ACT.7

 翌週、水曜日。

 俺はタクシーで代官山の”ラ・ブランシェ”の前にいた。

 金を払って車から降りる。

 LEDライトと街灯の明かりで、腕時計の時刻を確認する。

 午後9時30分。


 横断歩道を横切る前、店を確認する。

 もう閉店した後だ。

 

 店の前へ来る。

 確かに明かりは落ちている。


 耳に入るのは道路を走り抜けていく車の音だけだ。


 俺は大きく回り込み、店の裏手に来た。

”STUFF ONLY” 

 とプレートが出ているドアがあり、傍らの窓から薄明かりが漏れている。

 微かだが、人の気配がした。


 俺はコートのポケットを探り、『道具箱』を取り出すと、ピッキングツールでカギを開ける。


 こんなもの、ものの三分もかからん。

 ドアノブに手を添え、ゆっくりと引く。


 足音を忍ばせ、中に入る。


 そこにはもう一つドアがあった。

 しかしここは鍵はかかっておらず、明かりが漏れている。

 

 人の気配がした。

 二人はいる。


 ドアを開くと、男が二人確認できた。

 一人はパソコンに向かい、何やらデータを頻りに打ち込んでいる。


 もう一人は立ったままテーブルにかがみこんで、ピンセットを使い、こげ茶色の薬瓶から、細かく切った紙の上に、何やら小分けにして並べている。

 俺はホルスターから拳銃あいぼうを抜き、構えた。


『お仕事中、ご苦労さん。済まんが手を止めてくれないか?』


 俺の声に二人は振り返った。


 あのカマキリ顔のギャルソン。

 そして、メフィストフェレスもかくやと思われるぬめっとした不気味なシェフ、

 渚慶四郎だった。


 俺の手に握られたM1917を見ると、ギャルソンの方がモノも言わずに、ベルトに挟んでいたであろうコルトウッズマンを抜き、二発撃った。

 腰を屈め、俺も二連射する。

 一発は逸れて、窓ガラスを割った。

 一発は肩を撃ちぬいた。

 派手な音を立てて、ギャルソンはテーブルと椅子を跳ね飛ばして後ろに倒れる。

 

 渚は唇を震わせ、机の傍らに立てかけてあったライフルに手を伸ばそうとする。


 俺は再び二連射した。


 一発はライフルの台尻に当たる。

 残りの一発が、シェフの右手首を捉えた。


 二人とも、俺を睨みつけたが、構うことなく大股で歩み寄り、テーブルの瓶に手を伸ばす。

 『”インクブスのよだれ”か・・・・』


 俺が言うと、渚が恨みがましい目つきで俺を見上げ、

『何でその名を知ってる?』と、荒い呼吸で言った。


『・・・・この間、俺の知り合いをこの店に潜り込ませてね。料理の一部からサンプルを取らせた。ついでに医者で彼女の血液も採取して貰った。更にもう一つ、別のところから実物を手に入れてね。そいつを俺の古馴染みが勤務している警視庁さくらだもんの”科学捜査研究所”で分析して貰ったのさ。そいつは漢方やら、大昔の薬草についても詳しくってね。”こんなもの、本当にあったんだな”って、感心してたよ。』



”インクブスのよだれ”というのは、伝説の中の、そのまた伝説の奥に潜んでいた”媚薬”だ。

”媚薬”についての細かい説明はいらないだろう。

要するに”女をその気にさせて性行為に引っ張り込む薬”のことだ。

”インクブス”というのは、西洋の妖怪・・・・・いや、悪魔の一種で、女性の夢の中に現れ、性行為に誘い込み、悪魔の子を産ませると言われ、別名”夢魔”或いは”淫魔”と呼ばれている。


 大航海時代の頃、西アフリカのある土地から持ち帰られた薬草の根から発見されたらしい。

 男性、主に権力者たちがみめ麗しい女性を思うがままにするために使用されたらしく、ヨーロッパの古文書にも、時折これに関する記述が見つかっている。

 

 しかしながら、実物はまだ一度も発見されたことはなく、ある種の”都市伝説”の類だと信じられていた。



 

 


 

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