第73話

「ねえ、どういうつもり?」

 いきなり耳元で聞こえた声に、ジスランはぎょっとなる。振り返っても誰もいない。豪華絢爛な客間にいるのは護衛の私兵と自分だけ、のはず……。命を守る観点から注意を怠ったことはない。ざっと見渡した限り、異常は見当たらなかったが、

「……オスカー殿下?」

 そう問いかけていた。そう、聞こえた声は確かに彼のものだった。

 ジスランがそう問うと、虚空から返答があった。

「そう、僕。探しても無駄だよ。僕の姿は見えないから」

「視覚歪曲?」

「そのとおり。君のことだから気配を探るなんてやりそうだけど、下手な真似はしない方が良いよ? 毒矢が君を狙ってる。毒に耐性のある君でも耐えられない」

 ジスランは息を詰まらせ、

「僕はその、君を怒らせるような事をしたかな?」

 そう問うた。身に覚えはない。

「心当たりなし?」

「悪いけど……」

「アロイス・フォレスト」

 その名を耳にしたジスランは、舌打ちを漏らす。

「あいつ、何かやった?」

「ビーの魂を持ってった」

「どうやって!」

 悲鳴のような声が漏れてしまう。あいつ……手を出すなとあれほど……。いや、この僕に抑止力は無いか。いつだってあいつは皇妃のいいなりだ。

「呪いの秘石だよ、多分ね」

「呪いの秘石……」

「魂をそこに閉じ込めた。ね、君も一枚かんでいたりしないの?」

「しないよ。僕はこれでも君のことを友人だと思っている。君の不興を買うような真似はしたくない。これは嘘じゃないよ。本当の事だ! 僕の行動が怪しすぎたから、信じてもらえないのかもしれないけれど……」

 沈黙が恐ろしく長い。

 気配は複数。多分、この場にいるのはオスカー一人ではない。武術に秀でているとはいえ、流石に一斉に片付けるのは無理だ。見えない相手に毒矢で狙われているのなら、こちらがとことん不利である。

 ジスランは手のひらにじっとりと冷や汗をかく。

 自分がまいた種とは言え、流石にまずかったと後悔した。安易に考えすぎた自分が恨めしい。実際に王太子妃が害されているのだ。もし逆の立場であれば、自分なら信用しないだろう、そんな想像に心臓が嫌なきしみをあげる。

 オスカー、頼む、信じてくれ! 君と敵対したくないと言ったあの言葉は嘘じゃない! 祈るような気持ちだった。

「ビーの事をどう思った?」

 やおら、オスカーにそんな風に問いかけられて、ジスランは困惑する。

「どうって……」

「彼女と話した感触、聞きたいな」

 そんなこと、こんな場で言うことか? そう思ったが、何が引き金になるか分からない。ジスランはしぶしぶ答えた。

「苦手」

「苦手?」

「素直すぎ。いや、純粋すぎて怖い。うっかり触ると壊れそうでさ。傍には置きたくないかな。僕はあんなものを受け止める勇気は無いよ」

「純粋すぎて怖い……」

「そうだよ! 何をやったって傷つけるの目に見えてる! 僕が今まで何をやってきたのか君だって知ってるだろ? 命を守るために! 身内だって容赦なく処刑した! ああいった子はね、こういう場にいるべきじゃないんだよ!」

 そうだよ、いるべきじゃない! こんな暗い場所は、あんな子には不似合いだ!

 渾身の力でそう叫んだ途端、すうっと鎧武具に身を包んだ沢山の騎士がその場に現れる。毒矢をつがえたボウガンを手にしたオスカーが目の前に立っていて、流石にびびった。引き金を引かれていたら、間違いなく即死だったろう。

 狙い定めていたボウガンが下ろされ、ジスランはほっと胸をなで下ろす。

「……し、信じてくれたのか?」

 喉がからからだ。いくつもの窮地を乗り越えてきた自分が、何てざまだとジスランはそう思う。オスカーには、いつもこうしてしてやられる。

「一応ね。でも、こうなった責任は君にもあるよ。知らなかったじゃすまされない」

「……悪かった」

「ビーの魂が戻らなかったら覚悟して?」

「ああ、分かった、分かったよ」

「でも何故、アロイス・フォレストをお茶会の場に連れて行ったの? あいつがビーを狙っていたって知らなかった?」

 ジスランは、ぐっと言葉に詰まる。

「……知ってた」

 オスカーを相手に嘘をつくとろくなことはない、そう思って正直に答えたものの、

「ふーん、知ってて連れて行ったんだ?」

 ボウガンが構え直され、ジスランは慌てて言い繕う羽目となる。

「悪かった、悪かったよ! もうやらないよ! 今回はあいつに恩を売って、自分に有利な情報を引き出そうとしたんだ! まさか堂々と手を出すとは思わなくて……本当、悪かった。償いはするから許してくれ、頼む! 君を敵に回したくない」

 ジスランがふと思い出したように言う。

「アロイス・フォレストは?」

「いま捜索中。城は封鎖してあるから逃げられないよ」

 ジスランの問いに、オスカーがそう答えた。酷く憔悴しているように見える。

「あいつ何でこんな馬鹿な真似……」

 そう、馬鹿な真似だとジスランは思う。周りは敵だらけだというのに。

「さあね。いつもの逃げ口上で振り切るつもりだったのかな? でも甘いんだよ。証拠なんかなくったってね、いくらでもでっち上げられる」

 ジスランは、はっとなった。

「オスカー?」

「逃がさないよ、絶対に。ビーに手を出したこと、死ぬほど後悔させてやるから」

「ちょ、待て。何か様子がおかしいぞ?」

 動き出したオスカーの肩を掴んで止めた。

「いつもの君はもっと慎重に動くじゃないか。争いごとは綺麗に回避してきただろ? なのにどうして? 今回の件だって、そうだよ、可笑しい。君らしくない。いきなり毒矢で脅すって……もし僕を殺していたらどうなるか、わからないわけでもないだろ?」

 両肩を掴んで揺さぶった。

「これでも僕はルドラスの皇太子だ! 例えルドラスでは僕が死んで喜ぶ連中ばかりでも、表向きはそうなんだよ! その僕を殺せば、絶対にルドラスは、ここぞとばかりにウィスティリアを悪者に仕立て上げるよ! 他の国々からつるし上げを食らって、下手すりゃウィスティリアは孤立する! いつもの君だったら、もっと上手に真実を引き出していたはずだろ? なのに何故?」

「煩い!」

 ぱんっとオスカーに手を叩き落とされ、ジスランは再び困惑する。激情に駆られたこんな彼の姿を初めて目にした。やっぱりおかしい。一体どうしたんだ?

「そんなこと言われなくったって分かってるよ」

 呻くようにオスカーが言う。

「でも止められない。どうしても彼女を失うって考えただけで感情が荒れ狂う。可笑しい? ああ、そうかもね。でも、ジスラン? 下手に手を出さない方が良いよ? 自分の身が可愛かったらね。僕の凶行に巻き込まれて破滅なんかしたくないだろ? 何をするか、自分でも分からないもの」

 動き出したオスカーの背を追うようにして、護衛騎士達が滑るように動き出す。全員が相当な手練れだ。ジスランにはそれが分かった。

 オスカーの背に向かって声をかける。

「僕も行ってもいい?」

 振り向かないままオスカーが答えた。

「……不愉快な光景を見るだけだと思うけど?」

「それでもいいよ。身内が仕出かしたことだから最後まで見届けないと」

「好きにすればいい」

「そうさせてもらうよ」

 ジスランもまた私兵を連れて後に付き従う。

 地下牢までオスカーについて行けば、そこにとらえられたアロイス・フォレストがいた。魔封じの首輪が付けられ、後ろ手に拘束されていて、床に跪いた状態だ。それを取り囲むように捜索に加わった魔術師達と、彼を捕らえた兵士達が立っている。

 地下牢独特のひんやりと湿った空気と、緊迫した兵士達の雰囲気が酷く重苦しい。


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