青春ニートは息をする。

菟月 衒輝

序章

序章 塑像の仮面

 僕は溢れる景色を覗いているのか。そも、覗けているのか。

 あくまでそこから隔絶されているかのように呼吸をし、脈を打ち、瞬きをし――。

 その「行為」をしているのはたしかに僕ではあるのだろうが、僕ではない。



――氷の扉の前に僕はいつも居る。僕はそこで空気だけを吸い続ける。。


 

 四月六日。


 とても軽いスクールバッグを肩にかけ、休みの間寄生していた住処から外に出る。まだ少し冬の香りが漂う、そんな季節。


 一年前の明日入学式はどのような心持ちでこの通学路を歩んだのだろうか。


 いまの僕とあまり変わりなかったのだろうか?

 いまの僕はどちらを望んでいるのだろうか?


 それさえよく解らない。

 

 

 学校までは、自転車で片道十五分程度。交通機関を使っても然程変わらない……寧ろ自転車のほうが早い。


 気がつけば身体は校門をくぐっている。

 十五分という時間を捉え感じられないほどに短くなった通学路。



 「慣れ」というやつだろう。



 だから今日もいつの間にかに上履きを履いていた。


 ただ、平生と違うのは、玄関に大きな模造紙が堂々と飾られていることだ。

 クラス分けの結果が載った模造紙。



『  38 結江 楓雪 ゆわえ ふゆき  』



――今年はE組か。


 

 僕が来る前にも賑わっていたのだろう、階段の登った先の方から一喜一憂の青春の声たちが耳に届く。



 クラス替えというものは学生たちにとって大きな出来事であるようだ。

 仲間と離れてしまったり、逆に再会したり。


 それなのに大半の彼ら彼女らはその大事の結果に関わらず、桜が散りきった頃には仲間を囲んでいる。あるのかは知らないが、これも「学校の七不思議」に加えるべきだと個人的には思う。



 始業式の教諭たちの長噺を聞き流したあと、教室に戻った。

 初回のHRは顔合わせみたいなものだ。担任が一言二言話してから、生徒たちの自己紹介が始まる。


 この慣行は青春の学生にはとても意義のあるものらしく、彼ら彼女らはうまく目立って、(――しかし、目立ちすぎないように)知らない未来の仲間たちにアピールを試みている。


 僕も始業式の長噺とは違って鋭意耳を攲てている。


 自己紹介を観測すれば大凡のクラス内でのこれからの立ち位置とか役割とかを予想できるからだ。予想したところで何するわけでもないのだが。


 例えば男子だと、麹森光(きくもり ひかる)。

 

 朗らかな笑みを浮かべながら、溌剌と話し、ユーモアも少々混ぜつつ、できたばかりの不安定なクラスに笑いを興した。


 外側で言えば、バスケ部に所属しているらしく、僕より背丈が明らかに高い。クラスのムードメーカー的存在になるのだろう。


 他にも現生徒会副会長の平田悠隆(たいらだ はるたか)。落ち着いた雰囲気と、崩れない笑顔で一人ひとりとさも目を合わしているように語る。

 知れず、人望に厚いことは解った。勝手に人が集まってくるタイプの人間だ。クラスを確り支える存在になるのだろう。


 と言った具合にとても表面的で浅はかな予想を僕は立てている。


 目立つ人は決まって笑顔を操れる。

 にこっという擬音が聞こえるような笑顔をする人もいれば、頑張って不器用に笑む人もいた。


 そして、その中に、塑造された仮面があったのを見逃さ……いや見逃せなかった。



 ――それはさておき、次は委員会・係決め。


 これは僕にとっては重要なことで、ぜひ図書委員のポストは守っておきたい。

 恐ろしいことは人数過多で……、なんてことは起きるはずもなく――図書委員は人気がない――僕はいつも通り図書委員になれた。



 全ての事項が終わり、HRは解散となった。

 教室は静寂から閑かな騒めきへと変わる。彼ら彼女らはクラスの架空オンラインのグループとかを作成しているのだろう。


 僕はその新鮮な雰囲気の教室を去り、図書委員の初任務に向かう。とは言うが、去年の引き継ぎ作業の残りだ。



 その取るに足らない作業も終えて教室に戻れば、電気こそ点いていたが、一つの声も残っていなかった。いまさらだが、教室というものは昼でも電気を点けているのだな。

 多分、勉学に最も適したルクスを確保するためなのだろう。


 時計を見れば、午後一時を過ぎたところ。

 電気が消されていないのは僕の荷物が机の上で寝転んでいることだけが理由ではなさそうだ。


 「支度する」という言葉が支度と呼べるような帰り支度をし、いざ帰らんというところ、一人の女子が教室に入ってきた。


「あ、結江くん、だよね?」


「ゑ? あ、そう。波山さんだよね?」


 不意打を喰らってしまったので、発音されきれなかった肯定が出た。

 それは無理もないことで、彼女とは全く話したことがないのだ。それだけではない、そもそも僕が人に話しかけられることが椿事なのだ。


 もちろん、クラスという枠組みが存在する以上、なにかの折りや拍子に、よく知らない同級生でも、話しかける――かけられるということは往々にしてあるだろう。僕もときたま事務的な連絡を生徒と交わすことはある(裏を返すと、それ以外で言葉を交わすことはほぼない)。


 だが、それはもっと時間の経った、クラスがクラスとして機能し始めるころの話だ。


 おそらく――、初日に話しかけられることなど、初なのではないだろうか。



 もしかすれば、普通の高校生は初対面でも、クラスメートであれば話しかけてしまう生き物なのかもしれない。僕はそれを想定しておくべきだったのかもしれない。

 しかし、僕はいかんせん高校生としては未熟なのだ。だから、これは仕方がなかったことだろう。


「そうだよ、覚えてくれたんだ! 気軽に『はやま』って呼んでね。そういえば結江くんは何でまだ残ってたの?」


 彼女の名前は波山あかね。

 女バス所属で女子の割には背が高い。170cmあるかないかというところ。


 こうして、教室で空気の次に席が置かれそうな僕にでも、明るく笑顔を振りまいてくる。


「図書委員の引き継ぎが残ってたから。それを片付けに」


「そうなんだ。おつかれさま!」


 そう微笑んで云う――、そうこのほほえみだ。僕が見逃せなかったのは――。


「僕はもう帰るから、電気消しといてくれないか?」


 一度降ろした荷物を再度、持ち上げる。


「ん? うん。分かった。じゃあね」


「ありがと。それじゃあ」


 僕は彼女を残し教室を去った。

 僕は少し彼女の笑顔を脳内で再生した。


 それを偽りとは言わない。ただ見逃せなかった『塑造の仮面』であっただけだ。



   


 僕の人生を省みると、本来がそこにはない。僕の人生は「途中」から始まっていて、「途中」より前がない。

 

 どうも縫合手術の片割れがいなくなってしまったような人生で、そのまっさらな人生は偽りのようで、でも、その人生を生きてきたことは本当のことなのだろう。


 偽りと感じる人生は、しかし、どこまで行っても本物で、それは僕がこの「人生」しか知らないからだ。

 行けるところまで遡れば、ひどく大きな峡谷……、のようなものがあって、その峡谷の先は彼方より遠い。


 そこからこちらに向かって伸びてくるのは平坦な大道で、平坦なのだから転ばなかったし、一本道なのだから迷わなかった。


 峡谷の向こう側にはきっと密林とか沼地とか花畑があって、歩くと道になったり、障壁となったり――、それに転んだり、迷ったりしたのだろう思う。


 今は一本道の脇にある闇い深い溝に堕ちないように歩くだけ。それがいまの僕が生きる人生。


 決して間違えることはない。


 だから、その途中で塑造の仮面とでも言うべきものを見て、根拠のない親近感を覚えた。

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