第65話 傍観者

「結江くん」


 財布に千円札を二枚仕舞ったところで、波山はやまさんが首を傾げながら話しかけてきた。


「……さっきの子は、彼女さん?」


 もういないのに、波山さんは教室の外の方を振り返って、見た。


「え?」


 よくわからないY/N疑問文に、殆ど無意識で、五十音順で第四位となる「え」が発声された。


「あ、えっと、この前さ、告白されてたでしょ? あの日、結構話題になったんだよ」


 波山さんは当の本人に補足説明をした。あの日できるだけ教室にいないようにしたが、クラスではやはりあの事件は波及していたようだった。

 ただ、今日日まで何も聞かれなかったのは、僕の交友関係の狭さが所以だろう。これがたとえば平田とかであれば、すぐさまクラスメートに包囲され、質問の蜂の巣にされていたことだろう。


「あれか………。ちょっとした行き違いみたいなものだ。さっき話してたやつ――香流とはそういう間柄にはなってないよ」

「……そうなんだ」


 香流と話していた後だからだろうか、今度は波山さんがすごく大きく見えた。実際に、二人を並べれば、20……いや、25センチくらいは身長差が生まれるはずだ。

 

「それで、結江くん、勉強会乗り気じゃなかったぽかったけど、来るの?」


 一歩僕に近づいてから、別の質問を繰り出してきた。

 質問文を頭の中で反芻する。波山さんの質問の意図を考える。

 まず、単純に僕の参加の意思が見るからに薄かったから、嫌なら来なくてもいいよ、という心配から来た質問。

 次に、暗に来ないでという意味を含蓄した質問。これは質問文の「けど」と「来るの?」の間に「どうして」が省略されている。

 これだと、僕の回答は「行かないよ」とするのがどちらであっても、適切なものになっている気がする。これは単に僕が行きたくないと思っているからで、至って恣意的な考察であることも考察できる。


 質問には大抵、高次の世界に質問者の意図が鎮座している。それは試験で問われるようなかしこまった質問もこういう日常会話に於ける何気ない質問にも大抵当てはまる。


――人間が繰り出す質問は、必ず質問者の目的や意向の傀儡、デコイだ。

 

 だから、答えるときは質問内の「どうして?」に対して答えるが、答えを考えるときは、「そもそもどうしてその『どうして?』を聞いてくるのか?」とメタ的に考えると、見えてくるものが違ってくる――――と、いつか姉貴に教わった。

 とはいえ、考えればいいということを知っていても、答えが出せるとは限らない。


「…………そうだね。正直、面倒くさいから行きたくないかな……。だが…………かといって勉強する習慣があるわけではないから、参加する意義はあるとは思っている」


 と、回答をぼかす狡い手を使うことにした。これによって、都合のいい方に捉えてくれるはず。僕はそれを読み取ることにする。


「……そっか」

 

 ふむ。皆目解らぬ。

 僕は波山さんの表情を窺ってみるが、相変わらず心情までは汲み取れない。普通、心情が表情に影響するものだと、僕は認識しているが、この人の場合、その逆ができるのかもしれないと最近考えている。

 ポーカーフェイスというわけではないのに、僕はこの人にポーカー……探り合いで勝てる気がしなかった。

 とは言え、波山さんがどちらを望んでいても、僕は勉強会には参加するつもりは毛頭ないが。


「あ、結江!」


 右斜め前方から自分の苗字をゴツンとぶつけられた。投手の雁坂さんは、ずかずか歩いてきては僕の前にスマホをどんと提示してくる。


「……雁坂さん。どうしたの」

「雄城が勉強会のメンバーのグループ作るって言うから、交換しなさいよ。あんた探してみたら、クラスのグループにもいないじゃない」


 そのグループはクラスの人数に対して、三人くらいメンバーが少ないらしい。雁坂さんはそのことを述懐したが、逆にその三人を除いた全員が属していることはすごいことだと思う。

 僕は雁坂さんのスマホを見ると、見覚えのない画面が表示されている。そういえば最近の若人はメールではなく、別の媒体を使うと聞いたことがある。おそらくこれがそれだ。


「僕はそもそもスマートフォンを持ってないから、そのソフトは使えない」

「え、『ソフト』って、あんた、ふふっ……あははははソフトって!」


 面白いことを言った自覚はないが、雁坂さんは噴き出して大笑する。


「結江くん。これソフトじゃなくてアプリって言うんだよ」

「そうなのか。僕、こういうの疎いから………」

「笑った笑ったぁ。まぁいいわ。じゃあ、何か連絡先教えて」


 聞かれて、僕は携帯端末を取り出すのに一瞬だけ、躊躇した。しかし、電話番号もメールアドレスも僕の中では重要な個人情報でもないと思い直す。いざとなれば変えてしまえばいいし、最悪放棄すればいい。進んで所持しているものではなく、半ば押し付けられたものに過ぎない。


「はい」


 僕は香流にも見せた画面を雁坂さんにも見せる。


「え、ちょっとそれ、もしかして一度もメアド変更したことないの? やり方わからないなら、アタシが変えてあげよっか?」

「いい。いま交換している人に変えたことを説明する方が億劫」

「あんたは億劫じゃなくても、アタシは億劫なのよね」

「そうか」


 それなら、僕が雁坂さんのアドレスを登録した方が早いのでは? といまさら気がついた。香流のときもそうすればよかった。


「結江くん。わたしも交換していい?」

「別に構わない」

「あ、じゃあ、アタシがあかねに転送してあげるよ。こいつのメアド初期のままっぽいから。あと結江、雄城にも教えていいわよね?」

「もともとそれが目的だったろう?」

「……そうだけど! 一応、確認とってあげたんじゃない」

「そうか。ありがとう」


 それから一分ほどの空白の時間が塗りつぶされて、手に持っていた携帯端末がぶるるると震えた。画面には見たことのないメールアドレスが二つ。

 雁坂さんの方は件名なしで、本文は「テスト」の文字。

 波山さんの方は件名が「テスト」で、本文に「波山です。よろしくね」とだけ書かれていた。


「ん、嘘のアドレスを教えてるわけではなさそうね」

「どうして嘘のアドレスを教える必要があるんだ」

「それもそうね」


 その後、雄城の連絡先も雁坂さん伝いに交換した。電話帳はあかさたな……で分類されているが、その半分がまだ未登録で選択できない。相変わらず吹けば飛びそうな電話帳である。

 ケータイをパタリと閉じて、五限の授業の方に机を向けた。


 ポケットの中で、それは少しだけ、重みを増した気がした。

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