ビタービターハニートラップ

かめろんぱん

総務部 山野フウカ

 部下の仕事を取るからと、職場を追い出された山野フウカは暇だった。

 あまりにも暇だったので、普段は行かない、非効率的な名刺交換の場、いわゆるパーティーへ行った時だった。


 慣れない場所ということもあり、酒は控えめにして、遠くからビジネスの交渉に耳を傾ける。話してみたい企業の役員や、投資家の人を見つけたには見つけたものの、楽しく美女と飲んでいるのをを邪魔してまで商談をしたいとは思わない。

 仕事一筋で生きてきたことに後悔は無い。しかし、煌びやかなドレスを纏ったスタイルのいい美女を見ていると、黒のパンツスーツにメリハリのない体型をしている自分と比べてしまう。

 これはこれで自分らしく好きなのだが、ああいういかにも女性らしい女性に憧れる気持ちはあるのだ。

 することがないので、相変わらず周りの会話に意識を集中させながら、テーブルに盛り付けてあるクラッカーを食べる。立食形式に適した小ぶりのクラッカーは、クリームチーズとブルーベリーが載っており、想像以上に美味しかった。

 辺りを見渡すと、どうやらテーブルによって種類が違うらしい。

 よし、全種類制覇しよう。

 さりげなくテーブルの配置を確認してから最短距離で向かう。

 急いでいるわけではないのだが、時間を節約するのは癖みたいなものだ。テーブルからテーブルへ高速で移動する姿は、側から見ればかなり挙動不審だろう。

 幸い、私はスーツ姿なので、薄暗い会場での素早い行動はウェイターと混同されてあまり目立たなかった。

 それに、私以上に挙動不審な人がいて、会場の注意はその人に向いていた。遠くてよく見えなかったが、こげ茶色のドレスを着た女性が、落ち着きなく歩きまわっては資料を何度も見直して、なにかブツブツ呟いている。

 新人なのだろうか、こんなところで一人にするなんて、いったい上司は何をしているのだろう。助けようかと思ったが、こういう場は私も不慣れだし、逆効果になる可能性もある。 かわいそうだとは思うが、そっとしておくことにした。



 最後のテーブルへ向かう途中、いきなり、空のシャンパングラスを押し付けられてしまった。


 違います。会場のスタッフじゃないです。

 心の中でつぶやきながら、グラスを会場の外の回収場所へ持っていく。するとベテランっぽいおばさんに追加の料理を押し付けられた。


「あの、違います、私、参加者なんですけど」


「いいから、さっさと運んでくれる?溜まってるんだから」


 えーー?

 しかし、社畜根性が染み付いた私は上司の命令に逆らえないのだった。いや、上司ではないけど。


 全ての皿をトレイに載せるとなかなかの重量だった。これ絶対人足りてないよ。会場の規模分かってるのかな?効率悪い。

 主催者の無能さにムカつきながらも、料理をテキパキとさばいていく。ついでに空の皿を回収していこうと手を伸ばした時、


 いきなり後ろからぶつかられた。


 振り返ると、こげ茶色のシルクの布地が見えた。たぶん、さっきの挙動不審な人だ。


 慌てて支えようとトレイをテーブルに置く。


「お客様?大丈夫ですか?」

 左手で腰を支えながら、出た言葉に思わず苦笑いする、これが社畜根性か。一応私もお客様なんだけどな。


「ごめんなさい」

 ぶつかってきた彼女は、私に向かって頭を下げると、そのままその場から移動しようと歩き出す。しかし、その足取りはふらふらしていて頼りない。


「大丈夫ですか?そこにベンチがあるので、気分が悪いようでしたら」

 会場の図は来る前に確認したから、案内できる。この場で彼女が倒れたりしたら、ただでさえ忙しいスタッフがもっと大変なことになりそうだし。


「本当に、だいじょう」

 言い切らないうちに正面から倒れてきた、気を失ったようだ。腕だけで支えようとしたが力が足りず、抱きとめるような体制になってしまった。彼女の全体重が掛かっているので、形のいい胸が思いっきり押し付けられる。

 青年漫画ならドキドキするシチュエーションなのかもしれないが、現実問題、胸のやわらかさを実感するより、重さによる腕の痺れが深刻だった。


「あの?大丈夫ですか?もしもーし」


 ダメだ、完全に気を失っている。背中側に腕を回しているが、布が滑りやすく、づれおちるのは時間の問題なので、ゆっくりと床に座らせる。心臓は動いているようなので、AEDは必要なさそうだ。おそらく貧血だろうけど、念のため回復体位にした方がいいのかな。


 そんなことを考えていると、いつの間にか人が集まってきていた。床に座っていたのが目立っていたらしい。野次馬の中は私の会社の人間もいた。


「あれって山野さんじゃないか?」

「本当だ、こんなところで何してるんだろう」


 私1人ではとても運べないので、彼らには少々申し訳ないが、彼女を医務室まで運んでもらおう。


「君たちは営業2課、部長の豊橋と課長の河北だったよな、悪いけど彼女を医務室まで運んでくれ」


「「はっはい」」

 この答え方、妙に懐かしいな。そういえば、彼らの新人研修は私が担当したんだったな。


 二人はスムーズに両手搬送の手順を実行する。膝の下と背中で両手を組み、その上に座らせるようにして持ち上げる。

「医務室の位置は分かるか?」


「い、いいえ」「自分もわかりません」

 二人揃ってまるでなってない、パーティーとはいえ、仕事と全くの無関係ではないのだから、会場の設備の確認は当然だろう。商談の場ではあらゆる状況に対応できるよう、地図を暗記するのは基本中の基本だと教えたのに。


「では私が案内する。ぶつけないよう注意してついてきてくれ」


「「はい」」

 野次馬を解散させながら最短距離で医務室へ向う。医務室の扉を開けると人がいなかっため、とりあえずベットに寝かせた。

 豊橋と河北には、会場の地図把握の大切さを強く説いてから会場に戻し、意識か保健師が戻ってきた時に状況を説明するために一人で残る。


 さっきまで暗くて気づかなかったが、よく見ると非常に整った容姿をしていた。大きなタレ目に、小ぶりだけど形のいい鼻と口。全体的に優しそうな印象を受ける美人だったが、顔色の悪さが全てを台無しにしていた。


 一人になると悲観的なことばかり思い浮かんでしまう。念のため、救急車を呼ぼうか考えた時、

「あれ?ここどこ?」

 彼女の意識が回復した。


「パーティー会場を含む施設の医務室です。先程急に倒れられたことは覚えてますか?」


「なんとなく、あ、私すぐに戻らないと」

 おぼつかない手つきで布団を下ろすと、ベットから這い出る。


「まだ体調が優れないようですし、もうしばらくこちらで休まれた方がよろしいかと思います」

 ふらついているし、顔色が悪い、また向こうで倒れられたら、運ぶのが手間だ。


「でも、仕事が」

 青白い顔をさらに青くして言う。


「仕事?」


「だから、無理をしてでも行かないと」

 その気持ちはよく分かる。仕事はいい。素晴らしい。出来ることならずっとしていたいぐらいだ。でも、無理をするのは良くない。


「いいえ、今は休むべきです。その仕事が重要なら、体調不良で取り組むとミスを招きます。また、重要度の低い仕事であっても、今取り組むことで体調を悪化させ、これからの仕事に悪影響を及ぼすことになります」

 まくしたてないように気をつけて、相手を落ち着かせるようとゆっくり伝える。


「一般論ですね、だけど、わたしは今日結果を出さなければいけないんです。絶対に」

 なるほど、彼女の意思は固いようだ。

 じゃあしょうがない。


 こんなこと言いたくないんだけど。

「今の状態で仕事されても迷惑です。あなたのせいで周りの仕事が増えることも考えてください」


 彼女はしばらく沈黙して、

「すみませんでした」

 と、いまさら、申し訳なさそうにする。


 そんな風にされると、居心地が悪い。

「まったくです、でも何事も経験です。こんなアクシデントは初めてだったので勉強になりました。」


「あなたは、変わってるんですね」


 懐かしいな。

「......久しぶりに言われました」


 するとここでなぜか突然泣き出した。

「うっ、ごめんなさい、わたし、っ、ちょっと、これからのこと、かんがえてて」

 彼女なりに込み入った事情があるのだろう。


「どうぞ」

 常備している会社のハンカチを差し出す。


「うぅ、あなたも、仕事が、のに、えぐっ」


「あー、スタッフは忙しそうですけど、大丈夫ですよ、私の仕事じゃないですし、むしろ抜け出せてよかったです」

 ハンカチを握りしめ、わんわんと泣く姿は庇護欲をそそる。その姿が、昔仲のよかった女の子に似ていて、先程言い過ぎた負い目もあり、思わず背中をさすっていた。


「大丈夫、大丈夫」


 背中に手を回すと、彼女はビクッと体を震わせたが、嫌がらなかったので、そのまま続けた。そうしてるうちに徐々に落ち着いたようで、泣き止んだ。


 私が回していた手を外すと、今度は顔を真っ赤にして、布団の中でうーうーうなり始めた。

 そりゃそうだよな。知らない人の前で急に泣き、おまけに背中をさすられたら、黒歴史確定だ。

 こっちまでいたたまれなくなる。


 しばらくして、急にうなり声が止まった。

「あれ、このハンカチ」


「どうかしました?」

 我が社のマスコットキャラクター、モジャ丸くんがプリントされたハンカチは、かわいいと内外で評判だ。フタコブラクダをデフォルメしたデザインのモジャ丸くんはキャラクターグッズが販売されるほどの人気である。


「この会社だ、わたし、今日この会社の人に接触しないといけなくて」


「なんだ、そんなことか」

 私は名刺を取り出して、彼女に手渡す。


「はじめまして、沙原コーポレーション 総務部 山野フウカです」

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