第12.5話 麹森光が憎んだもの

Monologue;


――俺は誰にも負けたくない。負けてはならない。誰かの下にいる俺は俺が否定する。

 

――順位が出るならば必ず1位を。勝ち負けなら引き分けに甘んじず勝ちを。負けてしまえば俺は俺を認められなくなってしまう。


 そうして俺は誰にも負けない道を歩んできた。学問であれ、スポーツであれ。

 いつも必ず1位を守り続けることはできなかったが、必ず次回で取り返した。


 俺は過程は気にしない。どれだけサボっても結果さえあればいい、いや、良いわけではなく、それが前提である。そうしていまの俺はここに立っている。数多の否定された俺の上に立っている。


 それだから俺は挫折を覚えた。

 まず、入学試験。守ノ峰高校は名門校であるから、合格するための勉強ではなく、首席を取るための勉強をしてきた。模試でも中3最後の方は常に1位をキープし続けた。

 

 しかし、結果は5位だった。

 

 この結果が返却された日から、周りが新品の制服を楽しんでいる中、俺は独り、猛勉強をした。受験期以上に勉強をした。5位などありえない。あってはならない。慢心から来た数字だ。認められない。こんな俺は存在しちゃいけない。

 しかし、最初の定期テスト。結果はだった。


 掲示された順位表を見たら、結江ゆわえ奈御富なみとみ、この二人が俺の上にいた。しかも俺は圧倒的な差をつけられていた。

 この学校のテストなら平で8割5分を取ればトップ、俺がいるべき位置につけると思っていた。

 実際、俺の素点平均は87%でそれだけ見れば絶対に勝ったと思った。慢心ではない。先輩たちからも話を聞いたり、実際に試験を受けたあとも、そう感じたんだ。


 それでも彼らは優に9割を越えていた。奈御富は約93%で、結江は約98%。

 これは「慢心した」では済まされなかった。完全に「負けた」のだ。

 

 俺が順位表を見に行った時、俺はただ自分に対する憤慨だけを確かに感情のポケットに入れていた。だが、それも一瞬で絶望に変わり、とどめなく冷や汗をかいたのを今でもしっかり覚えている。その場で泣き崩れそうにもなった。

 『俺はあれだけ頑張った……』『俺は俺を認められ……』『俺は過程を気にしな……』

 ひどいジレンマに陥り、しばらく学校に行かなくなった。それは本末転倒な気もするが、そうする他なかった。

 

 家族や友達も必死に俺を慰めようと、励まそうとしてくれた。


 ――今年じゃなければお前が1位だった。

 ――3位でも十分すごいじゃないか。


 誰も俺を見てはいなかった。俺を心配することに満足していて、無責任なその言葉は俺を孤独にさせた。塞ぎ込み、挙句の果てに耳も音を拾わなくなった。

 

 人はどこまで行っても孤独なのだと、その時悟った。


 だから、もう一度立ち直るために学校へ向かった。今度は負けられない。この高校生活では酷く苦しい闘いに身を投じる覚悟を決めた。負けてはならないが、前回みたいに立ち止まってもならない。覚悟なるものを決めれば、勝てる気がしたのだ。


 そして1学期期末。順位は2位。素点平均は88%。

 初めて、嬉しいという感情も同時に顕れた。今まではあってはならない感情であったのに、このときばかりは抑えられなかった。「絶対に勝てない相手」と思っていた相手のどちらかに勝てたのだから。


 しかしこの歓喜は憎悪に変化へんげする。

 順位表を見に行った時、上には「奈御富」が、しかし「結江」は一番下まで見ても見つけられなかった。

 奇妙なことに周りの奴らに聞いても結江の存在を知っているやつはほとんどいなかった。訊けば、前回の順位表の1位の欄は名前が空白になっていて、点数だけが書いてあったらしく、俺が見た順位表とは異なっていたのだ。


 先生に訊けば本人から、名前を隠すように申請があったらしい。すぐに差し替えられたと聞いた。結江は俺が狂おしく求めたものを、自分から棄て、俺が譲れないものを簡単に譲っ……押し付けてきたのだ。

 自分の中で抑えられない憤怒と憎悪が巻き起こり、一度だけ、部活の前にヤツのクラスに乗り込んだ。しかしヤツは既に帰宅していて、会うことは叶わなかった。

 訊けば、授業終わったらすぐに消えているらしく、そもそも存在感自体薄く、気づかないと誰に聞いてもそう口を揃えて言う。

 

 俺は一度、心を切り替え、今度こそ1位を狙い勉強を始めた。一線を退いた臆病者など相手にすることをやめた。それでも全てのテストで奈御富に勝つことはなかった。


 そして今年、俺はヤツと同じクラスになった。なにかの宿命を感じずにはいられなかった。忘れかけていた憎悪がまた、ぐつぐつと煮え始めた。

 自己紹介で初めてヤツの顔を見た。想像上はぐるぐるメガネでも掛けた、ガリ勉野郎だと思っていたが、実際はそんなことはなかった。意外と顔立ちはよく、大人しそうではあるけど、おどおどした感じでもなかった。

 それもそうか。この中で一番切れ味の良いナイフを隠し持っているんだもんな。

 更に運動部目線で見れば、背もそこそこに高く、体型も帰宅部の割にしっかりしていた。

 ここまででは普通に目立ちそう、人気の出そうな生徒なのに、どういうわけか近寄り難い陰がヤツには差していた。


 ヤツを観察しているうちに奈御富と接点があることに気がついた。去年は奈御富とはクラスが隣であったから、よく見かけたが、奈御富がヤツと関わっているところは殆ど見なかった。

 そして昨日。ヤツは全員リレーのアンカーを走った。

 ヤツのおかげで俺は見るだけで、そいつが本気を出しているのか、いないのかが、判るようになっていた。別に他にも手を抜いて走っていたやつはいた。


 勿論、予行であるからわざわざ本気を出して走る必要はない。本気で走って怪我でもされるほうが困る。


 しかし、なぜかヤツのだけは見逃せなかった。



――また、また、お前はそうやって…



 練習後、予め教室の外で待ち伏せた。そして見落としてしまいそうな影の薄さで俺の前に現れた。

 初めてヤツとの会話ができた。

 

 いつもは遠目から見るだけで、普通のパッとしないやつだと思っていたが、いざ目の前にして話すと、全く違う印象を受けた。特にこいつの眼が嫌いだ。何も映していないような覇気のない眼。それでいて俺のことを見透かしていそうな眼。

 アレが俺の本当の敵で、アレが俺が本当に目指していた敵で、アレが本当に俺が心の底から憎んだ人間だった。

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