第5話

「あ、あのお医者様は、本当にビンセント殿下のお兄様なのですか?」

「それは、まぁ、多分……。魔術で姿を変えるので、私も話してみるまで分からない事が多々あるけど、あの時は陛下が直接兄上に、君の病気を診てくれるよう頼んでいたから、間違いないと思う」

 ウィスティリアの王太子様。オスカー・フィル・オズワルト・ラ・ウィスティリア。あああ、何てこと……クラリスはようよう言葉を絞り出す。

「確か、そう……。彼は稀代の魔術師様ですものね? それだけでも恐れ多いのに、よりにもよって、ウィスティリアの王太子様……。お父様も何故一言おっしゃって下さらなかったのか……」

「ああ、それは多分、陛下も気が付いていなかったからじゃないかな」

 ビンセント殿下が答える。

「兄上が元の自分に戻ったのは、本当に僅かの間だったから。というか、この私に説教たれたあの時だけなんだよ。陛下の前では既に自分の姿を偽ってた。兄上が手にしていた杖を見て、魔術師だと判断しただけだと思う」

 杖……そう言えば、あの時は持っていなかった。だから侍女も彼が魔術師だとは思わなかったのだ。せめて魔術師だと名乗って下さっていれば、侍女も彼の態度を許容しただろうにと思う。魔術師はどこへ行っても畏怖される存在だ。多少の無礼なら許される。どうして持っていなかったのだろう? 

 もしかしたら、魔女と同じように、杖を装飾品に見立てていたのだろうか? クラリスはそんな風に考える。魔女は身を飾る装飾品を杖に見立てることが多い。いくつもの魔石を駆使し、美しい装身具に杖と同じ機能を持たせるのだ。

「王太子様は装飾品を杖代わりになさっていたのですね?」

 質素な身なりで、装飾品など身につけていなかったような気がするけれど、服の下に隠していたのかもしれない。

 クラリスがそう問うと、ビンセント殿下が首を横に振った。

「いや? 兄上は杖を持っているよ? ただ、見えないようにしているだけで」

「見えないようにしている?」

「杖を見れば一発で魔術師だってばれるからね」

「どうして隠す必要がありますの?」

「魔術師だと分かると、一般市民に紛れるのが難しいからじゃないかな。癖になってるんだと思う。兄上は結構な頻度で市井に降りるからね」

「そ、そう、なの……ですのね……」

 何だか人間不信になりそうだ。いや、そんな事を言っては罰が当たるかもしれない。あれだけ親切にされたのだから、ここは礼を言うべきだろう。

「今回は、その、お兄様は……」

「あー……来てはいないと思うけど、悪いが自信はない」

 毎度毎度出し抜かれるんだ、とビンセント殿下が言う。

 本当に神出鬼没らしい。

 なら後で、お礼の手紙でも……いや、内緒にされたのだから、ここは知らないふりをした方がいいのかもしれない。何か別の形でお礼をさせて頂こう。クラリスはそう考える。もしかしたら、お父様が既にお礼をされているのかもしれないけれど。

「そう言えば、君は『癒やしの姫君』と呼ばれているらしいね?」

 ビンセントの台詞にクラリスは頷いた。

「え、ええ……あまり役に立つ力ではありませんが……」

「まさか。痛みを取り除けるんだ。十分素晴らしい能力だよ」

「でも、病気や怪我を治しているわけではありません」

「痛みが取れれば安眠出来るから体力が回復する。治療に十分貢献していると思うけどな? 君に痛みを取ってもらった患者は、感謝していなかった?」

 ありがとうと言って笑う人達の事を思い出し、クラリスは口ごもる。

「もっと自信を持っていい」

「あ、ありがとうございます」

 ビンセントの台詞に、クラリスはじんっと胸が熱くなる。思わず泣き笑いの顔になってしまった。

「ああ、お姉様、こちらにいたのね!」

 突如、弾んだ妹の声が響き、クラリスは驚いた。

 振り返れば、緑あふれる庭園の奥から、アニエスがこちらに向かって歩いてくるところであった。ディオン様にエスコートされ、花のように艶やかに笑っている。

 微笑みの姫君……渾名の通り、アニエスのそれは魅力あふれる微笑みだ。

 誰もが彼女に微笑まれただけで、胸のつかえが取れるという。それがアニエスの異能ギフトだ。重く沈んだ心を明るくしてくれる、らしい。らしいというのは、クラリス自身は、アニエスの異能ギフトの恩恵に預かったことがなかったから。実感としてそれを味わったことがないのだ。

 どうせなら、今ここでそれを使ってくれたらと、クラリスはそう考えるも、彼女にそれを頼むのは、あまりにも惨めである。そんなお願いは、どうしたって出来そうにない。

 アニエスをエスコートしている男性をチラリと見やり、クラリスはさらに気まずい思いで下を向く。どうしてディオン様までいらっしゃるのだろう……。二人の仲の良さをこれでもかと見せつけられているようで、いたたまれない。

 アニエスの明るい声が響いた。

「お父様にお聞きしたら、お姉様は庭園にいるっておっしゃったの、それで……」

 浮かれたようなアニエスの言葉が途切れる。いつまで待っても続きの言葉がやってこない。不思議に思って顔を上げると、アニエスはビンセント殿下を目にして驚いているようだ。彼に視線を固定したまま立ち尽くしている。

「アニエス?」

 そう声をかけると、弾かれたようにアニエスが言った。いや、叫んだと言った方がいいかもしれない。

「どうして! どうして、ウィスティリアの第二王子様が、お姉様と一緒にいらっしゃるのよ!?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る