第54話 竜王
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「は? なんなんだアイツは」
オレは思わず声を漏らしてた。久しぶりに界が動いたと思いきや、颯爽とボールを奪っていきやがった。
いきなりだ。さっきまで何もしてなかったのに、急に。ムカつく。
ムードも点差も明らかに界のクラスの勝ちの流れだった。前半はそこそこいい勝負してたが、後半は地力の差がじわじわ表れてて、残り時間も大してないから、勝敗は決していたようなものじゃないか。
いまさら動いて何になるんだと、オレは心のなかでアイツを嘲笑した。まるでうさぎとかめ……界たちの方が強いから、かめとうさぎか。それはかめがあまりにも滑稽だな! ってさっきまでは思ってたんだけど……。
何してんだ一体! 気づけばもう逆転してしまいそうな勢いじゃないか!
バスケには詳しくないけど、将棋と似てるところがあるんだなと思わされた。そのことにもイライラする。
終盤まで来ても勝ち切るまではどっちが勝つかわからない……。ふとした拍子に逆転が生じてしまう。
オレはこの前の対局でそれを痛感させられた。相手が将棋部とか、熟練者とかだったら、逆転負けしたこともあるし、逆転勝ちしたこともある。
将棋ってのは誰も悪手を指さなきゃ、おそらく永遠に続くもんだ。大抵はどっちかが歯車を狂わして負ける。妙手なんてもんは本当はないってオレは考えてる。
将棋士はどれだけ、「正解手」を指せるか、指せなくても正解にできるだけ近い手を指し続けられるか、死物狂いで戦慄きながら静寂な駒を動かしていく。
妙手って言われるのは相手がわかりにくい悪手を指した時に発生する正解手。
だから、オレが初心者のあいつに負けたのは、オレが取り返しのつかない悪手を指したからだ。逆転されたのはオレが勝負の途中で勝ちを確信したからだ。
これで二度目だ。
あいつは……あれだ、前世がハシビロコウだ。じっと静かに獲物が浮かんでくるのを睨んでる。この前のオレみたいに、油断して浮かれ始めたやつをばっと狩る。嫌な性格をしてやがる。
それを何度も何度も突きつけてくんだ。
今回だって、示し合わせるように、界と一対一になってる。
オレはスポーツが得意じゃない。
この前の体育でも、別に大したことないのに、ちょっと転んだりすると、クラスのやつらが集まってきて「かおるんだいじょーぶ!?」「怪我してなーい?」「保健室行く??」とか、オレは子供か! って扱いをされるレベルには運動が苦手だ。
だから、界とスポーツで戦うには、頭脳スポーツとかじゃなきゃ相手にしてもらえない。なのに、やつはその機会を奪った挙げ句、ここでも……。
「はぁ…………」
な、なんでオレは界のことで他の男に嫉妬してるんだ……!?
ため息をついて頭が冷えた分、いろいろ変なことに気がついて、顔が熱くなった。界もだが、あいつもあいつで調子が狂う。
界があいつに執着してる理由が少し解った気がする。
オレにはわからない次元で二人は意外と似ているのかもしれん……。だから界はあいつに執着してるんだし、あいつも嫌がらないんだ。
オレは将棋とか頭脳だったら、界と同じフィールドに立てる。だけど、普通の、特に取り柄がないやつだったら、界とつるむ、界につるまれるのは心地いいもんじゃないだろう。界は天才なんだから。
あいつもおそらく同じような部類だ。界みたいにオールマイティーじゃなくても、こうして将棋とかバスケとかで暴力的な実力を発揮してる。
そういった実力、才能があるから、界が寄り付くんだ。界は自分と釣り合う人間にしか興味を示さないやつだ。
界に寄り付かれても、才能があるから劣等感を抱くようなことがない。だから、一緒に居ても居心地が悪くないんだ。
而してオレはそうじゃなかった。天才じゃなかった。
monologue;
将棋は親の影響で始めた。最初に駒に触れたのは、もしかしたら小学校入る前だったかもしれんけど、ちゃんと将棋を将棋として始めたのは小学校一年の頃だ。
最初は駒の動かし方を親父に教えてもらって(半ば聞かされていた気もする)最初は十枚落ちとかで指した気がする。そんなときオレが「こんなんじゃ楽勝だよ」みたいなことを言って、平手で指して親父にボコボコにされて泣きじゃくった記憶がある。
ママ……母さんにその親父の冷徹な仕打ちを言い付けて、親父のことを怒ってもらったことまでがセットで最初の記憶だった。
それからは親父をぶっ倒すのを目標に将棋を指し始めた。親父がたくさん、たぶん、読んだこともないだろうマニアックな戦法の将棋の本まで持ってたから、それを読みながら、戦法とか手筋とか……あとは詰将棋。オレは詰将棋が一番好きだった。
休み時間とかにもよく詰将棋を解いてたっけな。
親父に勝てるようになったのは小3の時だった。当時まで目下最強の敵を倒せたのは嬉しかったし、何よりあの親父が悔しそうにしてやがるのが嬉しかった。親父はどうやら将棋を始めたのは大人になってからで、いま思えば大して強いわけでもなかったんだけどな。
それからもうオレに歯が立たなくなった親父は近くの将棋道場なるところにオレを連れてった。
それはちっちゃい保育園みたいな場所で、ちびっ子から大人までいろんなやつが将棋盤を睨んで、唸りながら将棋を指していた。
オレは初めてそれを見て世の中にはこんな異様な場所が存在していたことに、ある意味世界の広さを知ったけど、次の週にはオレは向こう側にいた。
オレはそれから毎週道場に通い始めた。
小学校五年になった頃。オレはすでにこの道場で最強になっていた。
オレは別に初心者じゃなかったから、道場の五級から始めて、三ヶ月くらいで初段に上がった。
そして、小学校五年のとき、道場で一番強い「竜王」になった。もちろん、いま言った級位は道場内の級位で、公式のものじゃない。
それからオレは一度も「竜王」の称号を譲らなかった。別に「竜王」と言っても子供騙しのための餌みたいなもんで、「竜王」がもらえるのは中学生まで。だから、高校生以上にはオレより強い人はわんさかいたと思う。
それでも、誇らしかったし、オレも「竜王」ってのがかっこいいって思う幼稚で単純な小学生のうちの一人だった。そもそも同世代では最強なんだから、オレはちゃんと満足してた。
二年足らずで道場最強になったから「将棋の天才」だと持て囃された。オレもあの夏までは自分のことを天才だと思っていた。
小学校五年の夏休み。
夏休みが後半に差し掛かる頃。夏の暑さのピークが過ぎたくらいの頃。
『こんにちわ〜』
『こんにちは。あ、香流ちゃん。今日、すごい強い、香流ちゃんと同い年の子が来てるんだけど指してみない?』
『え、オレより?』
『……うーん。同じくらいかなぁ』
オレはそう言われて少しイラッときた。オレは「香流ちゃんの方が強い」と言ってもらえるもんだと思った。
『わかった。対局する』
これが最終的に道場をやめるきっかけになった。
『お、それはよかった! さっきから誰も××くんの相手にならなくて困ってたんだよ……××くん! こっちおいで』
その頃は完全に慢心していたから、そいつの名前をよく聞いていなかった。気にもならなかった。
『この子がうちの道場最強の「竜王」の
そいつのことはもうよく覚えていない。活発で元気ハツラツな男子で将棋を指すようには全く見えない第一印象を持ったような記憶はある。逆にそれ以外は本当にそいつのことは何も覚えてない。
いま思えば、その道場でも一番覚えておくべきだったやつだった。
だけど、この時のオレはそいつのことを覚えておくにはあまりにも弱すぎたんだ。
『じゃ、二人はあそこの席で対局して。平手十五分秒読み三十秒……手番は振り駒でいいかな』
それから、オレたちは空いている奥の席で対局を始めた。オレは駒を並べる時、迷わずに王を取った。
初戦の対局内容はもうよく覚えてない。
『……ま、負けました』
オレはあっさりそいつに負けていた。そう、あまりにも早く終わってしまって覚える内容も何もなかった。
『……す、すまん。ちょっと油断して変な手を指しちまった。もう一局いいか?』
『別にいいよ』
感想戦は殆どしないですぐに駒を並べ直して二局目を始めた。
『…………負けました』
またオレは勝てなかった。オレは時間を使い切っていたけど、そいつは残り十分も残していた。それを見て、将棋盤の置かれた机の下で気付かれないように強くズボンを握った。
おかげで帰ることにはズボンの前の部分がシワシワになってた。
それでも初日はまだ気がつかなかった。全敗しても気づかなかった。いまオレの真正面に座るこいつとオレとの間にある呆れるほど圧倒的な差に。
『え、香流ちゃんが全敗!?』
『……あいつ変な将棋指すんだもん。全然玉を守らないし、定跡も全然守らないし、大駒も最初から捨ててきて守らないし、何も守らないんだよ……』
あんな将棋を指すやつは周りにはいなかった。居飛車党ですごい攻め将棋で、はっと驚くような手を指してくるときもあれば、大駒をねじ込むようにして強引に守りを剥がしにもくる。
兎に角早指しで、時間を全然使わない……。こっちは本気で思考の海に溺れながら戦ってんのに、向こうは浜辺でサングラスかけながらパラソルの下でゆったりしながら指している。ちっとも気に食わない。
そいつはどうやら最近将棋を始めてたらしく、夏休みの間だけ道場に通うのだと言う。『夏休み間だけとは言わず……』みたいに道場の人が引き止めていたけど、守ノ峰には帰省していただけだったと聞いた。
それを聞いたオレは最初にどう思ったかよく覚えてない。
二日目。オレは対居飛車の戦法を片っ端から詰め込んで、そいつに挑んだ。絶対知らないであろうマニアックな戦型を調べて、不意打ちみたいなことをしてみたり、プロレベルで指されるような、細かい手を指してみたりもした。
だけど、オレは思っきり返り討ちにあった。調べてきた手も完璧に対処されて、『お前。始めたっばっかなのになんでこれ知ってんだよ』って聞けば『少し、んー、大体十手くらい読んだら、すごい手だって気がついたから……』と白々しく言ってのけた。
最初は嘘だと思った。絶対他の道場から来たんだと思った。
だけど、序盤に荒さがあったりとか、駒を持つのがまだ不慣れそうなのを見たり、チェスクロックを押すのをたまに忘れていたり、手筋の名前とか格言とかに全然ピンと来ていなかったりしたようなところを見ると、だんだん本当のように思えてきてしまった。
それにそいつはこの夏休みの間、みるみる成長していった。
最初はそいつの戦い方に慣れればいつか勝てるようになると思ってた。だけど、日に日にオレはそいつとの対局を避けるようになった。
オレは覚った。こいつが「本当の天才」だと。
ただでさえ大きすぎる差がどんどん広がっていく。道場で帰る前に開かれる詰将棋大会でも、そいつは圧倒的な速さで解いてしまう。オレが五手読むころには十手くらい読んでいる。倍近い速さで倍近い量読んやがる。
たぶん、それが初めての本当の挫折だった。それからそいつは同年代で相手になるやつが一人もいなくなったから、高校生以上の部に潜って、そこでも猛威を奮ったらしい。
――オレはそいつと十数局指して、一局たりとも勝てなかった。
で、そいつは本当に夏休みが明けたらきっぱりやめていて、オレはまた道場最強に返り咲いた。そこにはホッとした自分もいたに違いなかった。
同年代のやつにあんなに強いやつがいる……。オレはその敗北感の沼にどっぷり浸かって、ついた泥をずっと引きずり続けた。それが嫌だった。
何より、このまま道場を続けても、強いやつからずっと逃げて、ずっと自分より弱いやつを選んで戦っているように思えてしまって、そんなオレが「竜王」だということが、あまりにも惨めすぎて、オレは小6に上がるのをきっかけに道場をやめた。
そして将棋もやめた。
道場をやめて四年が経った。オレは守ノ峰高校に入学した。
高校では何かしら部活に入りたいなぁって思ってた。
でも、スポーツはできないし、音楽もできない。勉強は得意な方だったけど、勉強が得意なやつが集まる高校なんだから、うんたら研究部とかは入りたくなかった。入ったとてたぶん話が通じないし。
そんな感じで新歓シーズンぶらついていたら、廃部寸前の将棋部を発見した。
「ま、いっか」
オレは四年ぶりにまた駒を触った。中学の頃に気づいたけど、オレは別に将棋がそんな好きなわけじゃなかった。ちょっと人よりセンスがあって、実際すぐ強くなれたからやってただけ。事の発端は親父への復讐だったわけだし。
だから将棋部も暇つぶし感覚で入部した。
まぁ、四年ぶりで少しは感覚とか鈍ってたけど、思ったより指せて数回行っているうちに当時の棋力くらいは取り戻せた。
界が入部したのは新歓シーズンも終わってから暫くした後、五月の終わりだった。
なんであんなやつが将棋部に来たんだ? ってみんな訝しく思ってたし、オレも思ってた。
とりあえず体験入部ということで、オレと指すことになった。
オレはこのとき初めて界を見た。
オレが界について知ってたことは、たしかなんか入学式の日に早速事件を起こしてヤバいやつなんじゃないかとちょっとだけ騒がれ始めたくらいで、たまに名前を聞いたことがあったかなぁ、くらい。
で、六月の始めに貼り出された中間テストの順位表で界の名前が一番上に来た時、その噂は一瞬で学年、学校中を駆け巡ったけど、思えば体験入部に来たときは中間テスト明けだったから、もしかすると界はタイミングを見計らったのかもしれん。
そんな得体のしれない男子生徒と将棋を指している時、オレは気がついた。
――似てる。
あの頃の、あの夏のあいつの将棋と。荒々しくて、攻撃的な将棋。
オレは駒とトラウマを半ば震えながら掴みながら、界と指し続け――勝ちきった。
オレはいつも以上に嬉しくなった。いつかのあいつを倒せたような気がして。もしかしたら、あの夏のやつは界だったんじゃ、とも思った。
界は正面で盤上を見ながら。
「へぇ、君強いね……。いいね! あ、俺入部します!」
すごいあっさり界は入部した。
強いね。って言われてオレはなおのこと嬉しくなった。界にとってオレとの対局が初めての対人戦だったらしいけど、それでも嬉しかった。いままで何度も言われたことだったけど、嬉しかった。
あの、最初に親父を倒した時と同じ感覚だった。
それからオレと界は切磋琢磨し合う良いライバル同士になった…………のも束の間だった。
界も「天才」だった。最初はオレが一枚上手だったけど、七月頃には追い抜かれそうになって、夏休みに入った頃には界が部内の「竜王」になった。
またか、と思った。だけど、今回は逃げなかった。
思えば、その頃にはオレの中で将棋は別の意味を持ち始めていた。
それから界に追いつくために一日の時間の殆どを将棋に費やした。今度こそ、勝つ。あの夏の二の舞にはならん。
もうこの頃には、界が大抵のことは何でも熟せるトンデモ人間だということは解っていた。
雰囲気に反して勉強も運動もできる優等生かと思えば、問題すら起こす。
その中で唯一、同じフィールドで、真正面から向き合えそうなものが将棋だった。
たぶん、それ以外のフィールドのオレは界の眼中にはないと思う、というかない。
もしかしたら、将棋でも界はオレのことを「NPC」程度にしか思ってないかもしれないけど、それでも、界と同じフィールドに立っていたかった。
あいつの成長速度は異常。何をするにしても。
でも、代わりにあいつはいろんなことに手を出している。だから、オレは将棋だけに集中してなんとか界に振り切られそうになりながら、ギリギリのところで喰らいついていた。
――そしていつか、その淡く光る星の下で。オレはいつか界を見上げさせたかった。
『なんだよ! やめるって!』
『ん? だから退部するってことだよ』
『なんでだよ! そんな強いのになんでやめんだよ』
オレは思わず界の胸ぐら……は掴めそうになかったから、Yシャツを下に引っ張った。
『別に、強い弱いは、続ける続けないに関係ないでしょ。香流こそ、なんでそんなムキになってるんだよ』
『お、お前は、オレ、たち、将棋部を裏切んのか? オレたちは人数的に存続ギリギリなんだぞ』
『うーん、そんなつもりはなかったけど……。まぁいいよ、それで。裏切るってことで』
『っ………!』
オレはあいつと対等でいるためにひたすら頑張った。なのに、あいつは勝手に、オレを裏切ってあっさり将棋部を去った;
だから、今回の峰高祭の界との対局はオレにとって特別な意味があった。あの場で界を負かして、オレを見上げさせなきゃならなかった……。なのに……。
なんて項垂れてたら、オレは決定的な瞬間を見逃したらしい。一際大きな歓声がオレの顔に水を打った。
「界……」
界があのときの敵を討ってくれたのだと、オレは思ってしまった。どうせ界にそんな意図はないだろうけど、オレはそれでも嬉しくなった。
あいつが持っていたはずのボールは、いまは界がドリブルをして運んでいる。
見れば、あいつは追いかけもせず、両膝に手をついて、コート上で項垂れてやがる。
「なんだ。一度奪われたくらいで」
それすら、昔のオレと姿が重なって、イラッときた。
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