第13話 体育祭前日
8.
気温は日付が脱皮をするごとに上がり、その日付も体育祭前日になっていた。
そろそろセミも間違えて地中からグーテンモルゲンと起き上がってきてしまいそうな暑さに達していた。
僕も既に夏服の中で学校を蔓延っていて、ブレザーはクローゼットで冬眠ならぬ、夏眠を始めた。少し羨ましい。
学校のムードは沸騰したお湯が鍋から溢れ出しそうな様子を思い浮かべると解りやすい。まさにそれそのものだ。
「明日はとうとう体育祭です! 明日に備えて今日は早く寝ましょう!」
「みんな! 明日は絶対に勝とう!」
いつものHR終わりの合図は、実行委員や生徒会副会長の鼓舞に取って代わった。
言いつけどおり、早く寝るために教室を誰よりも早く出た。
校舎を出ると体育祭実行委員のTシャツを着た生徒数名が入場門らしきものを働きアリのように運んでいて、視野を広げればあちらこちらに会場設営を行っている生徒がいる。
明日、繰り広げられるであろう熱戦と、湧き上がるであろう声援と、多数の生徒のかけがえのないものになるだろう青春は、殆ど実行委員の影の努力、無給労働によって支えられ形成されている。
出場する殆どの生徒はこれに関わってはいない。しかし、クラスでちやほやされるのはリレーであれば足が速かったり、騎馬戦であれば力強かったり、その要素は実行委員が持っているとは限らない。
本当に持て囃されるべきなのは実行委員の面々のハズで、しかし、実行委員は出場する生徒が楽しんでくれることを望んでいる。そして、現に、体育祭中は楽しんでいるだけの一部の人間のみが持て囃され、プログラムが全て終わったときに実行委員に取って付けた疲れた労いの言葉が添えられる。
体育祭直後も体育祭の思い出話に華を咲かせるのだろう。だが、これが自然で健全な姿で、実行委員会はこれを作り出すための慈善活動なのだ。
冷めたことを考えながら、学校を後にした。
9.
「ただいま〜」
久しぶりに早く家に帰還した帰宅部。その家には人はいない。2階建ての一軒家であるが半日以上は空箱で、残り半日は僕しかいない。たまに姉貴も帰ってくるが、それは夜遅くであるからこの家は僕にしか慣れていない。
例えば大学に居候しているような姉貴が帰ってくれば、リビングは時化る。自室は整理整頓されているのに、リビングは派手に荒らす。確かに彼女は家のスペースとして自室しか使わないから、リビングに足の踏み場がなくても構わないのだろう。
逆に僕はリビングで殆どを過ごす。自室は二階にあるが、他の家族は帰ってこないわけだから、リビングに生活の全てを押し付けていても邪魔にはなるまい。無駄に位置エネルギーを受け取りたくないのでこちらのほうが都合がいいのだ。
宿題はダイニングテーブルでやり、食事も同じく。寝るときはソファを利用する。教材も毎日使うようなものはスクールバッグに、他は全て置き勉してあるので、完全に二階には用がないのだ。
「ただいまぁ〜」
台風の上陸だ。ちなみに姉貴は僕がリビングを居住区にしていることは知らない。この間もリビングで寝ているのを発見され、「どこで寝てんの! 風邪引くよ!」とか言われてソファから引きずり落とされ、なくなく天空の自室へ登った。当の本人はソファで寝ていたが。
一週間ぶりくらいに携帯を充電している。電話帳も家族くらいしか登録していないし、その家族も殆ど連絡をよこさないので、この携帯電話はそもそもあまり携帯していないし、携帯してもその役目を果たすことは極めて稀で、携帯電話にとっては不名誉なことなのであろうか、それとも毎日有給で嬉しいものなのだろうか、それはスピーカーで聞いてみてもわからないだろう。
その携帯電話をぼーっと見つめていたのだが、目の前に座っている姉貴がなぜかこちらをじーっと見ている。また何かを企んでいるのだろうか、とりあえずこちらから声をかけることはしない。
かれこれ数分。姉貴はまだこちらを見ている。ハシビロコウかな?
しかし諦めたのか、ソファから立ち上がり、階段の方へ向かった、と思った。
「いたたたた!?」
急に背後から顳顬を挟み込まれ、ドリルのように両サイドを拳骨で掘鑿される。謎の制裁はすぐに終わったが、痛みはすぐに引かず残留し続けた。
「ふゆ! お姉ちゃんがずーっと、ずーっと視線を送っていたのに無視をするんなんてどういうつもりよ!」
「理不尽な……」
少し子供っぽい一面を見せてきて遠い懐かしさを感じた。
「なんで今日は早いの? とか、今日は早く帰ってきてくれて嬉しい! とか、せめて何か用? くらい聞いてくれてもいいじゃないの!!」
「姉貴、なんか大学であったのか?」
「違うでしょ! ふゆに明日高校で何かあるんでしょうが!」
「―――。ああ、体育祭か。……来たいのか?」
考える素振りをしたのは演技ではなかった。
「ビンゴ!! さっすがー私の弟!」
回答を確認してから、目の前のスクールバッグから一枚の紙を取り出した。
「ほら、プログラム表」
「あ、そういえばふゆ、担任妙子ちゃんだっけ?」
プログラムを見ながら姉貴は訊ねる。
「――知らないな、そんな人は」
「まあ、聞く前から知ってたけどねー!」
まあ、僕も知っていたけどねー! どうせ連絡は取り合っている、僕の情報は相互で漏洩しているのだろう。
「懐かしいなぁ。明日会ってこようかなぁ」
出場する僕よりわくわくしている逆転現象。
その後、いつもどおり姉貴はリビングを散らかし、僕より早く自室へ退却していった。僕も今日は仕方なく高度のある自室で眠ることにし、眼を閉じた……。
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