第11話 個人面談
5.
職員室にある、生徒相談ブースにE組の担任、
「すみません。遅くなってしまって」
「体育祭の放課後練習だろう?問題はない。かけてくれ」
遅れた時間は約3分。小走りで行けば時間通りに到着できたかもしれないが、そのような気力と体力は生憎、備えていなかった。
元出先生は女性の先生で、いつも通り黒いスーツをかちっと着て、黒光りするロングヘアは流れるように自然に整えられていた。一方こちらは全く手を付けていないナチュラルなヘアに、だらしない学校のジャージである。
年齢は30代前半といったところであろうか。
「失礼します」
小さな机一つ挟んで真向かいに着席する。
「ふふふふ」
元出先生は何がおかしかったか、抑え気味に笑うが、その笑い一つもそこら数多にいる男子高校生の蛙鳴蝉噪とは異なり、意味を含有していそうで不気味である。
「どうしました?」
「いやぁ。なんでもない。さて、始めようか。まず、なにか学校生活で困っていることとかあるか?」
僕は少し考える素振りを見せてから、答える。
「いえ、特別に伝えておくべきことはないですね」
「ほう?そうか」
なにかいちいち笑いを堪えていそうなのは僕の勘違いなのであろうか。先程から元出先生の表情が決壊しそうである。
「次に勉強の話をしようか」
元出先生手元に持っていたファイルを開き、ページを数枚めくる。
「
「いえ、全く」
「そうか……。まあ、なんとも言えない成績だな。どの教科もほぼ平均点って、逆にこれはこれですごいな。一応ここは進学校だから世間一般からすれば優秀な部類には入るが。クラス順位は40人中、18位か。本当に中の中だな」
「はぁ…」
ここで元出先生突拍子もないことを言いつける。
「なぁ、結江。次のテストクラス5位まで上げてみないか?」
「それは高望みがすぎるのではないでしょうか?」
しかも守ノ峰高校は元出先生が言ったとおり、進学校であるからクラス順位であっても18位から5位にあげるのは至難の業である。学年全体で見ても単純計算で100位程度順位を上げることになる。
「私から見ればその逆だ。なんでお前、テストで手を抜いているんだ?」
声質が急に冷ややかになり、眼光鋭く、僕を一矢が如く貫いた。
「別に手を抜いているつもりはありませんが」
「じゃあ、去年の最初の中間考査の点数はなんなんだ?あの
「あれは、受験直後で勉強に対して向上心があったことと、たまたま張った山があたっただけです」
「うちの高校のテストは山を張ったぐらいで高得点を取れるような代物ではない」
いかにも心外そうな表情である。
確かに、守ノ峰高校の試験は生徒目線でも一朝一夕で熟せるものではない。範囲を満遍なく、且つ、本質を理解していないものでないと高得点は取り難いテストが多い。
「ですからその次のテストからは順位が下がったのでしょう?」
「はぁぁ…」
元出先生は深くため息をつく。
「さすが学年一の問題児ではあるな」
と言いつつ、元出先生は紙に何かを書き留めていた。
「…えっ? それは不名誉なことですね」
「本当だよ。こんな問題児は初めてだ。特に悪事を働いていないところが本当にたちが悪い」
正直ここまではいつもの面談で言われることとさして変わらない。去年も同じようなことを言われ続けた。
ただ、学年一の問題児という称号を与えられていたことは初耳である。
「姉弟でこんなに違うものかね」
元出先生はボソッと漏らすように言う。その内容は去年までの面談にはなかった、姉の存在。
「姉のことをご存知なのですか?」
誘っていたのだろうが、僕としても無視はし難いことである。ここは素直に誘いに乗ってみよう。
「ああ、そりゃもちろん。あいつは元教え子だ。あいつ、
姉貴、晴菜は
しかしその話自体は未だに学校に語り継がれているらしい。流石に名前までは居残りを続けているわけではないが――(おそらく)
姉貴がその改革を行ったことが原因なのかは断定できないが、その次の年から守ノ峰の倍率は、例年は1.5倍近くであったものが2.5倍近くまで伸びた。
「まあ、しかしあのときは問題児が晴菜ってのもあったが、私も未熟な教師だったからな。――私は彼女に変えられたんだよ」
沁み沁みと告白する。何か回想に入りそうな雰囲気である。
「その話、、長くなりそうですね」
「ふふっ。多少婉曲的ではあるが、言いたいことは的確に伝えてくるのは晴菜そっくりだな」
「別にどうしても聞きたくないわけではありませんよ?」
「ふふっ。まあいいさ。お前の言う通り、話せば長くなりそうだ。で、その晴菜が卒業式の日に私の許に来てこんなことを伝えてきたんだ」
と言いつつもその長話を展開してきた。
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晴菜は晴れ着姿に包まれ、卒業証書を入れた筒を片手に私のもとへやってきた。彼女はニヤニヤしながら私に話しかけてきた。
その、何か見透かしているような――見出しているような――視線には未だに慣れない。いつも私が手玉に取られているようで。
しかし、それは事実であって――そこから綻ぶものは私の童心なのであることでさえも彼女には筒抜けなのかもしれない。いや、筒抜けなのだろう。
人間それぞれには見えない器があって、晴菜は見ただけでは人気の有りそうな器の大きい生徒にしか見えない。しかし彼女の深淵を、本当を覗こうとすれば、私の経験だけでは、到底、敵わないものであった。
年齢問わずに彼女に匹敵するような人間には未だに遇ったことがない。
『先生! 卒業しちゃったんだけど……それでも一つ頼み事があるんだけどいいかな?』
晴菜が頼み事?晴菜は他人に頼むより、自分でやってしまったほうが速いから頼み事なんてしないタイプであると、他の生徒からも、そして本人からも聞いたことがあるが。本当に最後の最後でサプライズを受けた気分だ。
『頼み事?』
『…まあ、実際、確率的にはそう高くない未来の話なんだけどね』
晴菜はそう、前置きをした。
その時、一瞬であるが、彼女の顔に「迷い」のようなものを感じた――気がした。
その表情は私が彼女に投影してきた「強すぎる彼女」には可憐すぎるもので、いま、相対している彼女は一人の少女に過ぎないことを今更ながら再認識する。
『多分2年後に私の弟がこの学校に入学すると思うんだよね。学力的にはこの学校余裕だろうし、急な引っ越しとかなければ、流れるままにこの高校に漂着すると思うんだ。…で、詳しい事は言えないんだけど、ちょっとあいつ、弟には過去にはできない過去があって――それで、楽しい学校生活とかを拒むようになっちゃてて…』
時たまに彼女との会話に登場してきた弟くんか。2年後ということは今は中学2年生なのだろう。
『それは私にではなく、カウンセラーに…』
『ちがうよ、妙子ちゃん。妙子ちゃんがどうにかできるような拗れ具合じゃないもん。私もばれない程度にちょこちょこちょっかいかけてみたりしているけど、あれは氷の籠城だね。ていうか私がどうこうできなかった問題を妙子ちゃんに押し付けるわけにはいけないでしょ?』
さっきまでは先生と呼んでいたのにここで「ちゃん付け」か。
『なんだ、私はその挑発に乗ればいいのか?』
『うふふ。私は先生に教える立場じゃないからなぁ〜』
そして「先生」と正しく私を呼ぶ。このように私は彼女に完全に手玉に取られている。
だけど、最後くらい一矢報いてみようか――という考えを教師の立場でしてしまう時点で負けなのだろうか。
『そうか。なら訊かなかったことにしようか』
『ううん。それはだめ。私の頼みごとは、今の私の話をこの高校を先生が去るまで覚えておいてほしいってことなんだっ!最後のかわいい元教え子の頼みなんだから、もちろん聞いてくれるよね?せーんせいっ?』
上目遣いをしてくるがお前のほうが背は高いんだぞ。
『本当、最後まで相変わらずなやつだな。解ったよ。私がここを去るまで心に留めておこう』
『先生はだいぶお変わりになられましたよね、うふふ』
『さて、誰のせいだろうな』
『それじゃ先生。お願いだよ?』
としっかり晴菜は私の脳に記憶を刻んだ。そして私は彼女の門出を見送った。
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「別に私は晴菜の頼みだから、結江を変えてやろうなんて思っていない。結江がどんな過去を背負っているのかも知らないからな。ただ、なんでお前はその高いポテンシャルを少なくとも勉強面では隠して学校生活を送っているんだ?」
「あれ?僕、勉強得意なんて言っていないのですが?」
さりげない罠にはあえて引っかからないが、しかし認めないほうがなかなか時間の無駄なのかもしれない。
「―と、言いたいところですが、確かに実力を100%発揮しているかと訊かれれば、嘘で曇っていない回答は是ではないですね」
「表現が回りくどいな。試験は手を抜いているっていうことでいいんだな?」
「別にどう捉えてもらっても構いませんが、とにかくそういうことですから、やはりクラス5位は無理です」
「でもやれば取れると?」
「さあ、どうでしょう。言わずとも、そして先生も仰ってたとおり、この学校の生徒は優秀ですから、1年間もぬるい泥沼に浸かっていた僕が、仮に最初の頃のようにやっても無理かもしれない――いや、無理でしょう」
これに関しては嘘ではない。確かに1年の最初の頃は、必死に勉強すれば学年上位も食い込めたと思うが、1年間一線を退いていた今の僕ではこの学校の優秀な生徒相手に難しいものがあるだろう。
「なら、こうしよう。今回だけクラス5位に入れば今後は私からは何も口出ししない」
「いえ、別に口出してもらっても結構ですので。すでに慣れています」
「なんだ、お前は構ってちゃん、俗に言うカマチョってやつなのか?」
おそらく挑発のつもりなのだろうが、別に構わない。
「そう感じられたのなら、そうなのかもしれませんね。正直なところ、先生が、他人が、周りが、僕をどのような人間と思おうが、僕には関係のないことですので」
他人に自分という容れ物をどの角度から見ようが、それは相手の勝手であり、仮にそれが誤解であってもわざわざ訂正する必要、そもそも権利も自分にはない。たしかに世界は一つだが、人によって見る、その
しかし態度が少し素っ気なかっただろうか。
元出先生は顔に手を当て深くため息を付く。
「はぁあ。本当に厄介な生徒だな、君は。問題児のくせに頭が切れるのが本当に厄介だ。まあいい。結江がそういうならもう仕方がない。好きなようにやれ」
「はい。そうさせてもらいます。あと、姉の言ったことならあまり気にしないでくださいね」
「ん? ああ。ただ……ただし、本当に何か困ったこととかあれば相談しろよ? 私は君より10年くらいは長く生きているんだ。たかが10年だがされど10年。何か助けになってやれることもあるだろうしな」
10年くらいの「くらい」はどれくらいの誤差を含んでいるのだろうか。
「解りました。その時は頼りにします。それでは失礼します」
まさか担任が姉貴の元担任だったとは。推し量れるものではないが、相当な苦労が強いられたのだろう。
今日は放課後練、面談とたて続いてしまって、学校を出る時間がとても遅くなってしまった。このように日がとろんと傾いている時刻に帰るのは帰宅部の僕としては非常に珍しいことだ。だけれども、この街にもだいぶ慣れてきたと沁み沁みと思う。中学の頃からこっち、守ノ峰に住み始めたが、今では故郷とでも呼べるくらい親しみがある。
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