新都会

天川累

新都会

どこかのOLがつけているであろうきつい香水の香りと、中年男性の汗臭い加齢臭が混ざり合って気持ちが悪い。帰宅ラッシュに巻き込まれる前に仕事を切り上げるべきであった。無機質なアナウンスが新宿への到着を告げると同時に人波に押し流され、吐き出されるようにプラットホームへと進む。周りの悪臭に鼻を塞ぎたくなる。これはもう一度駅を出る前にトイレで香水をつけなおさないといけない。いつもより少し高いトレンチコートの匂いを気にしつつ、履きなれない歩きづらい新しいヒールで少し早歩きで階段を登る。時間は6時48分、新宿駅から徒歩10分のレストランに7時待ち合わせだから時間がない。彼はもうレストランの前で待っているのだろうか、遅れることに多少の罪悪感を覚えながらも、こういうものは少しぐらい待たせるのが暗黙の了解のようなところがあるし、あまり時間は気にしないでおく。



駅を出てもなお、電車内と同じほどの混雑が続いていて気が滅入る。大学帰りで寄り道しているであろうバカ騒ぎしている若者たちや、仕事帰りで飲みに行くであろうサラリーマン。中年男性と女子高生という不釣り合いなカップリングで夜の街に消えていく人々や、せわしなく腕時計を確認しながら誰かを待っている若い男。今同じ場所で同じ時間を共有している一人一人にそれぞれの人生があることが垣間見えおもしろい。時々声をかけてくるチャラついた男たちをテキトーにあしらいながら、人がいない小道を進んでいく。夜の街は特に、人間の欲望が顕著に出る。飲み会をしていても、食事をしていても、ただ遊んでいる時でさえも相手が異性であるならば目の奥深くに宿っている獣のような眼差しに、10年前の私だったら耐えられなかっただろう。綺麗な物だけを見せられて育っていた高校時代のある時、私は世界が汚れていることに気づかされた。よく考えれば身近にあった汚れなのはずなのにどうして気が付かなったのだろう。そんな小汚い世界にいるのがとても嫌で、苦しくてもがいている間にいつの間にか私も世界と同様の汚れをまとっていた。それがわかった瞬間、いくぶん気持ちが楽になった。その汚れとのうまい付き合い方もわかってきて、世界はそんなもんだ、そう納得せざるを得なかったのだ。

結局人類が長年追い求めてきた快楽も、そんなにいいものじゃなかったし。

小道を抜けると遠くの方にスカイツリーが見えた。東京を代表するその大きな建物は自らの存在の大きさを主張するように東京全体を堂々と見下ろしていた。

修学旅行の時に訪れた東京の景色はなにもかもが輝いて見えたのに、今の東京はなぜこんなにも空っぽに見えてしまうのだろう。それはきっと意味もなく人の心よりも建物が発展してしまったから。オフィスのあるあのビルはあんなに高くなくていいし、駅の中にあるデパ地下の商品はあんなに高くなくていい。人の心の空虚さを建物でいくら埋め合わせをしたとて、誰一人幸せにはなれない。ただの目くらましだ。そのことにもっと早く気が付いていれば私はもっと違う人生を歩んでいたのかもしれない。



駅より少しだけ離れた場所にある小さなレストラン、目的地が見えてきた。いつものディナーより2ランクほど高い高級レストラン。おまけに今日は記念日ときた。

私ももう子供じゃない。これが何を意味しているのか察しがついている。

恐らく私は今日プロポーズされる。

私は今日、幸せになるんだ。幸せ、本当にそうなるんだろうか。なにをもって幸せと呼ぶのか、私にはもうわからなくなってしまっている。彼が運命の相手、そう言われると少し疑問に残るところもある。でも、これでいいんだ。強欲に生き過ぎると失ってしまうものが多い。目の前のとりあえず確保できる幸せをつかんでいくしか方法がないんだ。レストランの明かりが入口付近をほんのりと照らし近くに少しいい格好をした彼が立っている。時刻は7時10分を回っている。

履きなれない、あまり好きじゃない履き心地のヒールがアスファルトを強く叩いて、その存在感を音として強く主張する。さよなら、欲張りな私。

「ごめんね、寒いね。」

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新都会 天川累 @huujinseima

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