第22話

4.


 帰宅して、とりあえずお風呂に入って、湯船の中で考える。



 結江くんについて。



 この1週間、わたしは結江くんについて一つ、不気味なことに気がついていた。

 もともと彼はクラスでも本当に目立たない人で、目を凝らさないと見つけられないほどに影が薄い。


 だからわたしが「結江くん見なかった?」みたいにクラスメートに訊けば「えー? 誰それ〜」みたいな返答が来ることは想像しやすぎて失礼は不可避。


 そのレベルで影の薄かった生徒が体育祭で学校中を沸かす大活躍をした。今までとのギャップもあって直後はみんなその話題で持ちきりだった。


 ここまではいいんだ。でも……。



 休み明けの月曜。彼は休んでいたけど意外と誰も反応しなかった。わたしは「色」が見えない彼をよく観察していたから知ってるけど、これが彼にとっての初めての欠席。1年生のときは知らないけど。




 そして火曜日。また欠席だった。この日も特に反応しなかった。

 というより高校は義務教育じゃないんだから反応するほうがおかしいのかも。



 そして水曜日。また欠席。そしてこの日、初めて異変に気がついた。




 水曜日の昼、この日はクラスの友達と一緒にお弁当を食べていた。


 わたしは何となく彼の席の方を見ていた。山積みのプリント。そこには空虚が座ってる。



『ちょっとぉ、あかね聞いてるぅ?』


『うぇ? あ、あはは。聞いてなかった』


『んもう! 何見てたのよ!』


『ん。結江くんの席。プリントすごいことになってるなって』


 相変わらずこの学校はプリントを配りすぎだ……。



『……ゆ、わ、え? どんなやつだっけ?』


『んーと、よく思い出せないけど……てかずっと不登校だったんじゃね?』


 それは言いすぎでしょ……。


『ほら、体育祭のアンカーの! 忘れたの? あんなにすごかったのに』


『え? アンカーってあかねじゃなかったっけ?』


 え? それわざとですかぁ? ああ、心の傷口がイタタタタ。


『わ、わたしはその一つ手前。バトン落としたし……』


『あ、そういえばそうだったね! 見てて『やらかしちゃったなぁ、あかね。あとで校舎裏とかでしくしく泣くんだろうな』とか思ってたもん』



 そんなこと思っていたのか……。さすがに学校じゃ泣かないし……。



『え? でもあたしたち全員リレー1位になったよね……あれ? なんでだっけ?』


 なんでだっけ? って。

 

 ん? あれ?

 何かが変だ。



『だからアンカーの結江くんがごぼう抜きして勝ったんだよ?』


『ええ! そんな事あったっけ? かっこよすぎじゃん!』


 いやいや打ち上げのときもずっとはしゃいでいたじゃない!


『……え? 憶えてないの?』


『うん、まったく。えへへ』


 テヘペロって……。


『わたしも憶えてないわ……もしかしてあかね、妄想癖でもあるの?』


『な、ないよ!!』


『だいじょうぶ。あたしたちはあかねにどんな性癖があっても友達だ!』


『だからないって!!』



 そう、どういうわけか全員じゃないけど私が確認した人の殆どはあんなに盛り上がった結江くんの活躍を忘れてしまっていた。



 しかもお見舞いに行ったとき当人も忘れているもんだから、もしかして本当にわたしの妄想なのかな? って疑心暗鬼にもなりかけたし……。

 でも少なくともあのお見舞いに行ったメンバーは全員覚えていたから、変な催眠術にでもかかっていなきゃ、あれは現実……のはず。


 だとしてもあの大活躍が忘れ去られてしまうレベルの影の薄さって……。



 そして結江くんのお姉さんもわたしにとって不思議の人だった。

 そりゃ、人前でも下着姿で平気とか、とことん自分のペースに巻き込んでくるとかもあるけど、そうじゃなくてわたしだけに不思議な人。


 それは一緒にいてもしばらく気づかなかったんだけど、実はお姉さんの「色」も見えていなかった。

 なのに結江くんと違って不安にもならなかったし、見えていないことに気がついてから見え始めた。


 でもその色も少し異質で、たしかに色はあるんだけど、曖昧というか、薄いと言うか……「速い」が近いかもしれない。



 もし、わたしが見ている「色」が心のキャンパスに塗られたものなら、普通の人のはそこに一色だけはっきり色を塗られる。色んな感情が混ざってるときもちゃんと混ぜたことは判るようになっている。


 でもお姉さんのキャンパスには一番下に何か油性絵の具で塗った「本当」の感情があって、その上から水で薄めたアクリル絵の具で軽く塗っている感じ。その色は鮮明ではあるけど、すぐに下地に弾かれて消えてしまう。でも下地が見える前にまた別の色が塗られる。



 ああ、そんな感じだ、シャワーかけてもすぐに曇るお風呂の鏡みたいな。



 これも今までにないタイプの「色」の表れ方だった。しかもわたしには下地の油性絵の具の色は見ることができなかった。



 んー、もしかして私、結江家に対策されてる? 



 でもまだ見えるだけましだけど。



 ああ、本当になんで結江くんの「色」だけ見えないんだろう。

 なんでみんな結江くんのことを忘れているのだろう。

 なんで結江くんは…………



 んー、ダメだ。わたしの頭じゃまともな答えは思い浮かばないや。

 オーバーヒートしてのぼせてしまうだけ……。


 よし! 切り替えてテスト勉強しよう!



5.



「ふゆにもあんな友達ができたんだね……。お姉ちゃん嬉しいよ……」


「……ああ、友達というか、今日来たの生徒会副会長と体育祭実行委員だから義務感に突き動かされたんだろう」


「だとしてもわざわざ家まで来てくれたんだよ? 友達じゃなくてもクラスメート以上の『存在』だとは思われているんだよ!」


 存在ね……。



「だとしても僕に『友達』はできない……」



「……………」



 姉貴は口を噤んでしまった。ちょっと今のはよくなかったか。



「宿題終わったし、部屋に戻るよ」


 紙しか入ってないのに異様な重さのある紙袋を持って、リビングを去る。その際。



「ふゆ……。もう、扉を開けてもいいんじゃない?」



「……施錠されているんだ。鍵もないのに開けられるわけないだろう」



 リビングの外側で扉を閉める。

 壁に化わる扉。世界を隔絶しているように。



――やらねばならないことはない。やってはならないことはある。


――やりたいことはない。やりたくないことはある。



 嗚呼、全部、全部ねじれている、こじれているんだ。

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