第2話

 退出しかけたクラリスに、アニエスが笑いながら言った。

「そうそう、お姉様、あなたにも縁談が来ているわよ?」

 クラリスが足を止め、振り返れば、

「近く、お父様からお話があると思うけど、相手は誰だと思う?」

 心底嬉しそうなアニエスの口調に首を傾げてしまう。一体何がそんなに嬉しいのだろう? アニエスが自分をあざ笑っているなどと思いたくはなかったけれど、そう見えてしまうほど、今の自分の心はゆがんでいるのだろうか? アニエスの笑顔の端々に、意地悪そうな色も見え隠れしていて、クラリスはどう反応すれば良いのかわからなかった。

 アニエスが赤い唇をゆがめて笑う。

 花のように美しい微笑みだと、いつも思っていたけれど、今は酷く毒々しい。やはり、どこかゆがんでいるのだろう。打ちのめされて、疲れているのかもしれない。出来れば早くこの場を立ち去りたかったけれど、アニエスがそれを許してはくれなかった。会話がそのまま続く。

「ウィスティリアの王太子様との縁談よ。嬉しいでしょう? お姉様は未来の王太子妃ってわけね」

 ウィスティリアの王太子様……そう言えば、まだ結婚していないと聞く。お年は確か、二十代半ば、だったかしら? けど、ウィスティリアは大国だ。しかも魔術王国と言われるほど、魔術に長けた国でもある。きっと縁談が殺到しているに違いない。サビニアのような小国を相手にするだろうか?

「……無理じゃないかしら。相手にされないと思うわ」

 クラリスがそう言えば、アニエスが鼻で笑った。

「嫌だ、何言ってるの。ほぼ確定よ。内々で話が進んでいるらしいわ」

 部屋を出る直前に、お姉様にはぴったりのお相手よ、そうアニエスが言っていたけれど、その意味を理解したのは、ずっと後だった。ウィスティリアの王太子様がどんな方なのか気になって、後日、父親に問えば、

「ウィスティリアの王太子様かい? それはもう素晴らしい方だよ」

 父親が破顔する。どうやら父王は彼と面識があるらしい。

「とにかく良い方でね、慈悲深く温厚で、国民からも慕われている。ただ、見た目がその、少々とっつきにくいかもしれないけど、ね」

 父親の奥歯に物の挟まったような言い方に、クラリスは首を傾げてしまった。見た目が怖いのかとそう問えば、父王は言いにくそうに言った。

「怖い、というか、不気味、なんだろうな……。根暗殿下、とか、そうそう、幽霊殿下なんて渾名もついてたっけ……」

 幽霊殿下? 失礼にも程がある渾名のような気が。

 クラリスが眉をひそめれば、それに気が付いた父王が、慌てたように言い添える。

「あ、いや、だから! クラリス、万が一にも、そういった事を本人を前にして言ってはいけないよ? 本当に良い方なんだから……。我が国が流行病に苦しんだ時も、真っ先に治癒術士を派遣して下さったのもあの方だし、稀代の魔術師としてこれまた尊敬されてる。彼の花嫁になる人は幸せだね」

 父親の顔から心底そう思っていることがうかがえる。

 きっと、本当にいい人なのだろう。

「彼の容姿は分かりますか?」

 クラリスがそう問えば、付いてきなさいと言う。彼の姿を映した写光画があるらしい。

 高価な調度品に囲まれた豪奢な父王の部屋で手渡された写光画を見て、クラリスは成る程と納得してしまっていた。確かに不気味である。

 目にした黒髪の男性は背が高く痩せていて、落ちくぼんだ目は淀んで暗く、顔色も悪い。これで暗闇にでも立たれて、にやりと笑われれば、幽霊だと叫んで逃げ出す人の姿が容易に想像できてしまう。

 陰気な私にはお似合いだと、アニエスはそう皮肉ったわけだ。

「この方がわたくしの婚約者になるのですか?」

 クラリスがそう問うと、

「誰がそんな事を言った?」

 父王は目を丸くした。

「アニエスですが……違いましたか?」

 父王が首を横に振る。

「残念ながら、違う。こちらとしても、最初はそちらをと希望したのだが……どうやら婚約者がいるようでね、断られてしまったんだ。代わりに、次男のビンセント殿との縁談が来ているから、そちらを進めようかと思っている。夜会で顔合わせをさせてから、言おうと思っていたのだが、どこから漏れたのやら……」

「……お断りすることは出来ますか?」

 一応聞いてみるも、ぶったまげられた。

「気に入らないのか? まだ会ってもいないのに……」

 そういうわけではなかった。単純に振られたばかりなので、ほんの少し我が儘を口にしただけである。申し分けございません、お父様。クラリスは心の中で謝った。

「大国ウィスティリアの第二王子だぞ? しかもこちらは相当な色男だ。ほら、見てみろ。これで気に入らないなどと言う娘がいるとは思えん」

 もう一つの写光画を手渡され、そこには先程とは全く違う、魅力的な男性の姿が映し出されていた。金髪碧眼の精悍な顔立ちの若者だ。剣を身につけ正装した姿は、優美で凜々しい。確かに熱を上げる女性は多そうだとクラリスは思った。

 手渡された写光画にじっと見入っていると、

「どうだ? ハンサムだろう?」

 父王がにやにやと笑う。

「評判も良いぞ? 縁談が殺到しているらしいが、なに、お前が気に入れば話を進める予定だ」

「……あちらが気に入らなかったら、どうなるのでしょう?」

「何だ、そんな事を気にしているのか? 心配はいらない。お前は十分魅力的な娘だよ。アニエスとお前の両方を顔合わせの場に連れて行こうと思っていたのだが、アニエスは婚約してしまったので、お前で決まりだな」

 父王がそう言うと、再びクラリスの心は沈んだ。どうしてもディオン様の事を思い出してしまうからだ。もし自分が順当にディオン様と婚約していれば、顔合わせの場には妹のアニエスが行くことになっていたのだろう。

 妹と立場が入れ替わったのだという事に気が付く。

 クラリスはため息をついた。写光画で目にしたビンセント様は、とても魅力的な男性だったけれど、今のクラリスにはどうしても喜べそうになかった。


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