香流は載っていない。
「香流は合計点どのくらいだったんだ?」
「670くらい。楓雪は?」
「僕は、594点」
中間と較べて1点下がっているが、平均点を原点とすれば10点アップとも考えられる。
「うーん、オレらじゃここには当分載れなさそうだな」
「僕は一生載れないと思うが、香流なら来年くらいに載れそうなものだけどな。文理に分かれるから」
今回の科目別の点数は聞いていないが、点数的にはおそらく理系科目は平均90近くを取っているだろう。中間もそのくらいだった。
三年の理系クラスでは、国語社会の点数が400点分から、200点分だけになる。他の科目の配点は変化しないが、それでも全体に於ける理系科目の配分は大きくなる。
「…………界って理系なのか、知ってるか?」
「どうだろうな。本人に直接訊いてみればいいんじゃないか? しかし香流、仮に界が文系を選んだとて、理系ではなく文系を選ぶことはあまりおすすめできないぞ。もちろん、その逆も」
「うるせー! オレに点数負けてるくせに! てか、楓雪はどっちなんだよ」
「僕はまだ決定はしていないが、一応理系にする予定だ」
模試も結局理系で申し込んだしな。
「え、なん……」
「お、楓雪に香流じゃねぇか!」
香流が何か言いかけた時、僕らの間に僕らを呼ぶ声が割って入ってきた。
「へー、これが順位表ね。本当に名前も点数も公開されちまってんだな」
界は感心したように目の前の順位表を見遣る。
「は? お前見たことなかったのか?」
「ああ。前に楓雪に教えてもらって知った。…………あれ、お前ら二人共載ってないのかよ。勉強したのか? ちゃんと」
おいおい、情けないぞ……というが、順位表に載れるのは学年の50位から、つまり上位15%からだ。載れる方が稀有なのだ。
「だから、界を誘ったんだ。そしたら、まさかボウリング行ってるとはな」
「ハハハハ。すまんすまん。あの日は起きた時にビビっと来てな。全細胞がボウリングに行きたいと。おかげで試験中は筋肉痛で手が震えるのなんの」
面白おかしい思い出話のように語るが、ある意味そんなハンデを負っても彼の中では学年一位揺るぎないものだということが暗示されているのだろうか。
現に、今回も二位の麴森との点差は50点ほど離れている。これは各教科で平均してだいたい一問ずつ多く得点しているということだ。
「ほんと、不公平だよな」
「何がだ?」
「だって、オレたちは試験期間あれだけ勉強して、平均少し上くらい。なのに、こいつはボウリングとかしてて学年トップなんだぜ?」
香流の述懐したことは理解できた。だが、共感はできない。
「おいおい、まるで俺が勉強してないみたいな言い方だな」
「そうじゃないか! ボウリング行って遊んでたんだから!」
「あの日はな。それに俺は授業を割と真面目に受けているから、詰め込むようなテスト勉強する必要がねぇしな。問題集もどうせ解ける問題ばかりだし、暗記事項も確認するまでもなく覚えてる」
「授業切ってボウリング行ってたくせに。よく言うぜ」
「いや、あの日は試験範囲終わった科目が多かったから、そんな影響はなかったぜ。それに授業に出ることは、テストで点を取ることの必要条件じゃないしな」
「だったら、何が必要条件なんだよ」
「そりゃ、内容を理解することだろ。それで足りなかったら、自分でその分を補えばいい。授業ってのは、内容を理解するのに便利なだけだろ?」
飄々と言ってのけた。確かに教科書などを読んで、一人で実力を付けられるならば、授業に出席することは、テストで点数を取ることの必要条件にはならないかもしれない。
「ま、次回からはがんばれよ」
言いながら、界は香流の頭をぽんと叩いて行ってしまった。
「くっそぉ…………」
香流は俯いたまま呟いて、去っていく背中を一度睨んだ。香流が思ったより悔しそうなのが意外だった。
「僕たちが界のことを解らないように、界も僕らのことをよく解らないんだよ。僕から見れば香流は頑張っていたと思う。だから、そんな気にすんな」
「お前は悔しくないのか?」
「僕は平均さえ超えてれば満足だからな。元から界に勉強面で認められることはないって解ってるし、認められたいとも思ってないから」
「お前は本当に向上心がないなぁ」
「実力を維持し続けることもある種の向上とも考えられないか? 実際、何もしなければ衰えるだけだから」
向上心ならぬ、恒常心である。
「そんなんだから、向上心がないんだ」
「んー、ならいっそ、なくてもいいんじゃないか?」
香流は「はぁ〜」と深くため息を呆れながら吐いた。
「ま、今回は補習がなくなったことを喜べよ」
「むー、それもそうだな!」
当初の目的は界に認められることではない。赤点を回避することだ。全教科赤点回避はできなかったが、補習を回避したので、目的は達成されている。だからこそ、欲がはみ出て、界に認められるといった目標が顔を出し始めたのかもしれないが、それを達成するには一、二週間では全く足りない。
香流は教室に戻ると言ったが、僕は少しだけ残ることにした。
今度の模試、僕は偏差値60を取らなければならない。例えば今回のテストで言えば、この順位表に載るくらいが校内偏差値60程度にあたる(もちろん、正規分布での話だが)
模試の過去データを持っていない以上、少しでも関連性のあるデータから推定する他ない。担任の元出先生なら知っているかもしれないが、何となく正しく答えてくれない気がする。
「あ、結江。あんた、今回何点だったのよ?」
そんな折、唐突に雁坂さんに訊ねられた。
「594点だ」
嘘を吐く必要もないので、正直に答える。
「ほらね! ほらね! 言ったでしょ? 時間があればこんなやつ相手じゃないのよ!」
雁坂さんは隣にいた波山さんに猛アピールする。
「でも、美代。言うほど差ないじゃん」
「いやいや、こいつは500点台、わたしは600点台。やっぱ、600点の壁って大きいのよ」
誇らしげにふふんと鼻をならして言う。ただ、たしかに、600点の壁は大きいのかも知れない。実際、学年平均点が600点に載ったことはない気がする。
「って、また一位、あの奈御富なのね……。うわ、あかね惜しいじゃん。あと少しで順位表載れたのに」
「ううん。まだまだだよ」
「え、でもあと20点くらいでしょ?」
「その20点が大きいんだよ…………」
染み染みと言った。なるほど、今回は波山さんは点数を隠していなかったのか。
しかし、僕はいままで定期テストは自分の理解度を測るためにあると思っていたが、この順位表しかり、学年平均点しかり、そして赤点しかり、意外と学友と競うためにあるかもしれない。
僕はノルマとして、学年平均をキープしてきたが、学年平均を狙うこと自体、他者と競っているとも看做せる。留年しないためには最悪赤点を回避すればいいが、赤点の基準はそもそも平均点の半分だ。
僕たちは知らぬ間に競わされている。だから、香流は界に悔しさを覚えて、雁坂さんは僕に点数を訊ね、波山さんは順位表を見に来たとも考えられる。
人間は社会で生きる動物だ。他者より優れていたいと思うのは当然の心の動きだ。
だから、それを利用し、勉強も競技性を持たせれば、生徒の競争心を煽り、高得点を目指す方向に生徒は動かされる。
そのためには他者を知る必要があるが、波山さんが前回、雁坂さんに点数をこっそり知られてしまったように、自分のテストの点数は意外と隠し通せない。特に交友関係の広い人は。そして交友関係の広い人には、他者の存在も多く、そして大きい。うまくできているなと思う。
もう一度、僕は順位表を上から順に点数と名前を確認した。
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